おじんの放課後

仕事帰りの僕の遊び。創成川の近所をウロウロ。変わり行く故郷、札幌を懐かしみつつ。ホテルのメモは、また行くときの参考に。

燃える雨

2024年06月08日 | 小金井充の

 真っ赤に燃える無数の魂が、真っ暗な空から、雷雨の如くに降り注ぐ、この地上の頂で、ひとりの僧侶は、地にあぐらをかき、長大な数珠をもみつつ、一心に念仏を唱えおり、またひとりの司祭は、十字架を高くかかげ、残る片手は大きく懐を開いて、落ちかかる、全ての魂を迎えんとしている。

 この地獄の光景を、このふたり以外の誰が見たのであろうか。遠く街は、いつものようにきらめく光を放ち、その騒音は、ここまでも聞こえ来るほどだ。相変わらずの日常が、その光と音との洪水のなかにある。それに比べたら、この燃え盛る魂の光も、その発する轟音も、どれほどのものか。

 僧侶がカッと目を見開き、念仏をやめる。長大な数珠を片手で握り締め、大きくその腕を振って、数珠を地面に叩きつけた。糸が切れ、玉が飛び散らばる。その一粒一粒が、落ちてくる魂のひとつひとつを打つ。真っ赤に焼けた鉄の玉に弾丸が打ち込まれるが如く、玉は個々の魂にめり込んでいき、溶けて、白く輝く塊となった。

 「生きよ!」と、僧侶が叫ぶ。その叫びに応じて、白く輝く塊は人の形を成し、遠く街の上へと降り注ぐ。「おぎゃあ!」と、大きな産声が、ただ一度だけ虚空を揺るがした。もはや暗闇はなく、美しい星空が、ふたりの上に開ける。

 「今夜は俺の勝ちだ。」僧侶は立ち上がり、司祭の醤油顔を睨んで、ニヤリと笑う。が、司祭も負けてはいない。僧侶のソース顔を一瞥して、ふっと笑って見せた。

 「ご覧なさい。あなたはどこを見ていたのですか。」そう言って司祭は、自分の胸をはだける。そこには、無数の血の十字架が、刻みつけられていた。「あなたの二倍、いや三倍はあるでしょう。」司祭は、さも得意気にそう言って、僧侶のソース顔を横目で見やる。

 「嫌な奴だ!嫌な奴だ!」僧侶は両手を握り締めて、いきりたって、地団駄を踏んだ。その様子を、司祭は、さも面白そうに眺める。どこか、天のはるかな高みから、ギギギィと、重々しく扉の閉まる音が響き来たった。

 「次は負けん。覚えておけ。」僧侶は身をひるがえし、もう頂を降りにかかる。逃げしなに、覚えていろは何とやらと、司祭は心の内に思って、僧侶の、哀愁すらをも感じさせる、その背中に、ほくそ笑んだ。そして、遠く輝く、街の光に目を移し、あたかも、いとし子をいつくしむかのような眼差しでもって、その踊る光の輝きを、飽きもせず、眺め続けた。

 司祭は目を閉じ、そして目を開くと、その街の大通りにいた。真夜中だろうが平日だろうが、車の通りが止むことはない。その大通りの、ど真ん中に、突然、白いベールを着た醤油顔の人物が立ったので、当然ながら、周りは騒然となった。鋭いクラクションが鳴り響き、追突する車、避けきれずに横転する車。フロントガラスがドンという音とともに飛び散り、歩道を歩く人々めがけて降り注ぐ。シートベルトをしていない何人かが、カエルのように空を飛んだ。それらの人々すべての目と指先とが、道の真ん中に立ち尽くす、醤油顔の人物を刺し貫く。お前は何だ?、なぜそこにいる?、どこのどいつだ?、そんな、声にならない疑問を、ひしひしと感じて、司祭はスッと片手をあげ、叫んだ。

