猛暑に追い打ちをかけるように何やら鬱陶しいできごとが起きますね。
例の国際芸術祭「愛知トリエンナーレ」の企画展(愛知県芸術文化センター)として8月1日から開催されていた「表現の不自由展・その後」が何人もの「有力政治家」たちの政治的圧力や電話などによる一千件以上もの集中的な抗議・攻撃(いわゆる「電凸」)、脅迫行為などにより8月3日に中止に追い込まれた事件です。
「有力政治家」というのは名古屋市長の河村たかし氏、大阪維新の会代表の松井一郎大阪市長、菅官房長官、柴山文科大臣、一部の自民党国会議員らのことです。この企画展は過去に各地の美術館から撤去されるなどした二十数点を集めたものであり、その中には慰安婦を想起させる「少女像」や天皇を含む肖像群が燃える映像作品も含まれているとのことです。
8月2日に会場を訪れ、「少女像」を目にした河村名古屋市長は「日本人の心を踏みにじる行為、行政の立場を超えた展示」であるなどとして展示の中止を求めました。松井一郎大阪市長も同じく8月2日に「これはプロパガンダだ。公金投入しながらイベントをやるときに、我々の先祖があまりにも人として失格者というか、けだもの的に取り扱われている展示をすることは、違うんじゃないか」などと述べています。また、菅官房長官と柴山文科大臣も8月2日に、同企画展を問題視して、芸術祭への補助金見直しを言及しています。自民党の議員のなかにも、展示は政治的プロパガンダであるとの意見を表明した人がいます。
GGIがこのたびの「表現の不自由展・その後」を取り巻く一連の騒ぎ、短期間のうちの大量の「電凸」は暴力的とさえ感じられる行為であり、何か異様にさえ感じられましたが、それ以上に驚いたのは「有力な政治家」とされる人物たちが法律のことをほとんど知らないこと、そしてまったくと言ってよいほど法律を意識してないことであります。
「表現の自由」が民主主義を基調とする社会を支えるための欠かすことができない大切な原則の一つであることは常識です。そのために憲法や国際条約などにおいて「表現の自由」が明確に定められているのですが、有力政治家たちはこれらの法的規定についてまったく無関心であり、おそらく読んだことも無ければ、まともに勉強したこともないのではないかと思われます。
法律を遵守することを一番厳しく求められるのは公人であるところの政治家でありますから、これらの政治家のみなさんに申し上げます。政治家として自分の考えに従うよう他者に対して何か要求しようとするときは、思いつきや感情に駆られて公言することは許されません。その前に、まず自分が求めようとしていることが法律に照らして適切なものであるかどうかを考えてください。そのために、まず法律をしっかり勉強してください。勉強してから、自分の言うべきことをしっかり考えてください。
と申し上げましても有力政治家のみなさんは何も勉強しない可能性が大でありますから、この本日の日記において、GGIが「表現の自由」について、その法的規定について、政治家のみなさんにその概要をご説明いたします。大切な機会ですから居眠りしたり無駄話しないでしっかり学んでください。
では、まず日本国憲法について、政治家のみなさん、お勉強いたしませう。日本国憲法というのは日本のすべての法律を律している最も重要な法律、最高の法規範です。ですから、みなさんがどんなにエラクても守らなければならない規則です。国民は憲法に従わなければなりませんが、とりわけ公人である政治家は、憲法をきちんと遵守することに努めなければならないということをしっかり頭に入れておいてください。憲法に違反した場合は、どんなにエライ人でも、憲法なんか読んだことがないから、憲法の内容を知らなかったから、と言って逃れることは許されません。河村君、松井君、わかりましたか?
