ユニバーサル開発設計事務所のブログ

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草戸千軒ビレッジの紹介

2019-01-03 10:07:51 | Weblog
「広報ふくやま1月号」P9の「まちづくり活動などを紹介します」のTOPバッターに「草戸千軒ビレッジ」を掲載してもらい、恐縮しています(写真)。
思い起こせば平成18年から活動を開始した地域ボランティア活動も今年で14年目を迎えます。地域性を考え最初は牛歩のごとく慎重に活動を起こし、平成24年に「草戸・川西歴史街道」を立ち上げ、すぐ続いて「明王院を愛する会」を設立、「なぜ明王院ばかりするのだ」という意見や明王院さんの意向も取り入れ、3年前の福山市市制施行100周年記念の7月1日に「草戸千軒ビレッジ」を立ち上げました。
この時は、「鞆や神辺は金のにおいがするが、草戸千軒はそれがない。頑張ってくれ」と言う激励や昨年DVD[幻の町草戸千軒]を制作したときも、大変な人気で多くの方から感動の手紙やメールを頂きました。
福山のルーツ草戸千軒を、五木寛之さんは著書「百寺巡礼」の中で
「この明王院の本堂には、あちこちに独創的で斬新(ざんしん)なデザインが見られる。
中略
 おそらく、鎌倉末期の京都では、すでに社寺建築のスタイルが決まりきったものになっていたのだろう。こうしなければいけない、という暗黙のルールができていたのかもしれない。
 そのなかで、野心のある匠(たくみ)たちはそれに飽き足らず、なんとかしてその枠(わく)を打ち壊したい、と思っていたことだろう。
 そこで、彼らは明王院の伽藍新築の話を聞きつけて、草戸千軒と呼ばれるこの地に続々と集まってきたのではあるまいか。ここでは、がんじがらめになっていた伝統や様式から脱して、先駆的で革新的なものを創造することが可能だったからだ。
 少し大げさにいえば、あたかも中世のフィレンツェのような都市の息吹(いぶき)が、この山陽地方の瀬戸内一帯に沸(わ)き立っていたように思われる」と書いておられる。
一市民として、この文章に感動した私は、五木寛之さんの了解を得て、明王院下に文学碑「草戸千軒とフィレンツェ」を昨年建立した。さらに草戸千軒の説明看板も立てた。
 倉敷に住む中学一年の孫が、草戸千軒の事が「中世の町並み」として社会の教科書に載っているとコピーを、一昨日もってきてくれた。
 福山市民が威張れる草戸千軒が我々の僅かではあるが地味な力で全国に広がり、福山に来た人が、「川の下か、何にもないのか」と言わせないよう、草戸千軒ビレッジとしても川をみてイメージが広がるようなガイドをし、記憶に残るような活動してきたい。
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