 「淘汰されてはいけない!」司祭は、もっと私に注目しろと言うように、そこで言葉を切った。群衆の集中度が、いやがうえにも高まるのを感じて、司祭は大いに満足した。「あなたたちの内に、身重のひとはいますか。妊娠しているひとはいますか。今日、あなたたちの元に、子供たちが行った。その子たちが、淘汰されることがあってはいけない。淘汰されるべき私たちが生き延びていくには、淘汰されるべき子供らが、淘汰されてはならないのです!。わたしたちは、なんとしても、頭かずを減らしてはならない!。数の力しか知らないわたしたちが生きていくには、絶対に、頭かずを減らしてはいけないのです!」

 上空にはヘリが飛び交い、指向性マイクとイコライザとを駆使して、その醤油顔の人物の生の声を、細大もらさず収録する。と、その人物の姿が、忽然と消え去り、それを見た周りの人々は、本当に引いてしまって、黙りこくった。その一部始終を報じる動画が、マスコミによって全世界に向けて公表せられ、各国首脳は、拍手をもって、その見知らぬ醤油顔の人物の生の声を、賞賛した。

 「これが聖戦でなくて、なんであろう!」戦う相手を、間違えてはならないと、とある国の首脳は、演題に立って、テレビの前の聴衆に向かって、声をふるわせて言った。これを、この見知らぬ醤油顔の人物の言葉を聞いて、自分がどんなに感動しているかというのを、自身の声で伝えようということらしい。その感動が本物であることを、他国の首脳はみな、自分自身のことであるかのように思って、涙を流したものだ。

 そんなことなど、つゆも知らずに、地球は今日も、のうのうと回り続ける。あらゆる生きものの不安を乗せて。しかしそうして、この星が無関心でいられる、責任を回避していられる時代にも、ついに、終わりが来たのだ。

 それは例えば、カオスに関する簡単な実験からさえも、十分に、予期せられるべき終わりであった。いわゆる「パイこね」のような、単純な作業でも、カオスは再現されうることは、何世紀も昔に知れていた。カオスが取りうる値というのは、なぜかある一時期、一箇所に集まって安定化することがあり、またある時期に、なぜかは分からないが、その安定した状態から突然、まったく別の、飛び離れた値に拡散してしまったりする。この現在の恒常的な環境も同じだ。突然、まったく何の前触れもなく、ものすごく不安定な時期へと移行する。

 「はい、ナレーションさん、ご苦労さん。」僧侶が、上半身をニュッと伸ばすようにして、カオスの説明図の下隅から、斜めに割り込んでくる。実は、この僧侶もまた、この星の終わりについて、早くから勘づいていたのだが。

 「はいはい。もういいから。」僧侶は、面倒くさそうに片手をふって、ナレーションの声を追い立てる。「頑張ったって規定の給料しか出ないんだから。」パンパンと、僧侶は両手を払って、その両手を両の腿になすりつけ、今度こそ、厄介払いをした。

 「えー、テレビの前のみんな、俺が突然出てきて、驚いてるかな。」僧侶の濃いソース顔が、ヒゲの生え際さえも見えるほど、テレビの画面いっぱいに迫る。

 「ちょっと、子供泣かしては駄目ですよ。」司祭の声がする。えっという顔で、僧侶のソース顔が画面から離れ、声のしたほうを睨む。司祭の醤油顔が、テレビの前の聴衆に向かって親しげに手をふりながら、僧侶のソース顔を押しのけつつ、あらわれる。背後で、あれ誰?、誰か呼んだ?、この間の事故のか?、スクープじゃん!、などと混乱するスタジオの声。

 「ほら。あなたより、わたしのが有名ですよ。」マイクを持たないほうの手で、なんとなく僧侶を指し、なんとなく自分を指して、さも満足気にニッコリと微笑む司祭の顔が、画面いっぱいに映る。

 「出たー!」と、画面の外で誰かの小さな叫び。「速報値だけど八十八パーセント!はちじゅうはちぃ!」という、狂気のように裏返った声が続く。

 「視聴率な。」と、僧侶が声だけで、そっけなく言う。画面が引かれ、司祭の醤油顔と、僧侶のソース顔とが、並んで映る。二人は、互いの顔を見合わせたが。しかしめずらしく、僧侶が司祭の肩を小突いて、出番を譲った。

