ういちゃんねる の残党達 in Blog

お笑い芸人話&自作の漫画公開&週刊少年ジャンプ投稿話。

自分好き。

2000年08月30日 | 過去日記(エッセイ等)
よく、自分の事が嫌いだと言う人がいる。
容姿や、性格など嫌いな所は人それぞれだが、私は自分の事が好きである。

別に何が人より優れているわけでもないし
容姿が良い訳でも、頭が良いわけでもない。
特に異性からキャーキャー言われるわけでもないが
私は自分が好きである。
「自分の事を好きになれないで、他人を好きになれない」とまで思う。

だから自分が製作したものを眺めるのが好きである。
ホームページや、イラスト、写真、自分に関するものなら
結構長い時間見ている。

そして「いいねぇ~俺。」と、自分自身を誉めるのだ。

自意識過剰だと人に言われても全く気にしない。
なぜなら私は自分が好きだからだ。

この自分好きの兆候は、幼い頃からあったような気がする。

人の注目している所で、わざと面白いことを言い
大勢を笑わせる事もよくしていた。
大勢の人が、私の発言で笑っている・・・
「大勢を笑わせている」という事をした自分がまた好きなのである。

自分の事を卑下し、自分を無能な人間だと思い込んでいるアナタ!
いつもとはちょっと違う視点で、自分を見てみてはいかがだろうか?

なにも才能を見つけろとは言わない。
大切な事は、自分を少しでも好きになる事で
自分に自信を持つ事である。と言いたい。

しかし、度が過ぎるとバカ呼ばわりされてしまうから注意も必要である。
という事も頭に入れておく事も大切だ。

祖母の誕生日。

2000年08月28日 | 過去日記(エッセイ等)
私には、母方の祖母がいる。
父方の祖父母は私が生まれるとうの昔に亡くなっており
母方の祖父は、離婚してるのでいない。

私の実家は佐賀県の片田舎にあり、正月やお盆になると
ここよりも多少栄えている、佐賀市内の祖母の家に親類が集まるのである。

祖母は寿司屋を営んでおり、祖母の家に行くと私はいつも必ず
好物の「シーチキン巻」と「納豆巻」を思う存分、頬張っていた。
もし私が「ウニ」とか「いくら」などが好きで食べまくっていたら祖母は大変だ。

祖母の寿司屋は、夏になると「かき氷」や「ところてん」
冬になると「回転焼き」そして季節に関係無く「うどん」や「ラーメン」
など、ちょっとした『和風ファーストフードショップ』のような経営をしていた。

祖母の寿司屋は、高校の目の前にあり、夕方になると
下校途中の学生の、軽食の場になっていた。
分かりやすく言えば、祖母の寿司屋は「マクドナルド」のようなものであろう
狭い店内に、野球部やラグビー部の野郎達が
ごった返している光景は圧巻である。

しかし、頼もしい事に祖母はとにかく元気である。
寿司の出前注文があれば、自転車を軽快に走らせ持っていくし
食べ盛りの団体高校生の寿司や、ところてんの注文にもせっせとさばいていた。

たまに世話やき女房的な女子高生が、洗い物などを手伝っていた。
とても心温まる光景である。

祖母は高校生に人気があった。買物に出かけている時も
道行く卒業生が「おばちゃん、こんにちは」と声を掛けてくる
それに対し祖母も優しく会釈をする。

私はこんな祖母の家に行くのが好きでたまらなかった。
小学6年生の頃は、一人バスに乗り週末は祖母の家で過ごしていた。
祖母の家に行くと、好きな物が食い放題であるし
夜になると、なんとなく母の味に似た料理が食べる事ができ
山奥にある実家では見る事のできないTV番組を見れる。

何より、私はとても「おばあちゃんっ子」であるので
祖母に会える事が楽しみなのである。

小学3年生のお盆、私たち家族は例の様に祖母の家に訪問していた。
祖母の誕生日が8月16日である為、私は何か誕生日プレゼントを贈ろうと考えた。

無け無しのお小遣いで「誕生日のプレゼント」を購入し祖母に渡した。

私が祖母にプレゼントした物とは「シーチキンの缶詰」であった。

私はその「プレゼント」で祖母に作ってもらった
「シーチキン巻」を食べ空腹を満たしたのである。

なんとバカげた話しであろうか?

