UGUG・GGIのかしこばか日記 

びわ湖畔を彷徨する独居性誇大妄想性イチャモン性前期高齢者の独白

おセンチの秋(おそらくその一)・・・燃える秋・・・

2019-11-20 01:08:10 | 日記
秋も深まり木々は色づき、GGIの愛するおセンチの秋、本番です。今日は寄り道をせず、いきなり主題に迫ります。

主題は「燃える秋」です。

今日の写真はわが湖畔の燃える秋を撮ったものです。GGIが謀議会場によく利用している公共施設の2階からの眺めです。クリックして、文字通りの「燃える秋」をお楽しみくださいませ。

秋に限らず山紫水明、この場所からの眺めはなかなか素敵、日本一の絶景謀議会場です。

これはわが淡海、びわ湖の燃える秋でありますが、お好みにしたがって、スイスはレマン湖の燃える秋、あるいはカナダはオンタリオ湖の燃える秋と思っていただいても結構でございます。

燃える秋といえば、五木寛之の小説に同名の作品がありましたね、五木氏の小説は「デラシネの花」とか「蒼ざめた馬を見よ」とか「海を見ていたジョニー」とか「青年は荒野をめざす」とか、何となくカッコいい題名の小説が多いですね。GGI、カッコいい題名の小説は趣味にあいませんので五木氏の小説は読んだことがありません。いつであったか、以前に朝日新聞に連載していた雑文のコラムのようなものは結構オモシロかったのですが・・・

読まずにいろいろ言うのは礼儀知らずでありますが、彼の小説「燃える秋」は映画化されており、同名の主題歌があります。作詞は五木氏、作曲はなんと日本を代表する現代音楽家の武満徹です。

「燃える秋」の現物の写真だけでは物足りない方はこの主題歌を動画でお聴きになってください。ハイファイセットというグループが歌っておりました。

歌詞もメロディーもお砂糖や生クリームなどがどっさり、ひたすらおセンチで甘ったるいだけのものですが、参考に以下に記しておきます。

甘ったるいだけの歌、GGI、嫌いではありませぬ。しばらく聞いているうちに少々胃にもたれたりすることはあるのですが・・・・

燃える 秋
揺れる 愛のこころ
ひとは 出逢い
ともに 生きてゆく

燃える 秋
消える 愛の蜃気楼(ミラージュ)
ひとは 別れ
遠い 旅に出る

Oh, Glowing Autumn
and Glowing Love
Oh, Glowing Love
In my Heart, La La Lu......
Glowing Love In my Heart

燃える 秋
空は ペルシャンブルー
ひとは 夢み
詩(うた)は 風に消え

夏は 逝(ゆ)き
めぐる 愛の季節
ひとは 信じ
明日を 生きてゆく

Oh, Glowing Autumn
and Glowing Love
Oh, Glowing Love
In my Heart, La La Lu......
Glowing Love In my Heart

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・

グッドナイト・グッドラック!



宣伝です:ドキュメンタリー「眠る村」、滋賀県内で初上映 !

2019-11-18 00:31:07 | 日記
みなさん、「名張毒ぶどう酒事件」という殺人事件をご存知でしょうか?半世紀以上もまえ、1961年(昭和36年)、GGIが大学に何とか入れてもらった年に起きた事件です。

三重県名張市の奈良県との境にある集落で起きた、村の懇親会でぶどう酒に混入された毒物により女性五人が死亡した事件です。

この事件が今でも注目されるのは、裁判で一度無罪判決が下された後に逆転、死刑判決が下され確定した戦後唯一の事件であるからです。また、逆転死刑判決だけではなく、死刑確定後の再審請求により一度再審開始が決定されたものの、検察側の抗告により決定が取り消されてしまった事件としても知られています。

このため35歳のときに犯人として逮捕された奥西勝さんは、再審開始決定が取り消された後も再審請求を繰り返し行っていましたが認められないまま、ついに四年前、2015年10月に医療刑務所において89歳で獄死するにいたっています。現在、奥西さんの遺族による再審請求が行われています。

今年のはじめに、この事件を題材にした「眠る村」と題されたドキュメンタリー(東海テレビ製作、2018年、ナレーション:仲代達矢)が首都圏や大阪・神戸・名古屋など大都市部で劇場公開されています。このドキュメンタリーは二転三転したこの事件の真相に迫ろうと、事件が起きた集落の人たちなど関係者にも取材した異色の作品です。

