岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

短歌・日本語・斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・社会・歴史について考える

写実短歌の表現いろいろ:「運河」全国集会シンポジウムより

2010年10月16日 23時59分59秒 | 写生論の多様性
シンポジウムのテーマは「写実とは何か」「写実と表現力」。詳しくは「運河・325号」に報告したが、全ての発言を掲載するのは紙数の関係で出来なかった。

 だが、掲載できなかった発言の中に、「写実」という短歌の表現方法の重要なことが含まれていたようなので、当日(5月19日)の録音記録(CD)をもとに紹介したい。短歌を詠む方には、表現方法の違いを超えて、参考になろうかと思う。「短歌辞典」では得られない「基礎知識」のひとつと考えて頂いても結構である。それぞれの発言に僕のコメントを付記する。


発言1・「斎藤茂吉など< 写実派 >の先人の業績は大きい。それにひとつでも新しいものが付け加えられれば、それが< 新写実 >だ。」(顧問)

・「写生と写実」などにも書いたが、斎藤茂吉は「写生」を標榜し作歌の基本とした。それは汎神論(すべてのものに神が宿っているという哲学上の立場)的である。伊藤左千夫は「写生」は絵画用語だとし、「写実」の語を用いた。佐藤佐太郎は「写生」「写実」の両方の語を使ったが、「物事の本質をつかむ表現をするにはフィクションも可」とした。これを佐太郎は「詩的真実」と呼んだが、この「真実」の「実」が佐太郎のいう「写実」という用語には含まれていると僕は思う。(「犬にノミがたかるように事実にしがみついていては、面白くない。」という佐太郎の言葉にそれがあらわれている。)これは象徴詩の考え方に近く、土屋文明の「リアリズム」と佐太郎の差異であるが、このことについては、岡井隆著「現代短歌入門」にくわしい。何をもって「新」とするかは人それぞれだが、「新しさは結局相対的なものにすぎない。」という奥田亡羊の指摘も、考えに入れる必要があろう。


発言2・「5W1Hを心がけている。とくに1Hを大切にしている。そして何を省略するか。言葉の揺らぎも欲しい。NHK学園の通信講座でも、<ものをよく見て下さいね>とコメントを書き込むことがおおい。」(会員)

発言3・「ものごとを縦から横から、ひっくり返して裏から見て、表現することを心がけている。」(運営委員)

・1H(どのように)を表現するには、佐太郎の言う「虚語」が有効である。これは佐太郎の始めたテクニックのひとつ。「縦横裏から見る」というのは、「遠近法で世界を捉えるのが、近代における写生」といった佐佐木幸綱の言葉に合致する。「省略」とは佐太郎の言う「限定」であり、ものごとを捉える焦点を絞るということである。その意味で、佐太郎の「写実」は即物的である。先に述べた「象徴詩の発想」と相まって、「象徴的写実歌」(岡井隆)と呼ばれた理由もこの辺にあるのだろう。


発言4・「歌集を読んで語彙を増やすことが肝心だ。」(運営委員)

・語彙が豊富でなければ自在な表現は出来ない。さらに言えば、他のジャンルの文学作品を読むことも必要だろう。(「歌人が短歌関係の本ばかり読むとすれば、それは血族結婚のようなものだ。」:佐藤佐太郎)ほか、正岡子規も言った通りである。




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