これと同様に「母の日のプレゼントを買うから」という理由で
母からお小遣いを、せびり取ったりした事もある。

しかし、こんな行動をする孫でもカワイイらしく
祖母は自分が貰ったプレゼントを、プレゼントを渡したバカ孫のために
「シーチキン巻」を作ってくれる祖母が大好きである。

調子に乗った料理師免許試験前日。

2000年08月23日 | 過去日記(エッセイ等)
20歳の秋、私は調理師免許を取得する事にした。
二日間の講習を受けた後、半月後に試験がある。

試験を京都で受ける為、講習も京都で行われる。
私と会社の先輩Hサンは、仕事の公休日を利用して
兵庫県から京都に講習を受けに行く事にした。

一日目は、眠い目を擦りながら
うたた寝しつつも、なんとか講習を終えた。

基本的に勉強などは嫌いだし、社会人になってからというもの
机に向かって勉強する事なんて無くなっている
ぐうたらな私にとって、講習は苦痛なのである。

この講習でも、試験に出るであろうという所に
アンダーラインを、ただ引くだけの作業しかしていなかった。

勉強で何が一番苦手かと、聞かれたら
「数学」が苦手である。苦手というより理解できなかった。
高校の数学の単位を取れたのは、ノート提出が完璧であったからである。

ノートには完璧に記録されているのだが、私の脳には、これっぽっちの
方程式も存在していなかった。

小学3年生の頃から、算数を理解しようとさえも思わなくなり
現在に至っているのである。

楽間的に考え、物事を簡単に考えようとする性格は
長所なのか短所なのか判断に苦しむ。

お話しは、講習二日目の朝に戻る

二日目の朝、TVで天気予報を見て驚いた。
なんと、京都は台風接近中の為、大雨が降っており
午後には電車も、運行を見合わせるかもしれないという・・・。

先輩Hサンと、行くか行かざるべきか悩んだ。
そして、先輩が「行くのをやめよう!」と決断。
無理して、辛い講習を受ける必要は無い!と言い解散する事にした。

しかし講習を受けないということは、後半の出題範囲が分からないので
余計に勉強しなくてはならないという事だ。
こういう、なんでも後回しにする性格は、完璧に短所である。

そうこうしている内に、いよいよ試験の前日になった。

試験勉強の最終チェックに、入らなくてはいけないこの夜に
私はなんと不覚にも、別の先輩の誘いにより
居酒屋で飲む事になった。

H先輩は、賢くその誘いには乗らず、まっすぐ帰宅した。

試験前日にもかかわらず、ハイペースで酒を飲みまくるバカな私・・・。
翌日は、午前6時起きなのにもかかわらず
帰宅したのは深夜3時であった。

2時間後、勿論二日酔いの私は寝起きで吐きまくり
顔色は真っ青、胸は苦しく、足元はおぼつかずフラフラしていた。試験当日なのに・・・。
先輩のHサンに、半ば担がれながら京都の試験会場に向かう。

試験の事より、今現在の二日酔いの方が
私にとって最重要項目なのだ。

JRのキヨスクでポカリスエットを購入し
水分補給をしてみる事にした。

そこで私は、ポカリの凄さをまのあたりにするのであった!

500mlのペットボトルを半分飲んだだけで
滝のような汗が出た後、徐々に体力回復しだしたのである。

そして、30分後には
さっきまで、フラフラで試験の事など考えられなかった事がウソのように
驚異的な回復力で奇跡の復活を果たす事に成功したのである。

私にとってポカリは『奇跡の水』になった。

奇跡の水を手に入れた私は、無事に試験会場に辿りつき
悪戦苦闘しながらも、問題に取り組み見事、調理師免許取得に成功したのである。

試験問題も、朝の苦しみに比べればネズミのフンくらいの物である。
かくして「二日酔いで試験に臨み、見事合格した男 伝説」は達成されたのである。

ちなみに、ネズミのフンは胡麻くらいの大きさである。

続・虫歯。

2000年08月18日 | 過去日記(エッセイ等)
以前、私が高校生時代に虫歯と戦ったお話をしたが
今回はその4年後のお話をしたいと思う。

高校生時代に、完全治療した私の24本の歯は
4年の歳月を経ても、虫歯という強敵とは無縁で平和そのものであった。

しかし、その強敵は突然、私の平和ボケした歯に
宣戦布告してきたのである!!