名張毒ぶどう酒事件は、犯人とされた人物がこのように二度も無罪となる機会があったにもかかわらず、検察側の抗告によりその機会を阻まれ、服役中に無念の獄死にいたるという、冤罪の疑いが極めて濃厚な事件です。

米国では、裁判の段階で一度無罪の判決が下された場合は、検察側が上級審に抗告することは許されないことになっています。つまり、いったん罪判決が下されれば、その段階で無罪が確定するのです。一方、日本では「名張毒ぶどう酒事件」の裁判や再審でも分るように、検察側がどの段階においても、いつまでたっても、裁判所の判決・決定に対して異議を訴えることが許されることになっています。

しかしながら、このような制度が裁判を長引かせ、冤罪を生み出す一因になっているのではないかと考えられます。このため、弁護士の方々の中には検察側の権限について米国のように制限を加えるべきだと考えている方もいます。また2015年3月24日の静岡新聞によれば、袴田事件の再審における検察側の抗告に関連して、「日弁連は《検察官の不服申し立て禁止》を主張してきた。刑事再審制度の改正意見書も提示」と報じられいることから分かるように、日弁連は再審に際して再審開始が決定されても検察側が抗告することを問題視しています。

ドキュメンタリー「眠る村」は「東海テレビドキュメンタリー劇場」という番組の一作品として製作されたものであり、この番組は第66回菊池寛賞を受賞しています。

東海テレビは2012年にも名張毒ぶどう酒事件をテーマにした劇映画「約束:名張毒ぶどう酒事件-死刑囚の生涯」(仲代達矢、樹木希林主演)を製作しています。

などなど前宣伝が長くなりましたが、GGIは知人たちと協力して、このドキュメンタリー「眠る村」の上映会を、来る12月7日(土)午後2時から大津市生涯学習センター(TEL:077-527-0025 4階、視聴覚室)で開催することにしております。滋賀県内で初の上映です。予約不要、500円入用、カンパ自由!

この上映会は死刑・冤罪問題についてみなさんに考えていただくことを意図したものです。死刑制度に賛成の方も反対の方も、どなたでもご覧いただけます。関心をお持ちの方はぜひ足をおはこびになり、ご覧になってください。

今日の写真は、配給元による宣伝用のチラシです。クリックしてご覧になってくださいませ

なもあみだぶ・みだぶ・なもあみだぶ・・・・

グッドナイト・グッドラック!

「国民祭典」:目には見えない大きな檻におとなしく収容されて・・・

2019-11-16 01:28:42 | 日記
11月10日の日記に、前日の夕刻に行われた天皇の即位を祝う「国民祭典」のことを、《21世になっても提灯行列》と題して記しました。

そのなかで、テレビで目にした皇居前の光景はまさしくデジャ・ヴュ(既視感)だ、戦前の提灯行列を連想させるという意味のことを書きました。日記を書いたときにはそう思ったのですが、10日の夜が明けて配達された朝日新聞朝刊に掲載されていた航空写真を目にして、GGIは前日夕刻に目にした「国民祭典」のテレビニュースの映像以上にショッキングな思いをしました。

今日の写真は11月9日の朝日のデジダル版に掲載されていた写真を借用したものです。できるだけ拡大してご覧になってください。この写真には【「天皇陛下御即位をお祝いする国民祭典」会場に集まった約3万人がLEDの提灯(ちょうちん)をともした=2019年11月9日午後5時59分】という説明が付されています。

この写真でお分かりになるように、3万人余の市民が目をみはるばかりに整然と皇居前に集まっています。まさに「一糸乱れず」という感じです。あたかも、巨大な収容所であるかのような様相を呈しています。その様子はまるで巨大な収容所のなかに事前に用意周到に設けられた、びっしり並べられた目には見えない大きなの檻のなかに収容されているかのようです。

長方形をした同じ大きさの巨大な檻です。これは皇居前に集まった人々が羊の群れのごとく従順に警察官など当局の指示に従った結果生み出された光景である言ってよいでありませう。万が一にでも新天皇夫妻の身に危害が及んだり「陛下」の目前で不祥事が起きるようなことがあってはならないと、警察当局が戒厳令とまではいかないものの徹底して人々の行動を規制する体制を敷いたことの結果がこの写真です・・・

写真を眺めていて、GGIは「管理国家」という言葉を連想してしまいました。この言葉は、大衆をマス・メディアや様々な組織を通じてエリートが操作,管理する形をとった国家といった意味です。ジョージ・オーウェルが1949年に書いた有名な小説「1984年」は管理国家の出現という近未来を描いた想像上の産物なのですが、この写真を眺めていて、GGIは今や「管理国家」は想像上の産物ではなく、まさしく現実なのだと実感しました。皇居前に集まった人々は完全に「アンダーコントロール」、少なからず寒気がいたしました。

知らぬ間に、いや市民が寝とぼけているあいだに、日本は見事な、見事過ぎるほどの管理国家になっているのです。

香港警察の諸氏はこの光景を目にしたらとてもうらやましがることでありませう・・・

以上はGGIのいつもながらの勝手な感想です。皆さん、この写真をご覧になってどのようにお感じになるでせうか?

