真実と幻想と創価学会

創価学会について色々書いています。ほぼ毎週日曜更新。

マインドコントロールとは何か より「破壊的カルトの集団運営の方法」その2

2012-06-03 16:28:00 | カルト宗教
マインド・コントロールとは何か マインド・コントロールとは何か
価格:¥ 1,427(税込)
発売日:1995-08

破壊的カルトの集団運営の方法 ――マインド・コントロール(2)

 しかし、いくら個人の満足や幸福感が手に入るからといって、教育的にも経済的にも決して低くない若者を中心とする多くの人々が、自分を苦しめたり、悪事に手を染めたりすることになるといった可能性のある、あるいはさまざまな疑惑を感じるような怪しげな組織に参画するということの説明には不十分であろう。
 つまりもう一つ、重大な理由がある。それは、
多くの破壊的カルトが、新メンバーを勧誘する際に、先述したような、「表」と「裏」のある組織の二重構造や反社会的特徴に気づかせにくくしたり、その「悪事」と見える行動を、メンバーには特有の理論でもって正当化し、納得させているという理由である。こうしたカムフラージュや納得させるといった心理的操作のテクニックが、「マインド・コントロール(mind control)」である。
 もちろん、すべての破壊的カルトが、マインド・コントロールという技術を用いて集団を形成し、発展させ、維持、強化しているとはいいきれない。しかし、どういうわけかは判断しかねるが、マインド・コントロールを用いているといわれている多くの破壊的カルトは、それを用いるいくつかの手法において、非常に類似性が高い。

 後略…

組織の二重性、ダブルスタンダードは創価学会の大きな特徴の一つでもあります。

世界平和を掲げながらイラク戦争に賛成したり、といった事例はいくつもあります。

また、人権をさも重要視しながら機関紙では目にするのも不愉快な表現で特定の人物・団体を誹謗中傷。

これらのことに、学会員さんたちは違和感を覚えないのとか言えば、上記の赤文字の部分の通り、彼らだけで通ずる特有の理論で正当化し、納得しているということなのでしょう。

なにせ「絶対正義」という強大な武器も存在しますからね。

こうしたことは、聖教新聞の表現の良し悪しに留まりません。

広宣部と呼ばれる実行部隊においてもそうです。

広宣部はもともと、日蓮正宗へのスパイ活動的な目的で構成されたそうですが、今では対象は宗門に留まらず、広く学会の批判者・敵対者(言いがかりも含め)に及んでいます。

創価班の中からエリートとして選ばれる広宣部のメンバーらしいですが、そんな信仰心篤い彼らがなぜ犯罪そのものと言える行為に手を染めてしまうのか。

もし捕まれば個人でやったことと証言するようにと、上から前もって釘を刺されるのです。それでもあらゆることを実行に移してしまう。

葛藤を感じる人はまだ幸せでしょう。

それが「正義」と信じ込ませてしまうマインド・コントロールの恐ろしいこと。人を狂わせています。

日本では特に、このマインド・コントロールという概念が定着していないこともあり、あまりにも無防備な状態が続いています。

誰しもが陥るカルトの罠。

社会全体の危機感として、認知されなければいけないことだと思います。


8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
アンチネタと関係ない話題で恐縮なんですが、クロ... (トニー)
2012-06-04 21:24:27
アンチネタと関係ない話題で恐縮なんですが、クロさんまたちょっと猫の相談に乗ってください。

いぜん大家に「トニーさんなら一匹だけだったらいいですよ。5匹も6匹も飼うわけじゃないですよね」と言われたとお話したことは覚えてるかと存じます。で、ハッピーは寂しがり屋なので連れがいたほうが精神衛生によいのではないかという話しましたよね。…あれ依頼、追い鳴きは相変わらず直ってないんですよ(^^;)(;^^)。

先日、友達の奥さんが働いている職場の人でやはり猫を飼っている家があるらしく、そこに新たな生命が誕生したのだそうです。で、「大家に黙ってもう一匹飼っちゃおうかな」と冗談めかしていたために、「一匹貰ってくれないか」と打診されてしまったんですよ。

