岩田亨の短歌工房 -短歌・日本語・斎藤茂吉・佐藤佐太郎-

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泥酔する歌:佐藤佐太郎の短歌

2009年09月24日 | 佐藤佐太郎の短歌を読む
 佐藤佐太郎の短歌は、いわばきちんと正座して背筋がピンと伸びたような趣がある。では佐太郎が悟りを開いた宗教者のような人だったかというとそうでもない。

 佐太郎の研究者の今西幹一氏の著書「佐藤佐太郎」(桜楓社)によると、若い頃の佐太郎は酒浸りになることもあったようだし、アバンチュールな恋も含めデカダンな生活をしていた時期もあったようである。同書には「浅草界隈を徘徊した時代もあった」という記述もあるし、大正末期から昭和初年にかけて「神経衰弱のため帰郷が二度」「飲酒の習癖が漸く募った(昭和6年)」「神経麻痺治療(昭和9年)」などの記述が、角川文庫版「佐藤佐太郎歌集」の自作年譜にあるそうだ。

 佐太郎自身もそういう素材を短歌にしてアララギに投稿したり、「当時の検束なき不潔な生活を省みて恥じる」とも書き残している。

 しかし、こうした世俗的なモチーフは次第に姿を消し、世俗的な作品は歌集にも収録されていない。短歌に対する姿勢が確立する過程で、佐太郎の美意識も出来あがっていったのだろう。つまり、佐太郎も聖人君子ではなかったが、自らの姿勢を自分で確立していったということ。そのなかで、次の一首はよく知られている。


・電車にて酒店加六に行きしかどそれより後は泥のごとしも(「歩道」)

 「電車に乗って酒を飲みにいったのに、あとは憶えていない」ということだが、おそらく酔いつぶれたのだろう。僕はこれを佐太郎のユーモアとうけとっている。たとえそれがデカダンなものであっても、短歌表現はあくまで美しく、俗を排するというのが佐太郎の基本姿勢だった。


 あまり知られてはいないが、次の様な作品もある

・秋日照る古都をよぎりて屎尿の香ただよふちまたまたかなしかりしか(「冬木」)

・大き石ありていにしへの塚といふ肥桶にほふ畑のほとりに(「開冬」)

 のちに佐太郎は次のように言って笑ったそうである。

    「あれ(肥桶)はくさかったぞ。(笑い)」

 このエピソードも佐太郎のユーモアだったように思う。まあ明治生まれの人間らしいユーモア。屎尿の臭ささえも抒情詩にしてしまう。茂吉とはまた違った力技である。


 私事で恐縮だが、僕の祖父と佐太郎は同世代である。大正デモクラシーの時代に思春期を送ったのも、浅草界隈を徘徊していたのも同じである。その祖父は、仲間と一緒にオペラの雑誌を出していたという。頑固者だったが、時々ユーモラスな話をしては、「はっはっは・・・」と笑った。戦争が始まる前の自由な気風をもっていた。大正というのは多分そういう時代だったのだろう。
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