その宣戦布告された歯とは・・・
4年前、ほっぺが漫画に出てくるような腫れ方をするほどの虫歯をつくり
歯医者に「歯が腐っている」と指摘され、挙句の果てに説教までくらった
問題児・右奥歯である。

銀歯で覆い尽くされた”問題児”は見た感じは
普通の歯なのであるが、相当痛い。
ほっぺも今回は腫れていない。

我慢ができる筈も無く翌日、4年ぶりの歯医者に行く事にした。

決戦の日が来た。問題児・右奥歯は依然として
激痛がはしる。痛みは私の脳まで刺激する。
早く何とかしなければ・・・。

恐る恐る、某歯科に入り保険証を提出し
名前を呼ばれるのを待つ。

やがて名前を呼ばれ、歯医者ではお馴染みの治療台に仰向けになり
大きく口を開ける準備をした。

数分後、私の歯を助けて下さる歯医者のお出ましだ。

状態を説明し、大きく口を開ける。
口を大きく開ける練習をした成果を
見せる時が来たとばかりに開口する。

診断によると、4年前治療した歯の中で
炎症を起こしているという事だ。

という事は、触るだけでも激痛を伴う銀歯を
外して、更に神経まで掘り返し、炎症を起こしている場所の
膿を取り除かなくてはならないのである。

先ず、覆い尽くされている銀歯を取る。
私の拳は強く握られている・・・。

次に、銀歯の下の土台である詰め物を
キュゥゥゥィィィン!!でお馴染みのドリルで
その硬い詰め物を、削ってゆく。

何度も言うが、少し触れるだけで激痛を伴う歯である。
私の手は、いつしか神に願いをしているかの如く
ガッチリと組んでいる。

ついに、神経に到達すると同時に
細い針のような物で、深く掘り下げる。

私の手は汗ばみ、こめかみには血管が浮き出ていた。

約1時間の辛く厳しい激闘の末
問題児・右奥歯は殆ど痛みは無くなった。

治療が終わって気付いたが、目にはうっすらと涙が溢れていた。
21歳にして歯医者で、涙を流したのは俺くらいだろう・・。
本当に涙が出るほど痛かったのである。

その歯医者は、腕が良いらしく大変繁盛している為
なんと、通院は1ヶ月に一回で
その歯を完治させるまでに半年もかかってしまうのであった。

暗転!バス旅行。

2000年08月13日 | 過去日記(エッセイ等)
心身ともに健康な私だが、車酔いにはいつも悩まされる。

小学三年生の頃、修学旅行でバスに乗った。

バスの座席が、その頃思いを寄せていたKさんの隣の席に座る事ができて
気分は最高であった。

バスの中では、持ってきたお菓子を食べてよい事になっており
各自、持ち寄ったお菓子を貪(むさぼ)っていた。

私も好きな、Kサンの隣に座れた事も手伝って
ハイテンションになり、本能が命じるままお菓子を食べた。
Kサンとの会話も好調である。

しかし、バスは山道を走りだしたので当然バスは揺れだした。
バスが揺れると、私は案の定、車に酔い具合が悪くなる。

今までは、Kサンに酔っていたが、それとこれとは天と地ほどの差があるのは、火を見るより明らかである。
具合が悪くなると、胸が気持ち悪くなりだし、やがて吐き気をもよおす・・・。
最悪パターンである。

私は好きなKサンの前で、恥をさらす事なんてできないと
自分に言い聞かせ、励ましたが
状態は悪化するばかりだった。

そして、悪魔の使者は喉の奥からやってくる。
嘔吐の連続攻撃だ!