まず、日本における最高の法規範である憲法において、表現の自由に関連して以下のような規定が設けられていることを知ってください。
《第二十一条:集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。》
ここで「保障する」とあるのはもちろん「国は保障しなければならない」あるいは「保障する義務がある」という意味です
「表現の自由」は、たとえば展覧会において他人の指図を受けずに表現物を自由に展示することが許されることを意味しています。「検閲は、これをしてはならない」というのは作者以外の部外者が表現物について、アレコレ意見や感想を言うのは自由ですけれども、《この作品は良くない、ためにならない、嫌いだ、ヘタクソだ》などの理由をつけて展示を妨げるような行為をしてはならない、ということを意味しています。
そして憲法第二十一条を支える規範として第十七条が定められています。
《第十七条;思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。》
ウィキペディアさんによれば、憲法では検閲が定義されていないため、制限される「検閲」の主体について争いがあるものの、最高裁は行政機関が行うものに限定すると判断しているとされています(裁判所の命令は検閲の主体には含まれないものとされています)
ですから、この芸術祭の実行委員会会長である大村秀章愛知県知事も指摘していますが、実質的にこの企画展の中止を求めていた行政機関の長である河村氏の行為は明らかに憲法でいうところの「検閲」に当たります。松井君も政治家として中止を求めていたも同然でありますから憲法に抵触しているといえます。
河村君、松井君、わかりますか?あなたたちの行為は明らかに憲法に違反したり憲法の規定を無視しているのですよ。あなたたちは政治家であるにもかかわらず、おそらく憲法を一度もまともに読んだことがないのではありませんか?しかしながら、憲法にそんなことが書かれているなんて知らんかったでは通る話ではないのです。作品は見てさまざまな個人的感想を抱き述べることはもちろん自由です。しかしながら、公人である市長=行政機関の長の立場から「不快だ、これはプロパガンダだ」などと威嚇的な発言をして実質的にある作品を展示するなと求めるのは明らかに検閲なのです。
河村君、松井君、例の「少女像」を展示することが「日本人の心を踏みにじるものである」かどうかは、またプロパガンダであるか否かは、あなたが決めることではありません。この像を見た人が、個々人が自由に判断することなのです
かつて
マルセル・デュシャンという芸術家がニューヨークでの展覧会に【泉】と題した男性用小便器便器を出品しようとして主催者の美術団体から、「こんなものは芸術ではない」と拒否されたことがありますが、今ではこのた作品は20世紀の前衛美術の最も主要なランドマーク作品とする美術史家もいるのです。このように、作品の評価は、特に現代美術の作品(「少女像」もそのひとつです)の評価は、人さまざまであるのが常であるということを知っておいてください。
ですから、おかわりですか?法律の存在を無視して自分の信条や感情をむき出しにしてあれこれ難点を言い募って自分の意見を押し付けようとするのは聞き分けのない幼児と同じなのです。あなたたちはロクに法律のことも勉強もせずに、市長なんだから自分には大きな政治的権限=権力がある、それに人気もある、選挙民の支持もある、だから何を言ってもいいのだと思い込んでいるのではありませんか(それにあなたたちは、あなたたちを支持していない市民もたくさんいるという事実をすっかり無視しています)・・・・
官房長官氏と文科大臣氏は、展覧会の中止を直接は口にしていませんが、開催のための補助金について締め付けを行う意図を表明していました。これは費用面から展覧会を中止に追い込もうとするものであり、間接的でありますが実質的に中止を求めるものであるという意味において、明らかに検閲に相当する行為です。両氏もいま一度憲法の条文についてしっかり勉強してください。忙しいから勉強しているヒマなんかないとおっしゃるのですか?ジョーダンを言ってはいけません。政府の幹部である政治家が憲法を勉強しないでどうするのですか!
また、「これはプロパガンダである」との意見を表明していた自民党の国会議員諸氏も、強大な権力を有する政権与党の議員であることからその影響力は大きいことを考えると、実質的に政府や自治体による検閲を求めたものであると判断されます。したがってこの意味において議員諸氏は憲法に違反しています。これらの議員諸氏のみなさんの大半は、おそらく憲法のことなんかロクに読んだこともなく勉強したこともないものと思われます。ですから、この機会に憲法について真面目に勉強されるよう強く希望いたします。
もうひとつ、おそらく「有力な政治家」のみなさんがほとんどご存知でない、表現の自由に関する大切な欠かすことのできない法律の話をしておきませう。
世の中には「国際人権規約」というものが存在しているのですが、有力政治家のみなさんはご存知でせうか?これは「世界人権宣言」の内容を基礎として条約化したものであり、人権に関する条約の中で最も基本的で包括的なものであるとされています。えっ、何ですか、世界人権宣言のことも知らないのですか?学校の社会科か歴史の授業で習ったはずですよ!
