ういちゃんねる の残党達 in Blog

お笑い芸人話&自作の漫画公開&週刊少年ジャンプ投稿話。

★うい郎のNetデビュー記★

2001年03月19日 | 過去日記(エッセイ等)
俺がインターネットをやる為にパソコンを購入したのは2000年の3月だった。
それまでキーボードさえもロクに打てなかったので結構無謀な買い物だったかな?と
考えたがじきに慣れるだろうと安易に考えていた。

少々苦戦した後、インターネットという世界に飛び込んだ。

友人にヤフーのアドレスを教えてもらい
初めてのネットサーフィンだ♪

まずは芸能人を扱っているサイトに行き
Myパソコンの壁紙用の画像を取って来て楽しんでいた。

数日間は壁紙収集で楽しんでいたのだが
やはりそれだけでは飽きてしまう。
もっと違う面白いHPは無いものか?と考えた結果ある事を思い出した。

俺は「網輪うい郎」というPNで集英社の週刊少年ジャンプで連載されていた
「ジャンプ放送局」「ジャンポスト」「ハガキ戦士・ジャンプ団」に
投稿をしていたのだ!「ハガキ戦士・ジャンプ団」では8位にもなったことがある。

このHPを探してみよう!

そう考えた俺は早速ヤフーで検索してみる。
しかしどんな入力方法でも検出結果は0件だ。

そんなHPは無いのだろうと諦めていた時、ある事を思い出した。
入力方法である。俺はなんと検索の欄に[janpudan]と半角英字入力していたのだ。
そんな入力方法ではさすがのヤフーも検索してくれる訳が無い。

改めて[ジャンプ団]と入力すると・・・

はい、出ました出ました!「ジャンプ団の歩き方」というHPが検出されました♪
ココでやっと入力変換を覚えたパソコン超初心者の俺であった・・・。
どう考えても前途多難は明白である。


ヤフーで検索した「ジャンプ団の歩き方」はジャンプ団投稿者が集まる巨大サイトだった。
早速、掲示板に「インターネット始めました。」と書き込み後日その掲示板を覗いて見ると
俺の事をジャンプで知ってくれいた投稿者から続々とレスがなされていた。

ただのネット初心者からジャンプ団の「網輪うい郎」という出世したのだ。

ただのネット初心者から始まっていたならば、ここまでネットにハマらなかったかもしれない。
とにかく俺の中でのネットの印象は好印象であり居心地の良いものとなった。


順調にネットの世界を歩き回り、楽しんでいた俺に非常事態が起こる。
Myパソコンが何らかの理由でネットが出来ないカラダになってしまったのだ。

何事も順調に行っていたのにココでのパソコンの不都合には
かなり参った。せっかく楽しくネットの世界を回っていたのに
何故に俺からネットを奪う?

こうしてネットが出来ないMyパソコンは暫しの眠りについた。


2週間後、放置しておいたMyパソコンを見てもらう為
パソコンを約6,7年前から愛用している友人に直してもらい
久しぶりにネットの世界に帰って来た。

ジャンプ団の掲示板でフッシーという投稿者と仲良くなり
掲示板でよく書き込みしたりたまにチャットで話したりした。

チャットデビューの時もかなり緊張した。
超パソコン初心者の俺が文字で会話が出来るのだろうか?
ビクビクしながらキーボードを叩いたものだ。そりゃあ冷や汗モノだった。

そうして、人のHPを回っているとHPを作成したくなって来た。
でもHTMLなど知る由も無い俺はムリだと思い諦めたのであった。


ネット生活が始まって二ヶ月が経とうとしていたある日
「Gaiax簡単HP作成」という広告が目に入った。

なんと無料で!それもたった5分で自分のHPが作成出来る!というのだ。
まだネット初心者の俺は無料でHPが作れるとは知らなかった。

早速試しに申し込んでみる。そしてあっという間に
自分のHPが出来てしまったのだ。

まだ何をするのか決まってないのにHPの形だけは完成したのだ。
Gaiaxの簡単HPはHTMLの使い方が分からなくても
指定された欄に文章を打ち込むだけで反映されるので容易であった。