最初は我慢していたが、悪魔の使者はついに喉の筋肉をこじ開けて
この地上に降り立った。

「ゲェェ~~ッッ!!」

最悪である。好きなKサンの前で一番見て欲しくない
醜態をさらしてしまったのだ。

バスの中が騒然となる。が、少々クラスメイトの反応が違う・・・

普通、他人のゲロなんて見たくはない。
自分のゲロであってもいい気はしないのに
何故か私のゲロをみんなが覗きに来る。

私はその直後、その答えをはっきりと知る事になった。

ゲロが全て「チョコレート」だったのである。

私の持ってきたお菓子は何故か
500円のお徳用チョコレートだったのだ!!
よって、私が食べたお菓子はチョコレートオンリーだった。

たまたまその日は、朝食は食べてなかったので
私の胃の中には、チョコレートしか存在してなかったのである。

その日はもう、チョコレートのことを
考えるのがイヤになったのは言うまでもない。

ムカデの恐怖。

2000年08月10日 | 過去日記(エッセイ等)
私の実家のすぐ隣には、山があるので様々な虫たちに遭遇する。
今回のお話は、その虫たちでも害虫に該当する「ムカデ」についてのお話である。

ご存知のとおり、「ムカデ」とは
足がたくさんあり、体は黒く体長は約10cmくらいの生物だ。
お世辞にも可愛らしくは無い。

オマケに私達を噛み、毒を注入し悪行の限りを尽くす害虫である。

この害虫「ムカデ」には、私の家族全員も被害を受けている。
真夏の夜、熟睡している所に「ムカデ」は、寝起きドッキリの
タレントの如く現れ、手や足などに襲いかかるのである。

「ムカデ」に噛まれた者は、悲鳴と共に飛び起き
激痛に耐えつつ、犯人である「ムカデ」を見つけ成敗するのだ。

私の友人Y氏の「ムカデ体験」は恐ろしい。

ある日、いつもの様に風呂に入ろうと、浴槽の蓋を開けると
数10匹の「ムカデ」が、入浴を楽しみつつ死亡していたという・・・。

想像しただけでおぞましい体験である。

夏は実家にとって、害虫達との戦いの季節なのであった。

すぐバチが当たる性分。

2000年08月07日 | 過去日記(エッセイ等)
私は、故意にイタズラや悪い事をすると、すぐバチが当たる。

例えば幼い頃、妹を泣かしたりして母に怒られたかと思うと
タンスの角で、足の小指をぶつけてみたり、
人を貶(おとし)めようとすると、逆に災いが降りかかってきたりする。

この点を考慮すると、自分は悪い事ができない性分だなぁと思うが
社会には、散々悪いことをしてもバチ一つ当たらず
のほほんと、生活している悪代官的な、輩が沢山存在する。

そんな輩達は、目には見えない悪運を兼ね備えているに違いないのである。
私と同じ、悪さをしてもそいつだけは怒られなかったりしてしまう。

イヤラシイ言い方をすると、そいつらが羨ましいとさえ思う事がある。
要領のよさを、生まれつき兼ね備えている人間は社会に出ると得だ。
逆に、世間でいう「正直者」は、損というか
そういう、人間を判別できる人に巡り合わなければ
きっと、「いいひと」だと思われるだけで終りかねないのだ。

人の本質を見極めれる人と、見極めれる人間になりたいと思う。

愛犬と居た日々。

2000年08月06日 | 過去日記(エッセイ等)
私が中学3年生の1月13日に、父が一匹の子犬を連れてきた。
我が家でペットを飼おうという事だ。
子犬といっても別に血統書つきなんかではなく
近所の寄り合いで、行った神社に、たまたまいたノラ犬を
可愛かったので連れてきただけだったのだが
その日から、我が家に家族が一匹増えたのである。

名前を付けようという事になり、家族全員で考えた。
私と、妹は何かハイカラな名前を考えていたのだが

父が「犬の名前はポチだ!!」と
明治か大正、昭和初期頃の犬の名前を平成の世に提案してきた。
勿論、私と妹は猛反対したのだが、

父が幼い頃に、飼っていた犬の名前も「ポチ」で
その次に飼った犬の名前も「ポチ」だから
今度飼う犬も「ポチ」でなければならない。などと
説得力があるのか、無いのかよく分からない事を、力説するので
父の意向どうり、子犬の名前は『ポチ』に決定したのであった。

父はすぐさま、ポチの為に犬小屋を製作し
玄関先にポチは住む事になった。

家族4人は、初めてのペットを可愛がり、私はよく散歩に連れていった。

私と妹は、ポチに自分が家に帰ってきたという事を覚えさせるために
外出先から自転車で帰って来る時は、自転車のベルを「♪チリン、チリン」と
鳴らし、ポチがそのベルに気が付くようになると、頭を撫でたりして誉めてやった。