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・・

グッドナイト・グッドラック!

雲が流れるおセンチな秋・・・

2019-11-14 01:13:43 | 日記
昨日は一日、青空が広がるとてもよい天気でした

午後、知人がやってきて申しました

GGIよ、歯磨いたか?ひげ剃ったか、でも用事はないだろう?

どうやらこの知人、GGIの前回の日記を読んでから来たようです。

ウィ、ムッシュー、本日は晴天なり、さしたる用事はないこともないこともない・・・

いったいどっちなんだ?

そんなことは気にせず、今日は天気がよいから湖岸を散策しませう

かようなしだいで近くのコンビニで知人が買ってくれた熱いコーヒーを片手に、湖岸を散策しました。透き通るような青空に、すじ雲というのでせうか、細長い白雲が流れるように空いっぱいにたなびいていました。

流れる雲を眺めていましたら、おセンチな秋でありますから、むかしグループサウンズ全盛のころにはやっていたおセンチな歌を想い出してしまいました。

ジャッキー吉川とブルーコメッツというグループが歌っていた「北国の二人」という歌です。歌詞はあまりよく覚えていませんので、歌詞の出だしだけを書いておきます

北国の二人

雲は流れる北国の街へ
あなたが生まれた心の国へ

胸に飾った真珠のように
あなたの瞳は輝いていた
・・・・

グループサウンズの歌はどれもこれもあんこに砂糖をたっぷりまぶしたような甘ったるい歌でしたが、これもまことに甘ったるいだけの歌です。それでも聴いてみたいとお思われる方は動画をご覧になってくださいませ

今日の写真は流れゆく雲を撮ったものです。用事がたくさんある方もない方も、よろしければクリックしてご覧になり、しばし深まりゆく秋の空をお楽しみくださいませ

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・

グッドナイト・グッドラック!

今日の用事は・・・え~、何だっけ・・・

2019-11-12 00:27:07 | 日記
11月6日の朝日新聞、川柳欄になかなかの作品が紹介されていました

《歯を磨き髭を剃ったが用はない》 

福岡県の河原公輔さんという方の句です。秀句の☆印がつけられていました。評者はただ「85歳」とだけ記していました。

この秀句に遭遇して、一瞬不謹慎にもワッハッハと笑ってしまったのですが、後期高齢者4年生のGGI、まだ85歳までには少し時間があるけれど(ただしそれまで生きていられたらの話です)、まったくそうだなあと深く感じ入ってしまいました。

以前、俳句や川柳、短歌など、そのできの良しあしとは別として、一読して「それがどうした」では済まない強く印象に残るものがときおり見受けられ、GGIはそうした句を是としていると書きましたが、この川柳もまさに記憶に残らざるを得ない一句です。

生きているけれど用はない・・・・これは小難しく気取って分かったふうなことを申し上げます、いわば「実存の不安」あるいはミラ・クンデラの難解小説の題名を勝手に借用しますと「存在の耐えられない軽さ」を詠った句であると言ってもよいでありませう・・・

そんな小難しいことはともかく、たしかにGGI、後期高齢者4年生のわが身の日常を考えますと用事なんてロクにないのであります。少なくともたいした用事なんか、何としても今日中に済ませておかなければならないといった用事は、ほとんどないというのが現実です。

福岡の河原さんは歯を磨き髭をそるだけでもリッパであります。一つ用事を済ませているからです。GGIなんか、遅寝遅起きして頭がボ~としたまま顔も洗わず歯も磨かず髭もそらず、ようやく目がしっかり覚めたころには、さて今日の用事は何だっけと迷うありさま・・・

誰かと会う約束をしていても、ほとんどの場合、是非今日でなければダメということではありませぬ。気が乗らなければ予定変更、別の日にすれば良いだけの話。その他、買い物をするとか役所になにか用事があるといった諸雑用の場合も、手持ちのおカネが底をついて小銭しかなかったり、トイレットペーパの残りはほんの僅か、あとはウンを天に任せるしかないという場合を除いて、いくらでも予定変更は可能、今日こなさなければならないという用事ではありませぬ。他の大半の用事も是非今日済ませてしまわなければというほどのものではありませぬ。