飼ってもいいけど二匹が限界でしょう。それと人口密度的にもキャットタワーも買ってやらなきゃならなくなるでしょう。大家には、さすがに「もう一匹いいですか?」とは言えないので黙っていようかと思っています。連れがいればハッピーも鳴かなくなってかえって静かになると思うのですが、ああでもどうしよう。悩んでいます。
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トニーさんへ (クロ)
2012-06-04 23:21:19
トニーさんへ

取り急ぎ、お返事をば。
うーん、大家さんの了承がないということなので、下手なことを勧められませんが…。

私はほとんど一人で、4匹の面倒を見ているので、2匹の面倒を見るのが無理と言うことはないでしょう。
トイレは基本、飼っている数+1。つまりトニーさんならば3つ用意したほうがいいですね。
飼うならばの話ですが^^;
キャットタワーは、必ずしも専用のものでなくとも、普通の本棚や収納棚に登れるスペースを作ってあげたりすれば大丈夫です。登るなと言っても登ってくれますw
できれば天井ツッパリ式のやつがいいでしょう。
確かトニーさんも昔は複数匹飼ってらしたと仰っていた気がするんですが、環境のことはいらぬ心配でしょうか。

さて、寂しがり屋のハッピーちゃん追い鳴き解消が目的とありますが、こればかりは実際に迎えてみないと分からないですよね。
猫同士、相性がありますし…。
メス猫はそんなに縄張り意識が強くないので、新入りにゃんこにもわりと早くなじんでくれると思いますが。
うちも長男メタボンを一人でお留守番させるのが忍びなく、野良猫の子供だったシロにゃんを引き取ったのでお気持ちはよく分かります。
ただ、うちのメタボン、甘えたではあるんですがあんまり鳴かず、追い鳴きとかもなかったのでどうともアドバイスが難しいのですよ。
お留守番が長い飼い猫には、どうしても兄弟を作ってやりたくなりますもんね。
一度トライアルと言う形で、お休みの日にでも半日子猫を預かって、引き合わせてみるのはどうでしょう?
大したアドバイスではないですが、思いつくのはこんなところです。
ハッピーちゃんが更に更に、ハッピーになってくれることを願います!
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くだらない内容にわざわざ丁寧にお返事いただき感... (トニー)
2012-06-05 00:15:07
くだらない内容にわざわざ丁寧にお返事いただき感謝します。

僕の部屋にはフランフランで買った階段みたいな形の木製のラックが二つ、ソファーの前にシンメトリーに並んでいます。その最上段がハッピーのお気に入りスペースなのは言うまでもないですよね。ただどうせならもう少し高いところにまで行かせてやりたいな、と考えてるのですよ。また二匹飼うのなら自由に遊び回れるよう、「縦の空間」を増やしてやりたいのです。
多頭飼いは、以前まだいちおう学会だった頃(笑)、学会の先輩が出張先で子猫を拾ってしまい、出張先の寮ではもちろん飼うことが出来ないので、僕が8ヶ月ほど預かってあげたことがあります。当時トイレは1つしかありませんでしたが特に問題はありませんでした。ただ、もう一匹飼うのなら、今度は期間限定多頭飼いにはなりませんし、トイレは増やすつもりです。ちなみに今のワンルームは当時住んでいたワンルームよりかなり広いんです。昔は猫がもう一匹増えたとたん、急に狭苦しく感じるようになりましたが、その心配はないだろう、と思っています。

進展があったらまた報告します。
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ウチのワンコは猫犬で、コタツと日向ぼっこが大好... (河童)
2012-06-07 22:49:51
ウチのワンコは猫犬で、コタツと日向ぼっこが大好きで、最近は高い出窓に駆け上がることを覚えましたよん。

>なにせ「絶対正義」という強大な武器も存在しますからね。

「正義」は立場で変わる相対的なものだったりしますよね。
今時の複雑な社会で簡単に「正義」を叫ぶことは、余程思慮が足りないかお花畑の住人だけでしょう。ましてや「絶対正義」とは・・・聴いている方を赤面させる威力のある武器ですね。
この「絶対正義」を掲げて会員を鼓舞することは、「何だか理想に向かっているらしい」という幻想を与える意味では前向き、希望的、楽観的ですが、その本質は極めて独善的、欺瞞的です。
「あなたの正義と私の正義は違う」・・・これを認識せずして一方通行の「対話拡大」とやらで選挙の下心丸出しで迫られたら、大抵の人は退きますよね。
学会の言う「絶対的幸福境涯」とは、究極の「自己満足」のことのようです。