 「へぇ。素直じゃないの。」司祭が、本気で驚いたような顔で、しみじみと僧侶に言う。僧侶は、なんだか照れくさいような、ニタッとした顔をして、片手で頭をかいてみせた。「じゃあ、わたしから。」司祭が居直る。画面も司祭の側へ寄る。

 「うーんと。突然、ショッキングな話だと思いますが。この星は、もうすぐ終わります。終わるというのは、実際には、物理学的にか、生物学的にか、消滅するということですが。」

 「はぁ?」先に、聖戦と言った首脳が、口をあんぐりとあけて、画面の司祭を見ている。お前、我々が淘汰されちゃいかんと、言っただろ。それをお前とでも、言いたげな口元だ。

 「あー、そこの、首脳さん。そうです確かに、わたし、淘汰されてはダメだと言いました。それがわたしの務めですから。あなたたち人類の信仰は、わたしらが務めをきっちりと果たしてこそです。けっして裏切りません。これは先祖からの契約なので。わたしらもそれで飯食ってる。」司祭は、画面に向かって、ニッコリと微笑みかける。

 「さっさと本題に行けって。」横から、僧侶がツッコミを入れる。「放送時間なくなってきてっぞ。」ほらと言う具合に、僧侶が画面の外の時計を指差してやる。

 「あらら。急がないと……。」司祭が居ずまいを正すと、画面も再び、司祭の側へ寄る。「でも、もう伝えることは伝えましたからね。わたしらのお仕事はそこまで。あとのことは、みなさんでどうぞ。」

 「またそんな。いい加減な奴だな。」僧侶が司祭の肩を小突く。しかしマイクは自分の口元から離さない。画面の向こうへ向き直って、僧侶は、下から上へ、ぐるりと腕を回すように、大げさに合掌して見せた。「ではみなさん、さようなら。」フッと、二人の姿が、画面から消えうせる。

 「我々は、自然と闘い、自然に勝つために、頭かずを、頭かずだけを、武器としてきた。」先に聖戦と言った首脳が、司祭らの消えた画面を、まるで吸い込まれるように凝視しながら、ぼそりと、つぶやいた。「ほかにやりようがない。」

 「我々に教えてくれたのでは。」黒い背広を、ビシッと身にまとった側近が、首脳の耳元で囁く。「この星が終わるということを、先んじて、我々に教えてくれたとしたら。我々は、期待されているということでは、ないでしょうか。」

 「期待、されている、とは?」首脳は、夢のように呟いた。まだ画面に見入ったまま、画面の向こうの混乱を、定まらない目線で見ている。そして今度は、自分の言葉で、「そうだ。期待されているのだ。」と、首脳はまず、自分に聞かせるとでもいう具合に、力強く、そう言いなおした。画面の向こうから、音だけ、思い出したように「そうだ」と、他国の首脳らの言う声が、かすかに聞こえた。その声に応じて、首脳はもう一度、改めて、「そうだ!」と、ほとんど叫ぶように言った。「我々人類は、間違っていなかったのだ。誰も、灰の上に座る必要などないのだ。」画面の向こうから、鳴り止まない拍手が聞こえてくる。首脳は目尻をぬぐった。「そうだ。たとえ、我々が間違っていたとしても、後悔など、する必要はないのだ。」

 デスクでベルが鳴った。科学相からのホットライン。先の側近が、小走りに、受話器を上げに行く。二言、三言話して、側近は、耳から受話器を離した。「首脳、まずは隕石からです。」

 「よぅし、来てみろ!」首脳は。片腕でガッツポーズをして、もう片方の手で、その二の腕を受け止める。「始まるぞぉ。前代未聞の、感動の、人類の、本物の共同戦線が。」前の、どんな首脳も、経験したことのない。経験したいと思ったけれども、できなかったことが、これから、自分の代で、始まるのだ。そう考えると、首脳は、ウキウキしないわけには、いかなかった。ほどなく、国家間のホットラインが鳴りだす。そうだ。我々は、生き延びることを、期待されているのだ。首脳の声にも、おのずと力が込もる。

