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書評:「二つの大戦」:江口圭一著 小学館刊

2015年06月29日 23時59分59秒 | 書評(政治経済、歴史、自然科学)
「二つの大戦」 江口圭一著 小学館刊


 本書は、第一次大戦から第二次大戦までの歴史を叙述した、一般向けの著作である。

 近代の日本は、次々と戦争をしてきた。「日清戦争」「日露戦争」「シベリア出兵」「山東出兵」「満州事変」「日中戦争」「太平洋戦争」とたて続けだった。

 これらの戦争ひとつひとつに、専門の研究者がいて、専門書がある。だからこれらの戦争の全体像を把握するのは難しい。

 本書のタイトルは「二つの大戦」だが、そういった全体像を把握するのに、相応しい分量と内容をそなえている。

 ソ連参戦時の叙述と、「二つの大戦と日本ーおわりにー」から、本書の内容を紹介しよう。

 「(満州の)開拓団員は、すでに述べたことであるが、日本国内での境遇や個々の人柄はどうあれ、中国人の目からすれば、侵略者であり征服者であるなにものでもなかった。ソ連参戦という窮地に陥ったとき、在留邦人は中国人の庇護ではなくー庇護された例もあるがーその報復に直面しなければならなかった。」

 「悲劇の直接の最大の原因は、関東軍の棄民方針にある。すでに沖縄戦に見たように、日本軍は自己保存を究極の目的としており、その目的をたっするため、在留邦人を案山子とし、さらには楯にして、いち早く逃亡した。」


「この激動の32年をつうじて、なによりも痛感させられるのは、救いがたいまでの国家エゴイズムが、対外的にも体内的にも、日本の支配者をとらえており、日本国民をも毒していたという事実である。」

 「対内的には、国家エゴイズムは、軍部と宮中グループのエゴイズムに収斂していった。アジア太平洋戦争は、軍部が自己の権力と機構を維持することを、いっぽう宮中グループも皇室の安泰の確保を、それぞれ最優先させるというエゴイズムを貫徹するために、国民と国家を道づれにした戦争である。」

 「またアジア太平洋戦争の終結も、国体維持、皇室の安泰の確保を第一義的とするものであった。ポツダム宣言を即時受諾しておれば、原爆の悲劇も、中国残留孤児も、シベリア抑留も、千島の喪失も存在しなかった。その受諾に手間取った最大の事情は、国体護持すなわち天皇の地位と権能を保全できるか、皇室の安泰を保障されるかに、宮中グループと軍部が熱中したことにある。」

 「国民は、現人神(あらひとがみ)天皇の君臨する国家のもとに、対外的には狼のように狂暴な群れとなり、対内的には羊のように従順な群れとなって、尽忠報国、滅私奉公の道を歩み、ついには八紘一宇をめざす聖戦=天皇の戦争に挺身し、海原に、南海のジャングルに、大陸の山野に、あるいははるか北辺の凍土に、粉骨砕身をとげ、玉砕し特攻し自決し果て、本土にあったものも業火に身を焼かれたのある。」

 「15年戦争による日本の死亡者数は約310万人(うち民間人約80万人)、これにたいし中国はじめ諸国民・民族の死亡者数は約2000万人~3000万人である。15年戦争の加害と被害の実態からみると、日本国民の戦争体験はいちじるしく歪み、ずれており、ここでも自己本位、自己中心なのである。」

 日本の軍国主義を研究し続けてきた著者の資料の考証は綿密をきわめ、説得力がある。学会での評価も高い。戦争を検証する好著である。「歴史認識」の問題にも、「自虐史観」という、「自己中心的史観」の攻撃に耐えうる著作である。

 なおこの著作は、小学館の「体系の本の歴史 15巻本の、14巻として刊行されたものだが、好評だったので、文庫本にされたものである。




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