親族や地域幹部を中心に覚醒対話を続けていますが、闇は深いというか幹部の質はここまで酷いというか・・・
二月の聖教や他誌にも載った矢野氏との和解の件を話題にすると・・・「なに?それ。読んでない」
外国人参政権、増税、原発は個人として賛成なの、反対なの? どうすればいい?・・・「分からない。党が決めてくれる」
センセイは何で出てこないの?・・・「戦いの要諦はすべて伝え終えたから皆に任せると」

脱力です。
新聞啓蒙する前に自分が読めよ! 政策の是非、代案を自分で考えてみろよ! 任せたと言いながら何でメッセージ乱発なのさ!

挙げ句の果てに幹部がよく言うセリフ・・・「疑問があるなら副会長の指導を受けたら?自分には答えられないから」
あのー、疑問はありません。既にクリアーです。あなたの覚醒を促しているだけですから。私が副会長と対話したらどうなるか・・・私は脱会するしかなくなるんよ。そこんとこよろしく。
学会教学は論理的に破綻してるから、職業幹部は論理的思考からほど遠い「粉飾の信心指導」しかできない。つまりそれは感情論。
学会活動と信仰の乖離を「師弟不二」という究極の感情論で無理矢理結びつける。こうした手法は外部目線では狂信カルト宗教と言うんですけどね。
幹部がこの程度の話に応えられないで直ぐに上に振ろうなんて、「そんな役立たずの幹部なら辞めちまえ!」と・・・目で訴えてます。
本部長、区長でもこの程度ですから呆れます。てゆーか、会合に出てくる人っていつの間にかみんな幹部ですよね。ヒラがいない。出席し過ぎるとすぐ幹部にされるから。「だれでも患部~」ドラえもんか。
B座なんて幹部の協議会みたいです。ホント若手の活動者がいない。ウレシイ悲鳴?

話はくるりんぱ・・・で、先日のNHK「オウム真理教17年目の真実」を見ました。
ドラマのラストシーンでの会話から。

元信者A
「僕たちのことを取材して何か見えてきましたか?」
NHK記者
「・・・大事なのは、集団が暴走したとき、それに抗うことができるか、抗えないまでも、ちゃんと立ち止まって考えることが出来るか、そんなことを考えました」
元信者A
「オウムは最初、人を救うために始めたはずが、逆に人に苦しみを与えてしまった・・・どうやって償ってけばいいのか」
元信者B
「オウムは失敗だった・・・そう言ってしまうのは簡単ですけど、それで済ませちゃいけないんですよね。自分に対しても、世間に対しても。きっと、そのことを一生・・・」
ナレーター
麻原の本心は・・・「資本主義と社会主義をつぶして、宗教的な国を作ることだ。本当の意味で・・・この世をもう一回清算すべきだ」
教団発足当初から社会の破壊を目論んでいた麻原。(肉声の)テープから浮かび上がってきたのは、救済の名の下に、自分の思い通りの世界を作るという真の狙いだった。

う~ん、身につまされます。そっくりです。
何処かのセンセイも「王国」を作りたがっていましたしね。

ところで、センセイが本幹に出ないのなら、誰かセンセイの右手の写真だけでも貰ってきて下さい。
「ペンだこ」の鑑定をして差し上げます。
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河童さん、我が家も猫犬がいますよ。。笑 (流れ星)
2012-06-08 00:10:17
河童さん、我が家も猫犬がいますよ。。笑