まずはタイトルを決めよう!
俺は散々悩んだ結果、自分のHNをタイトルに入れたい。
辞典のような内容豊かなHPにしたいという事で「網輪辞典」にした。

でもこれだけでは寂しい気がしたので丁度ミレニアムで
2000年ムード一色だったし語呂が良いと思い
「網輪辞典2000」に決定した。

あとは内容だ。この頃の俺は「他人の日記なんか読んでも面白くない!」
という考えだったので日記は廃止!読み物としてエッセイを書く事にした。

エッセイなら毎日更新しなくても良いし、何よりいつ読んでも
楽しめるからだ。我ながら名案だと納得し俺のズッコケ話を書き始めた。

こうしてHPを作成し益々ネットの世界にのめり込むのであった。

幻の丸坊主。

2001年03月11日 | 過去日記(エッセイ等)
変な夢を見た。

美容師見習いの人に練習の為髪の毛を切らせてくれとお願いされる夢だ。
それも髪の毛を切らせてくれると5万円くれるという好条件だ。
さすが夢の中のお話である。

しかし髪型は丸坊主。5万円で丸坊主なら良いと思ったが
夢の中での私は丸坊主になるのにかなり抵抗があるらしく
もし丸坊主になったら・・・・・・。と想像した。

夢の中の俺は「もしもドラマ」が展開されるのであった。
「もしもドラマ」の中では実家に帰った私が両親と妹に会っているシーンや、
意外と丸坊主が似合い人気者になっている私など、丸坊主によって受ける
様々なエピソードが展開されていくのである。

3日ほど悩んだ挙句、丸坊主になる決意をした私は
その美容師見習いの元へ行った。そして美容師見習いの目の前で

「俺を丸坊主にして下さい!!」

元気良く叫ぶ俺に、美容師見習いは
「もう人手は間に合いましたからお帰り下さい。」とキッパリ言った。

夢の中でまで優柔不断の私は、まさしく夢の5万円を逃すのであった・・・。

危うし!京都の夜。

2001年03月11日 | 過去日記(エッセイ等)
98年の秋、会社の上司の強制的な誘いで京都の「フィリピンパブ」へ行った。
店に入るや否や「ここは今までの夜のお店とは何か違う!」と私の脳が危険を察知した。

夜のお店には数回行った事があったが、私の脳が危険を察知した事はなかった。
店の中は薄暗く、カラオケが高々と響いていた。ココまでは普通である。

私達が行った事のある夜のお店とは、俗にラウンジと呼ばれる若いお姉ちゃんの居る
賑やかな場所であり、そこでは結構いい思いもしたので上司の誘いに軽く乗っていたのである。

しかしそのフィリピンパブには残念ながら若いお姉ちゃんといったら
自称26歳の女性のみであった。あとは30代のママとその一味で構成されていた。

盛り上がろうにも盛り上がれない状況に、私はただカラオケを熱唱するだけが
唯一の楽しむ方法であり、自称26歳のフィリピーナをしきりに口説いている
上司を横目に時間の過ぎ去るのを待つだけだと自分に言い聞かせていた・・・。

入店から、2時間が過ぎようとしていた頃
私達の前にフィリピン出身のダンサーらしき男が我々の席に来た。名前は「ロメオ」というらしい。
ママの話と、ダンサーの身なりと仕草から推測するにこのダンサーはホモセクシャルだ。

そしてどういう訳か我々の席を離れようとはしないのである。

はじめはこのホモダンサー・ロメオの事が面白かったので
普通に話していたのだが、慣れてくるとホモダンサー・ロメオは「コノ子カワイイ!」と
私の手をしきりに触りベタベタとくっついてくるではないか!!

どうやら私の事が“お気に入り”らしい。はっきり言って嬉しくない。

次第にホモダンサーの事が不信に思ってきた頃、店内にダンスミュージックが流れだした。
踊る気なんてサラサラ無い私をホモダンサー・ロメオは無理矢理引っ張り
私は「お代官様!あ~れ~~・・・」という感じで踊らされた。

ホモダンサーとヤバイ状況に追いやられてゆく私を尻目に上司は
年増のフィリピーナと旨い酒を飲んでいる。
どこでこの大きな差が生じたのであろうか?そう考えていると
ホモダンサー・ロメオが私を外に連れ出そうとしてきた。

「なんだろう?」と思いつつも、外に出てみると外はすっかり明るくなっていた。
そしてホモダンサー・ロメオは私にタクシーに乗る事を薦めてきた。

そこで私はハッとした!「コイツ俺を“お持ち帰り”する気だ!!!!」
知らない間に私は窮地に追い込まれていたのだ!!
ここでタクシーに乗ってしまったら一巻の終わりである!

必死でホモダンサー・ロメオから逃げ出そうとするのだが
ホモといえど相手は男だ力がハンパではない!
私は「だめだ!だめだ!!」と血相を変えながら訴え15分の小競り合いの末、解放されたのであった。

あのままタクシーに乗りどこかへ連れて行かれたらきっと取り返しのつかない状況に
陥っていただろうという事は火を見るより明らかであろう。

そしてこの惨事を聞いて上司はただただ爆笑するのみであった・・・。