妻が読んでいます その61。
『ちはやふるオフィシャルファンブック』
末次 由紀& BE・LOVE編集部 監修
講談社

妻はかつてこの『ちはやふる』の原作単行本を、とある献血の施設へ行く度に備え付けのを読んでいたようだが、結婚してからはその施設に行く機会もなくなり、その後は書店や古書店で購入して読み続けている。
私も拙い短歌を少々詠むが、古典には取っ付きが悪くて、専ら口語短歌が中心。だがやはり百人一首には多少の興味を抱いているので、この夏CSテレビで放映されていたアニメ版の『ちはやふる』にはすっかりハマってしまって、第1シリーズ第2シリーズ全50話を、妻共々一挙に観てしまった。
お陰で妻も私に短歌のことをよく質問してくるようになったが、如何せん百人一首やかるたについては知識に乏しく、妻の期待にはあまり応えることが出来ない。
そこで実家から持ち出してきたのが、このゲームソフト。

私が10数年前に短歌を始めて間もない頃、勉強と遊びを兼ねて購入。対戦モードもあるので、百人一首にかけては私よりも数段詳しい母と相対し、百人一首やかるた競技についての認識度を少しは高めていた。
そんなある日、大学の先輩から自宅に呼び出された。たいへん後輩思いで面倒見が良く、仕事場でもご一緒する機会も多くお世話になっていたので、お呼ばれに伺ったのだが……、先輩の主たる目的は布教活動、つまりは私を某宗教へ勧誘することだった。そして先輩は「いい年をした男がすることか?」と、私と母が百人一首のゲームに興じることをも批判した。
先輩とは絶交した。
もし万が一、私が先輩からの勧誘を受けてその宗教に入信していたら、現在の妻と出会い結婚することはなかったであろうし、このゲームソフトが私たち夫婦の前で再び日の目を見ることもなかったであろう。
上っ面だけのお付き合いや目先の利益に惑わされることがなかった己の判断に、間違いはなかったと自負している。
たかが短歌、たかが少女漫画、たかがゲームソフトではあるが、それが人生を豊かなものにしてくれることだって、大いにあり得るのである。
『ちはやふるオフィシャルファンブック』
末次 由紀& BE・LOVE編集部 監修
講談社

妻はかつてこの『ちはやふる』の原作単行本を、とある献血の施設へ行く度に備え付けのを読んでいたようだが、結婚してからはその施設に行く機会もなくなり、その後は書店や古書店で購入して読み続けている。
私も拙い短歌を少々詠むが、古典には取っ付きが悪くて、専ら口語短歌が中心。だがやはり百人一首には多少の興味を抱いているので、この夏CSテレビで放映されていたアニメ版の『ちはやふる』にはすっかりハマってしまって、第1シリーズ第2シリーズ全50話を、妻共々一挙に観てしまった。
お陰で妻も私に短歌のことをよく質問してくるようになったが、如何せん百人一首やかるたについては知識に乏しく、妻の期待にはあまり応えることが出来ない。
そこで実家から持ち出してきたのが、このゲームソフト。

私が10数年前に短歌を始めて間もない頃、勉強と遊びを兼ねて購入。対戦モードもあるので、百人一首にかけては私よりも数段詳しい母と相対し、百人一首やかるた競技についての認識度を少しは高めていた。
そんなある日、大学の先輩から自宅に呼び出された。たいへん後輩思いで面倒見が良く、仕事場でもご一緒する機会も多くお世話になっていたので、お呼ばれに伺ったのだが……、先輩の主たる目的は布教活動、つまりは私を某宗教へ勧誘することだった。そして先輩は「いい年をした男がすることか?」と、私と母が百人一首のゲームに興じることをも批判した。
先輩とは絶交した。
もし万が一、私が先輩からの勧誘を受けてその宗教に入信していたら、現在の妻と出会い結婚することはなかったであろうし、このゲームソフトが私たち夫婦の前で再び日の目を見ることもなかったであろう。
上っ面だけのお付き合いや目先の利益に惑わされることがなかった己の判断に、間違いはなかったと自負している。
たかが短歌、たかが少女漫画、たかがゲームソフトではあるが、それが人生を豊かなものにしてくれることだって、大いにあり得るのである。