オウムの番組、3話きっちり見ましたよ。
あのナチスの暴走もやはり気がついたときは誰も止められなかったとか。。
大戦での日本軍もしかり。。ですよね。

遠い世界の他人事ではないのですよね。。
目の前にある現実なのですもの。。

河童さんの対話は、まるで焼け石に水のようにも思えますが、きっと河童さんの話を聞いてあるときハッとするのですよね。。

わたしがヤングミセスのとき、まだ創価学会に入会して10年ほどの頃。。

お引っ越しした先に、女子部の頃学会本部で女子部の大幹部だった方と組織が一緒だったことがありました。

その方は池田氏のすぐ近くにもいたようで。。
でも、わたしと会ったときは池田氏に疑問を抱いているときだったようで。。

彼女の言葉の端はしにそれがあって。。
その頃のわたしは池田大作をこころから尊敬し信じていたので、その頃生意気なヤングミセス1年生のわたしは、大先輩の彼女に食ってかかった事があり、いまも深く後悔しているのですが。。

よくよく想うと、あのときの縁があり、いまのわたしがあるような気がするんです。。

人生って不思議ですね。。

だから、河童さんの言葉もいつか浸透しこころ響くときがくると思います。。

無駄なことなんてないですよね。。
帳尻が合うようになっているんですよね。。人生って。。
返信する
流れ星さん (河童)
2012-06-10 08:20:16
流れ星さん

>河童さんの対話は、まるで焼け石に水のようにも思えますが、きっと河童さんの話を聞いてあるときハッとするのですよね。。

仰るとおりの期待だけでモチベーションを維持しています。
何れ崩壊すると考えていますから、「ほら、あの時言っただろ?」というアリバイ作り?が、騙され続けた自分としての最低限のプライドだったりします。
勿論、覚醒を促すことが主目的ではあるのですが・・・屈折してますかね?
それと、崩壊の暁にはこうした人たちのフォローもしないといけませんから、一つの窓口宣言かも知れません。

五執念?おめでとうございます。
私は崩壊までいようと思います。内心では決着がついているので、無用な波紋は起こしたくありません。
サッカーでトーナメントが組めるくらい内部の親族がいますから。

「広域精神暴力団 〇田組系 仮装学会」では余りにも恥ずかしすぎるので、外部に対しては「もう辞めた」と言ってます。
返信する
河童さんへ (クロ)
2012-06-10 11:41:20
河童さんへ

猫犬ワンコ!
ちょーラブリ~ですね~♪
出窓に登るとか、ほんとに猫っぽいw


>「正義」は立場で変わる相対的なものだったりしますよね。

これはもう、小学生ですら分かっている事実です。
学校で戦争の歴史を学ぶから。そして友達同士のケンカからも学ぶでしょう。
「争いが起こる、だから絶対に正しい正義を皆が信じれば世界は平和になるんだ」という考えなのでしょうか。
それは究極の全体主義であり、究極の独善であり、究極の独裁体制です。
池田氏はかつて「全体主義が理想」と語っていますが、これは組織に向けたものですからまた少し意味合いが違ったでしょうね。
しかしその正義の果てが如何に歪んでいるかということを自覚せず、正義のために人生がんばっている気にさせてくれる。
仰る通り、自己満足でしかないと思います。
そういえば私の体感では、学会員さんは「ヒロイズム」に浸っている人多いんですよね。しかも「悲劇的ヒロイズム」が多い。
学会の替え歌にもそういう感情を煽る歌詞がありました。
聞いてる方が恥ずかしい歌詞なんですけど、これに陶酔できるようになれば立派なMC患者でしょう。


>新聞啓蒙する前に自分が読めよ! 政策の是非、代案を自分で考えてみろよ! 任せたと言いながら何でメッセージ乱発なのさ!

覚醒対話、お疲れ様です。なかなかできないことです。
上のようなことを本当にすると、学会員さんたちは学会が居心地がいいものではないと気づいてしまうんではないでしょうか。
基本的に、思考停止の楽チン人生から抜け出せないから学会員でいるわけで。
新聞程度は盲信フィルターを通せば読んでも「素晴らしい」と言ってられるでしょうが、外部との係わりを持ち他党との比較や社会情勢を考えなくてはならなくなる政治・政党のことなど考えては気づいてはいけないものに気づいてしまいます。
MCもあるでしょうが、無意識にその思考を逸らしている。
と言うことは、そういうことを考え始めればMC脱却の第一歩なのかもしれませんね。
第一歩といいつつ、その一歩が難しそうです。