それに、幸いなことにと言うべきであるか否かは何とも申せませんが、子育ての最中の女性のみなさんやどなたかの介護をしておられるみなさんのように、待ったなし、今すぐ子どもや介護が必要の方のためにやってしまわなければ、といったような、切羽詰った用事もありませぬ。

誰かに今日までにやっておくと約束した何かの用事をまだやっていなくても、「ゴメ~ン、堪忍なあ、もう年やからボケてきて忘れてたあ・・・」と延期すればよいだけです。読書したり何かを見たり聞いたりして教養を高めるという用事があっても、ぜひ今日教養を高めなければならないというわけではありませぬ。

神さまなんかに何か約束しているとしても、今日その約束を果たさなければならないということはありません。いくらでも延期すればよいのです・・・神さまゴメンナサイ、そのうち何とかしますから・・・

身体の調子が悪くてこのままでは死んでしまうという危機的な状況にある場合はそれこそ大用事であり、病院に行かなくてはなりません。しかし、そういうことはここ数年二度ほどありましたが、メッタにはありませぬ。

恐ろしい借金取りが今日やって来るのであれば、あるいはケーサツが今日GGIを捕まえに来るというのであれば、今すぐ逃げ出さなければなりませんが、いまのところ借金取りにもケーサツにも縁はありませぬ。

このように突き詰めて考えますと、いや突き詰めなくても、この福岡の河原さんと同じく、GGIには用事がないのです。少なくとも、ほとんどないというのがまごう方なき真実です・・・

GGIはかくの如き状況にあるのですが、まだ高齢者に入り口にいる某知人が某日GGIに申しました

「GGIさん、老人にはキョウヨウとキョウイクが大切です、分ってますか?」
「教養と教育が大事なのは老人に限ったことじゃないだろう」
「違いますよGGIさん、あのねえ、キョウヨウは今日用事があるという意味、キョウイクは今日行く場所があると言う意味です」
「ショーモナイ!下手な駄洒落は止してくれ」

でも、ちかごろは老人の間でこのキョウヨウとキョウイクが流行っている気配であります。できるだけ用事を作って外出する、どこかで行われるカルチャー教室やおけいこ事や趣味などの集いの場にコマメに足を運ぶといった用事だらけのライフスタイルが流行っているようです。

GGIはときおり気まぐれに謀議などを開催しますが、謀議会場に現れた老人諸氏の手帳を覗いてみますと、何やらキョウヨウとキョウイクがびっしり詰まっている気配・・・GGIは手帳にメモをとるという習慣がまったくありません。次回の謀議の日程を決めてもメモしたりはいたしませぬ。それを見ていておせっかいな老人が言いまず。

「GGIさん、メモ取らなくても大丈夫なの?」
「大丈夫、オレ、毎日ほとんど用事ないから、それくらい覚えてられる」

あのねえ、手帳にセッセとキョウヨウやキョウイクの予定をメモする老人のみなさん、みなさんの用事はだいたいにおいて、その用事をこなそうが放置しておこうが命に別状がない、どうでもいい用事なのであります。大半は、ほとんどは、取るに足りない用事なのです、つまりそうした用事は用事がないも同然なのであります・・・・

と、エラソーに上から目線でお説教を垂れようと思いましたら、とつぜん「用事」をテーマにした優れた詩があったことを思いだしました。すでに一度この日記で紹介したことがある詩です。

杉山平一という詩人の作品です。



ものをとりに部屋へ入って
何をとりにきたか忘れて
もどることがある
もどる途中でハタと
思いだすことがあるが
そのときはすばらしい
身体がさきにこの世へ出てきてしまったのである
その用事は何であったか
いつの日か思い当るときのある人は
幸福である
思いだせぬまま
僕はすごすごあの世へもどる

(石垣りん「詩の中の風景」より引用)

みなさん、人生には、ほんとうはほんとうの用事があるはずなのです。ほんとうの用事とは何か・・・・しっかり考えませう、思い出しませう・・・・いや、もう考えても遅いかもしれませぬ・・・

今日の写真は、ただ大空で戯れているだけで何か用事がありそうには見えない雲クンたちを撮ったものです。よろしければクリックしてご覧になり、雲クンの言い分を聞いてあげてください。

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・

グッドナイト・グッドラック!