私が高校受験の時も、ポチのおかげで緊張をほぐしてもらったりした。

拾ってきた時は、子犬だったポチもしばらくすると
大きく成長し、鳴き声も大人の犬の鳴き声になっていった。

私と妹の、帰宅の合図である、自転車のベルの音にも
敏感になり、ベルを聴くとすぐ立ち上がりしっぽを振って近づいてくる。
その姿がまた、愛らしいのである。

日曜になると、近くのホームセンター等で、犬用のビスケットや
あごを鍛える為の「骨ガム」などを、無け無しのお小遣いから
妹と半分ずつ出し合い購入し、ポチに与えていた。

一匹の子犬を飼っただけなのに、一家は和やかになった気がした。

しかし、そんな我が家に悲劇が訪れた。

ポチが交通事故にあったのだ。

以前は、私の日課だったポチとの散歩を怠りがちだったので
父が、夜にポチをクサリから離し、ポチの自由に
散歩させていた。ポチはいつも一定時間、走り回って遊んだ後
我が家に帰って来ていたのだが、この日は車にはねられてしまったのだ。

父が慌ててポチを抱きかかえ、家に連れて帰ったが
内臓破裂しているらしく、もう手遅れだと父が言った。

涙を流し、「クゥン、クゥン・・・」と
泣いた後、ポチは静かに息を引き取った。

私はひどく狼狽し、散歩に連れて行くのを怠った
自分を責めた。

ポチの遺体は、我が家の畑の片隅にひっそりと
埋葬された。

ポチが、いなくなってからも
妹は、学校から自転車で帰ってくるときは
自転車のベルを鳴らす習慣をやめなかった。

妹のベルの音を聞くと、ポチの事を思い出さずには、いられなかった。
それから、我が家ではペットを飼う事はなく
我が家のペットは、永遠にポチなのである。

私的ケチ道。

2000年08月04日 | 過去日記(エッセイ等)
私は、どちらかと言うとケチな方かもしれない。
今回は、私の金銭感覚についてお話しようと思います。

代表的なものは、「山頂や、ホテルではジュースを買わない!」
これは、基本である。
通常なら120円のジュースが、山頂やホテルに入り込んでしまうと
法外な値段を、請求されてしまうのである。
一歩でも、その治外法権的な施設に入ると、私の心に潜む「ケチ魂」が
本領発揮するのである。

なるべく、こういう事がないようにする為に
あらかじめ、飲料水を持参するのが、私の中での基本理念だ。

この販売者による、消費者の足元を見る販売戦略には
断固として立ち向かうべきであると私は考える。

たとえ、喉がカラカラでも、砂漠のど真ん中にでもいない限り
その不透明な金額を払うのは、私のケチ道に反する行為なのだ。

こういう、場所の自動販売機のジュースに限って
250mlの小サイズのジュースしか置いてなかったりする。

通常なら、サービスで500mlでさえも
120円で買える代物が、その半分の量で150円や180円も
取られてしまう事は、我慢ならない。
そして、そういう料金設定がまかり通る
日本自体に疑問を感じずにはいられないのである。

しかし、そんな料金設定もお構いなしにガブガブと
ジュースを買いあさり、あからさまに乾いた喉を潤している人を見ると
私の打ち立てた、ケチ魂が崩れ去りそうになるが、ここは男の見せ所だと
思い、我慢を続けるのだ。
そして我慢をし、通常の料金でジュースを飲んだ時に

妙な優越感に浸る事ができてしまうのである。

私は、ケチというより不器用な頑固者なのかもしれない・・・。

花火の罠!?

2000年08月03日 | 過去日記(エッセイ等)
先日、夏の風物詩である花火を見に行った。

河原で打ち上げられる花火を、運良くすぐ側で見る事ができた。
目の前で打ちあがる花火は、圧巻であったのだが
あまりに近い為、花火の火の粉が私をめがけて
降り注いでくるではないか!!

灰ならともかく、火の粉なので
私は焦り、慌てていたら案の定
私の手元に、高熱の火の粉が落ちてきた!

座っていた、ビニールシートは溶けて無惨にも穴が空いていた。

教訓・花火は一定の距離を持って見るべし。お粗末でした・・・