とにかく今から説明いたしますからしっかりお聞きください。この「国際人権規約」の一部として「自由権規約」というものが存在しています。この規約は身体の自由と安全、移動の自由、思想・良心の自由、差別の禁止、法の下の平等などの「市民的・政治的権利」すなわち「自由権」を保障すること目的とした、人権に関する国際条約です。正確には「国際連合 市民的および政治的権利に関する国際規約」と言います。日本はこの人権に関する国際条約を1979年に批准しています。当然でありますが、この条約の批准国はこの規約の定めに従う義務があります。ですから日本政府はこの条約の規定に従わなければならないのです。
自由権規約第19条では、「すべての者は、干渉されることなく意見を持つ権利を有する。すべての者は、表現の自由についての権利を有する・・・」として、この条約の締約国に対して、表現の自由の権利を保障するための法的義務を課しています。このため、特に公人は、表現の自由を保障し尊重する義務を負っています。河村君、松井君、菅君、柴山君、あなたたちはもちろん公人です。このたびの官房長官、文科大臣、国会議員、市長ら政治家諸氏の言動は自由権規約におけるこの法的義務に違反してこの展覧会を中止させる政治的圧力をかけるものであり、また同展の企画者と出展者の表現の自由を侵害するものであると言わざるを得ません
えっ、何ですか?「そんな国際条約のことなんか知るか!そんなものどうでもええ、なこれは国内問題や、関係ない!」とおっしゃるのですか?あなたたち、モノを知りませんねえ、それでよく政治家なんて自称していられますね。恥ずかしくないですか?日本が結んでいる各種の条約の内容は国内法よりも優先されるのですよ、そのうえ、日本が結んだ条約は必ず守りなさいと日本国憲法に定められているのですよ。下に示した条文をしっかり読んでください。ですから、国連の自由権規約のことなんか知らん、関係ないと勝手に無視することは許されないのですよ、分りましたか!
日本国憲法第九十八条:この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。
また、このたびの「表現の不自由展・その後」に関して攻撃的な言動をされた政治家のみなさん、みなさんはおそらくご存知でないであろうと思われますが、「自由権規約」に関する国連の委員会(2011年7月開催)で採択された自由権についての
「一般的意見34」において「(自由権規約の)締約国は、表現の自由についての権利を行使する人々を封じ込めることを目的の攻撃に対して有効な措置を講じなければならない」とされているのです。政治家のみなさん、このことが何を意味しているかお分かりですか?
この一文は、締約国である日本の政府には、「表現の不自由展・その後」への攻撃に対して、関係者の安全を図り、脅迫行為など刑事犯の疑いがある行為について捜査を行うことなど、表現の自由を守るために具体的で有効な措置を講じる責任があることを意味しているのです。お分かりですか、政府の一員である菅官房長官さん、柴山文科大臣さん・・・・
以上、GGIは政治家のみなさんに、法律について、「表現の自由」に関する法的な規定についてもっと勉強するようにと申し上げ、その概要を説明いたしました。しかしながら、まことに残念なことでありますが、この日記で挙げた政治家のみなさんは誰一人、おそらく今後も何も勉強しないでありませう。これらの政治家のみなさんにとっては、法律はたいした存在ではないからです。法律を遵守しなければならないとは思っていなからです。おそらく、「表現の自由」が大切であるとは、ほんとうは考えていないのです。
たとえば河村氏は、自分は大きな権限(=権力)を持っているのだからエライのだ、だから自分の考えは正しい、だから自分の考えを押し付けていいのだと思い込んでいるのです。他の政治家のみなさんも、程度の差はあれに似たりよったりでありませう。ですから、今後も公人として憲法の規定や国連の自由権規約の遵守に努めることをう彼らの期待することはできないでありませう・・・
また、上述のように自由権規約の委員会における一般的意見において、「表現の自由」についての権利を行使する人々を封じ込めることを目的の攻撃に対して有効な措置を講じることが政府に求められているのですから、「表現の不自由展・その後」に向けられた脅迫や攻撃的発言やこの企画展の今後について、「表現の自由」を守るために政府としての責任は果たさなければならないのですが、政府は刑法に触れる疑いのある行為の捜査など最低限の責任しか果たさないでありませう。それどころか、今後は補助金が投じられて開催されるこの種のイベントについて、補助金を出すことの是非について監視の目を強めることになるのではないかと思われます。
このたびの「事件」は、日本の社会で「報道の不自由」が進んでいるだけではなく「表現の不自由」までもが法律の存在を無視したまま今後進んでいくことを意味するものではないかと危惧されます・・・・
なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・
今日の写真は朝日新聞の夕刊に掲載された「表現の不自由展・その後」を題材にしたマンガを撮ったものです。よろしければクリックしてご覧くださいませ。
なかなかのピリッとしたユーモア、グッドです!
グッドナイト・グッドラック!