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宮地神仙道

「邪しき道に惑うなく わが墾道を直登双手
または 水位先生の御膝にかけて祈り奉れ。つとめよや。」(清水宗徳)

「聖アントニオよる 信仰の回復と豊かな運命への道開きの儀式」

2025年03月28日 | Weblog

 

(聖アントニオ)

中南米の神秘主義における法で
正式には 2本の白いローソク(まだ火を灯さない)の間に
聖アントニオの絵か像を中央に配置させ

聖アントニオの前に
月桂樹の葉、トウモロコシの種、ローズマリーの葉、
乾燥ラベンダー、胡椒の実が入った器を献じますが、
全て用意できなければ 手に入るものを献じます。

ローソクに火を灯しながら 以下の様に誦します。

★「グラシアス・サン・アントニオ
ポル・デヴォルヴェルメ・ラ(Lの発音)・フェ
イ・アブリルメ・トドス・ロ(Lの発音)ス・カミノス
ハシア・エル(Lの発音)・ヘルモソ・デスティノ
デ・ラ(Lの発音)・アブンダンシア・アメン。」

このようにして 信仰の回復と
豊かな運命への全ての道開きが授けられます。

 

以下ネットに投稿されていた体験談のコピペです。

++++++++++

 5、6年前に友人の家で見た夢?の話

当時友人の仕事(自営)を手伝ってよくその家に泊まる事があった。
友人の家の構成は、父母、兄、祖母、友人(Aとする)の5人家族で、
Aが2階を仕事場にしており、他の家族は主に1階で暮らしていた。

自分はこの家のおばさんとはよく顔を合わせていたが、他の家族にはほとんど会ったことがない。
基本泊まり込みでの作業になるが、仕事場から出ることがほとんどないためだ。
父と兄は会社員で不在がち、祖母はあまり体の調子がよくないらしく、
1階の自室にいることがほとんどだったという。

ある日、夜勤で働いていた自分は、仮眠のために昼前に客室に布団を敷いて眠っていた。
いつもは数人で寝るのだが、その時はたまたま一人だった。
そこは元々祖母の部屋だったが、2階を仕事場にした際に、
うるさいだろうからと部屋を階下に移したとのことだった。

カーテンを引いて暗くした部屋で眠っていると、不意に何かに引っ張られるような感じがして目を覚ました。
だが、起きられない。金縛りというよりは、夢の中で意識が覚醒したような感じだった。
すると、障子越しの窓からまぶしいくらいの金色の光が差し込んできた。
怖いと言うより、神々しすぎてぽかーんとするくらい強い光。
それと同時に昔の絵巻物で見たような感じで、雲の上から数人の天女が迎えに下りてくる。
なんか籠?車?みたいなのに乗ってたり、天女っぽく飛んでたり。
その中央でさっきの神々しい光が自分をぎゅーっと吸い込むように引っ張っていくのがわかる。
「あ、お迎えだ」って妙に納得した。

でも自分はただ仮眠をしているだけで健康だし死ぬ理由もないし、なにかおかしいぞと思ったときに、
不意に会ったこともないお婆さんの顔が浮かんだ。
それで、この天女たちがお婆さんと間違って自分を迎えに来たことに気付いた。
「違います違います!!自分じゃありません!!」
って必死で言うんだけど、なんかもう魂みたいなのがどんどん光に引っ張られていくのがわかる。
どうみても極楽なのでまあ極楽ならいいかなってちょっとだけ迷ったけど、やっぱりまだ死にたくない。
すごい必死に「違います、この家の人じゃありません」って訪問販売を断る人みたいに叫んでると、
天女があれ?って間違いに気付いたようだった。

その瞬間、光がぱっと消えて暗い部屋で目が覚めたんだけど、夢というにはあまりに生々しい感じがした。

それから少しして、Aのお祖母さんが亡くなったと知らされた。
病気との事で自宅で亡くなったのか病院で亡くなったのかはわからないが、
あのおっちょこちょいな天女さんは間違えずにちゃんと連れてってあげたのかなと思った。
自分は死後の世界も地獄だの極楽だのも特に信じてなかったけど、
あんな極楽なら行ってもよかったんじゃないかなあって思う。 

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