尾道水道を望む風光明媚な場所でロケをしていました。TVでよく見る俳優さんで、一人は火野正平さん、もう一人は中村俊介さんでした。横にいたスタッフに聞いたところ「浅見光彦シリーズ(原作内田康夫)」でした。エキストラを交えて同じ事を何度も繰り返していましたが、創り上げる大変さはどの世界も同じですね。放映日はまだ未定だそうです。
<本番の二人>殺人犯の行方を話しているような感じでした。女性二人はエキストラでした。
<ポンポン岩の上>鼓岩とも言うようですが、小石で叩くとポンポンと音がするところからポンポン岩と呼ばれています。下の景色がよく見える場所です。
<おつかれ・・>結構暑い日で撮影の合間です。女優さんは少し離れた木陰で待機していました。知らない女優さんでした(失礼!)
<光の反射>天気が良い外での撮影でも光の調整が必要なのですね。撮影もお天気次第ですね。
<スタッフとエキストラ>次の場所への移動で大変そうでした。裏方も大変です。
○千光寺山の散歩 山腹からの風景
頂上へは徒歩・車で行けますが、ロープウェイでも登れます。山麓には国宝の寺院もあり、そこを巡る散策も人気です。最近では“尾道ラーメン”も人気が有り、この日も行列が出来ていました。
<尾道水道と向島への橋>対岸の島は向島です。昔は渡船での移動のみでしたが、現在は四国の今治まですべて橋で繋がりました。最近の映画「男たちの大和」のロケは右手前の向島側にオープンセットを造り撮影されました。今は撤去されています。
<ロープウェイ>片道280円、約3分の旅です。
<坂道の風景>郵便配達のTVコマーシャルでこの坂道を登るシーンがありましたが、今でも頼りは人力のみ…大変ですね。最近は転居する人も多いそうですが、風情のある風景です。
<志賀直哉邸>この近くにありました。
志賀直哉は大正元年から1年ほど千光山の中腹に居を構えていました。志賀直哉の作品は「城崎にて」「小僧の神様」など数多くありますが、いずれも短編です。「暗夜行路」は唯一の長編小説で大正10年から執筆し始め、昭和12年に至ってようやく完成した難産の長編小説です。
<暗夜行路の碑>風雨にさらされ文字もはっきり読めませんが、趣を感じ取ることが出来ます。
<旧居の案内碑>文学のこみちから街に向って坂道を下り、少しそれた静かな場所にあります。無料で開放されています。
<住まい全景>入り口から石段を上がったところに住まいがあり、庭は住まいから少し低い位置にあります。
<住まい>手前に玄関があり、一番手前の部屋に座り机が置かれています。ここで執筆したのでしょうか。
○千光寺山の散歩 千光寺
千光寺山は海抜144mで山頂一体は千光寺公園になっています。また、桜の名所でもあり、「さくら名所100選」にもなっています。尾道水道を眼下にし、しまなみ街道の橋を遠望する素晴らしい景観が楽しませてくれます。さらに、名高いのが「千光寺」と「文学のこみち」です。半日の時間を割いて訪ねましたが、思わぬものを見物する事も出来ました。
<千光寺>千光寺(真言宗)は大同元年(806年)の開基と言われています。尾道のシンボル的な存在です。
<千光寺 本堂>別名赤堂とも呼ばれています。本尊は千手観音菩薩で33年に一度開帳されます。
<鐘楼>「日本の音風景100選」に選ばれました。この鐘楼の除夜の鐘は、テレビの無い時代、大晦日のNHKの「行く年来る年」で毎年のように取上げられており、ラジオから流れていた懐かしい音です。
<玉の岩と護摩堂>烏帽子岩とも呼ばれ、周囲50m、高さ15mの巨岩です。いろいろな伝説があるようです。護摩堂の本尊は不動明王ですが、阿弥陀如来・地蔵菩薩が祀られています。
夏の終わりに種蒔きをした葉っぱ系野菜の収穫が始まります。間隔を詰めすぎて蒔きますと成長につれてお互いに足を引っ張り合う形になり、適当な間引きが必要です。これはその一部です。大根も白い部分が地表に顔を出してきました。玉葱は11月になったら、庭に種を蒔いて育てた苗を植えます。写真にも写っています、万願寺唐辛子は、生命力が強いのかいまだに数日間隔で両手一杯の収穫があります。秋茄子は、夏の根切りを大胆にやりすぎたのか、その後の成長がうまくいかず、収穫も望めないようです。“秋なすはあるじにも食わすな”の年です。“反省”
<青梗菜>収穫の目安は1個あたりの重量が100g程度だそうです。これで120gありましたから充分いけるようです。はたして味はどうでしょうか?
<ほうれん草>種が非常に小さいので注意しても込み合ってしまいます。何度も間引きながら収穫しています。