岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

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『梧葉(ごよう)』43号:コラム「素材の見つけ方と歌い方」

2014年10月26日 23時59分59秒 | 岩田亨の作品紹介
「語感を張り巡らせてー情景と心理ー」『梧葉(ごよう』43号


 「自作を一首とりあげて、その一首が成立する過程を書いて欲しい」というのが原稿依頼の概略だった。何を書こうか迷ったが、作品には主題が必要で主題と素材は違うこと、情景描写で心理が象徴、暗示されることを書いた。

 俎上に挙げた一首は次のようなものだ。

・わが影の映らぬほどの曇り日に菜の花の咲くかたわらを過ぐ『オリオンの剣』所収

 この作品は、或る短歌大会で河野裕子に採られたものだ。これを材料に論を展開した。


 1、素材と主題の違い:

 素材は短歌作品に詠みこまれた「もの」である。この作品の場合は「曇り日の菜の花」。主題は「漠然とした不安」である。素材は作品の中に見えるが、主題は作品のテーマ、読者に伝えたい抒情の質だ。短歌を詠む場合、「自分が何を感じ、どういう心情を表現したいか」を整理する必要がある。抒情とは人間の心理、喜怒哀楽だ。この抒情の質を石川啄木は「命の一秒」と言った。これが明確でないと、作品は日常報告になりやすい。作品化の前に心の整理が必要なのだ。

 2、情景描写について:

 情景とは「心の景色」つまり、作者の心情を景色に象徴、暗示させることである。志賀直哉の随筆は、全集を出版するときに、「随筆、小説のどちらに分類するか」が問題となる。志賀直哉の情景描写は、臨場感があり、読者である自分がその場にいる様な錯覚を感じさせる。その情景を見ている登場人物の心理も伝わってくる。「情景描写」だけで、抒情詩になると、しばしば言われる理由がここにある。


 この作品の場合、上の句の表現だけで、「不安感、憂鬱感」が十分表現出来るのだが、一工夫欲しかった。あるとき、菜の花の咲く傍らを通り過ぎた。「菜の花の黄色」の明るい印象を詠みこむことによって、ある種の「救い、希望」のようなものを、暗示できるかと思った。評論集『斉藤茂吉と佐藤佐太郎』でも書いたが、詩における象徴とは、抽象的な言葉を並べることではない。具体的なものによって、読者に何らかの情感を、暗示させることである。

 フェイスブックの友人に、詩人、歌人、俳人が多いが、「風が変わった」「今日の雲は形が変わっている」「花が咲いた」などの記事が、毎日アップされる。五感を張り巡らせること、言葉を飾らないこと、もまた心掛けたい。



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