NHKの「オウム真理教17年目の真実」、観た方のコメント色々拝見しました。
残念ながら私はそういう番組があることを知らず、見逃してしまったのですが。
しかし共通しての感想が「学会とそっくり」ですね。
河童さんも同様の感想のようですから、よほどですね。
「救済の名の下に、自分の思い通りの世界を作るという真の狙いだった」とは、およそ新興宗教の教祖(リーダー)共通の願望でしょう。
何処かのセンセイも、自分の思い通りにならないと周りに激しく当り散らして激昂するそうですから。


>「ペンだこ」の鑑定をして差し上げます。

(笑)
河童さんのこういうことろ、大好きです!


>それと、崩壊の暁にはこうした人たちのフォローもしないといけませんから、一つの窓口宣言かも知れません。

なんていい人なんでしょう。
でも分かります。私も崩壊は必ず訪れると考えていますので、今からその後の熱心な学会員さんたちの心のケアというか、暴走阻止というか、そういうことも考えます。
私には窓口にはなれませんが、社会で受け止めるために今から学会の実情の周知が必要不可欠ではないかと。
河童さんの「アリバイ作り」もお気持ちは分かりますw
立場的にはお辛いものもおありでしょうが、そういった発信は学会における「異物」としてとても重要なのだと思います。
「異物」が入ることで「当たり前」が「当たり前」でなくなる。その結果、起こりえなかったディスカッションが産まれる…。
某マンガの台詞なんですけどねw
学会の場合、ディスカッションまでなかなか行けないのが何とも難しいところですが。
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流れ星さんへ (クロ)
2012-06-10 12:04:47
流れ星さんへ

流れ星さんもオウムの番組、ご覧になったのですね。
オウムのサリン事件が起こったとき、多くの国民は日本にこんな危険な宗教団体があるなんてと驚愕したことでしょう。
私もびっくりしました。海外のドラマとか映画みたいに思えました。
問題のある新興宗教など、霊感商法くらいしか認識してなかったですから。
しかし、紛れもない現実で…。

そして今は、こうして創価学会の闇も知ることになり、それがオウムなど比べ物にならないほどの深く広い闇であると知っていくことになりました。
創価学会のこともやはり、最初はあまりの現実に驚愕しました。
「日本終わってるやん…」くらいの絶望感でしたね。
少し時間が経った今ならば分かるのですが、オウムのときと同じく、前知識があまりにもなさ過ぎてすぐに現実と受け入れられない。
冷静に客観的に捉えることが難しいんですよね。
これから学会の問題が表面化していくとき、それが徐々にであるか一気にであるかは、誰にも分かりません。
学会難民が流れ込む一般社会にこそ、冷静に客観的に受け止めてもらわなければならないわけで、そのためには前知識が重要なのだと思います。
というわけで、学会は自分たちのためにもメディア支配を少し弱めるべきですね。

女子部の大幹部さんのお話。
今なら興味津々ですよね。
矢野氏らにも通ずるところですが、実際に池田氏の近くにあった方々は、疑問を抱く人が多いようですね。
そのために池田氏も、自身への忠信を試すべく様々な行為を強いていたようですが。
そうしてイエスマンが残る、と…。


>よくよく想うと、あのときの縁があり、いまのわたしがあるような気がするんです。。
>無駄なことなんてないですよね。。

本当に。
きっかけはささいなことだったり、あるいは「きっかけ」だったと気づくのに時間がかかったりもします。
いえ、「きっかけ」の存在に最後まで気づかないこともあるでしょう。
けれど人間は、生かされているわけで、遠くの顔も名前も知らない人たちのお陰だったり、意識の端にも止めない自然の恩恵だったり、そういったもので生きていられるんですよね。
そのことを謙虚に受け止められれば、きっと人生もっと心豊かに幸せになることでしょう。
人間の縁も同じですね。
自分と違う意見の人でも、それが人生の幅を広げてくれる。
だから、広がった幅から見える景色で気づくこともある。
それでこそ、人生楽しいものになるんですから。学会はこの人生の楽しみを狭める努力ばっかりですが、河童さんのような方が視界を広げてくださった人たちはきっと、いずれ違う景色があることに気づいてくれると思います。
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