右近の日々是好日。

障害者グループホームで働いています。

「語りにくさ その2」

2019-12-29 01:17:41 | 私の社会時評
 人間はしばしば、他の人間との分断や、場に合わない人間と評価されることへの怖れから、自分が生きる状況に対する沈黙を強化して、社会的強者の横暴を許容することがあります。自分が生きる状況に対する沈黙を強化していることが、社会的強者の横暴の許容につながっている状況に対抗し、言葉による表現を継続し、社会的強者の横暴を許容する状況に対する異議申し立てを行う力量を強く豊かにすることが大切です。


 人間はしばしば、自分が生きる状況に対しておかしいと思うことを性急に言葉で表現しようとして、悪い意味での常識的見解を再生産する言葉を用いる場合があります。自分が生きる状況にたいして異議申し立てを行うためには、状況に対するおかしいという思いを、自分の問題意識として育てる過程を経る努力を継続することが大切です。言葉による表現を継続することを、状況に対するおかしいという思いを自分の問題意識として育てる過程を経る努力を継続することと関わらせていくことが重要です。


『世界』2018年10月号に掲載されているY氏のルポ「語りにくさと子どもたち-原発事故の時、私は小学生だった」では、他の人間との分断や、場に合わない人間と評価されることへの怖れから、自分が生きる状況に対する沈黙を強化していることが、社会的強者の横暴の許容につながっている状況に対抗し、言葉による表現を継続し、社会的強者の横暴を許容する状況に対する異議申し立てを行うことが大切だと論じています。


 現在の日本社会では、状況に対する不安から、充分な用意や準備がなく多量の言葉が放出され、言葉の基礎となる意識が痩せてしまい、不毛な言語表現に対する疲弊から、言葉が連帯を強化するものではなく、他の人間との分断を強化するものに変質している状況があります。社会的強者の横暴を許容する状況に対して沈黙することは望ましくありません。一方、自分のおかしいという思いを、自分の問題意識として育てる過程としての沈黙を経ることは必要です。沈黙と状況との関わりを吟味し、自分のおかしいという思いを、自分の問題意識として育てる過程としての沈黙を経て、自分と他の人間が連帯して社会的強者の横暴に対して異議申し立てを行うための言葉を回復する力量を強く豊かにすることが大切です。
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