 ひとりの、車椅子に座った学者が、これも側近のひとりではあるが、部屋の隅へと引きこもって、その見たこともない、首脳のハッスルぶりを、黙って観察している。その首脳の姿は、この車椅子に座った学者が見たいと思ったこととは、まったく、正反対の姿であった。

 デスクにふんぞりかえって、自信満々の首脳の元へ、各国から次々と、進行状況の知らせが入る。成り行きとはいえ、今や首脳は、世界のリーダー的地位にあったから、本人としてみれば、どうしても顔がニヤけてしょうがない。

 しかしその、首脳の余裕しゃくしゃくっぷりが、ある電話を境に消失し、首脳が、先の黒服の側近と、おでこを突き合わせだすやいなや。車椅子に座った学者の瞳に、消えたはずの光が、かすかに取り戻されて。さらに、首脳が、各国からのホットラインに向かい、側近が止めに入るほどの、荒い言葉を発しだすようになってくると、車椅子に座った学者は、とうとう、部屋の隅からその姿をあらわして、部屋の中央の、天井から明るい光が降り注ぐところへすらも、そのタイヤを踏み入れるまでになっていた。

 「あ、博士……。」存在を忘れていたというくらい、驚いた首脳と側近の顔を見て、車椅子に座った学者は、思わず微笑んだ。

 「どうですかな。」学者は、静かに、車椅子のブレーキをかけた。首脳らの顔色を見れば、もう、部屋の隅へ引きこもることにはなるまいと、学者はこれまでの観察から、確信していた。

 嫌な野郎だという顔をして、首脳は、自分の座る椅子の、床からのわずかな高まりの向こうから、この学者の顔を見下ろした。空軍からのホットラインが鳴る。首脳は、まったく予期していなかったふうで、ビクッとして、あやうく、その受話器を取り落とすところだった。「私だ。なに?」と言って、首脳は、黒服の側近と、不安な顔を見合わせ、次に二人ともが、車椅子に座る学者に向けて、頼むというような目線を向けてきた。その様子を見て、学者はもう、何が始まろうとしているのかを理解した。

 「首脳、残念ですが、避難は、間に合わないでしょうな。」学者はそこで、言葉を切り、指を三本、額にあてて、考えていたが。にわかに顔をあげて、こう首脳らに伝えた。「あなたのご家族、側近のかたのご家族、ご親族、医師、看護人、技術者、教員、冒険者、芸人。わずかなひとたちだけを、突然、迎えに行くことです。絶対に、このことを漏らしてはならない。そのほうが、国民にとって、幸せです。終わりは、飲み食い、めとりなどしているうちに来るほうが、幸せですな。もうどうやっても、全員を、1つの村の住人全てですら、避難させるのは無理なのですから。」

 「あなたは、楽しそうですね。」黒服の側近が、車椅子に座る学者の前に進み出て、腰をかがめて、そう言った。「でも、この世がある限り、あなたは、このかたの側近のひとりです。どうか、私たちと一緒に、頭を悩ませてください。あなたは、この方面の権威でいらっしゃるのですから。私たちに、私たちが助かるための、どんなヒントでも、与えてください。」

 「もちろんです。」と、学者は、深く、うなずいた。「私が楽しそうに見えるとすれば、それは、やっと、みなさんのお役に立てる時が来たからです。この世のある限り、私もとことん、みなさんと一緒に行きたいと思っていますよ。私を評価してくださり、手をかけてくださったのは、この世のほかには、なかったのですからね。ですが、先ほどお話ししたことだけが、今から可能なことだと、改めて、申しましょう。私は、それ以上のことは、思いつきません。」

 「ありがとうございます。」黒服の側近は、自分と同じ、側近の地位にある学者に向かって、軽く会釈をした。そして、首脳のほうへと向き直り、その目を真っ直ぐに見て言った。「首脳、急ぎましょう。失う時間はもう、ありません。私も、この世がある限り、首脳に、喜んで、お仕えいたします。」


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