UGUG・GGIのかしこばか日記 

びわ湖畔を彷徨する独居性誇大妄想性イチャモン性前期高齢者の独白

またまた猛暑見舞:芙蓉の花・・・

2019-08-19 01:10:46 | 日記
ただいまわが庵のガーデンは、もちろん草々クンたちも元気ですが、「芙蓉の園」と名付けたくなるぐらい芙蓉の花でいっぱいです。

今日の写真は風に揺れる芙蓉の花を撮ったものです。よろしければクリックしてご覧くださいませ。涼しげな芙蓉の花を眺めてちょっぴり暑さをしのいでいただければ真に幸いです

旧八重葎庵時代も芙蓉の花はけっこう咲いていたのですが、こんなにたくさんは咲いていませんでした。十年ほどまえ、新八重葎庵建立の際にそれまで芙蓉が咲いていた場所はいったん更地にされてしまいました。けれども、種子が周りに飛び散ったのでありませう。いつのまにか新たに芙蓉の木が何本も生えてきて、こんなにたくさん咲くようになったのです。植物パワーのたくましさに感じ入ってしまいます。草生す園に神のお恵みでありませう・・・

清楚で繊細な花です

でも芙蓉の花、命は短いのです、朝方に咲いて夕方にはしぼんでしまう一日花です

これから9月にかけて毎日々々、次々に咲いてはしぼみます

一日花ですから、まさに花の命は短いのですが、次々に毎日新たに咲きますので、同じ花が翌日も咲いているようについ錯覚してしまいますから、儚いという感じはあまりいたしませぬ

でも、毎夏、忘れずに咲いてくれる、炎天下であっても風にゆれながら涼しげに咲く芙蓉の花を眺めておりますと、つい石垣りんさんの「幻の花」という詩を思い出してしまいます。これまで何度か引用していると思うのですが、もう一度紹介しておきます。

「幻の花」     石垣りん

庭に
今年の菊が咲いた

子供のとき
季節は目の前に
ひとつしか展開しなかった。

今は見える
去年の菊。
おととしの菊。
十年前の菊。

遠くから
まぼろしの花たちがあらわれ
今年の花を
連れ去ろうとしているのが見える。
ああこの菊も!
そうして別れる
私もまた何かの手にひかれて

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・・

グッドナイト・グッドラック!

八月十五日:「朕は汝ら軍人の大元帥なるぞ」・・・

2019-08-17 01:37:13 | 日記
8月15日朝、これから台風がやって来そうというお天気でしたが、当地は雨はまだ降っておらず風が少し強い程度、終戦記念日であるとともにお盆でもありますのでGGIは墓参りにでかけました。JRの駅の近く、国道1号線沿いの高台にある墓地にわがファザーが眠っているからです。年に一度の大早起き、午前3時半に就寝、午前6時半に起床、と申しますのは墓地でカㇳリック教会の神父さんによる墓前礼拝が午前8時から行われるからです。

台風来襲を理由に墓前礼拝をさぼろうかなと思ったのですが、今年はカトリックの信仰があったわが父没後50年にあたりますので、わが兄弟に恩を着せるために、遺族を代表して礼拝に参加したのでありました。カトリック教会では神父さんがよく代わられるようであり、今年は韓国人の若い神父さんでした。いつも墓前礼拝でお会いする教会の長老役というのでせうか世話役というのでせうか、温厚な人物に「今年で50年になります」と申しまたら、「そうですか、私の父が亡くなってから62年になます。そのころ(昭和32年)はまだ土葬でした」という返事、これは驚きでありました・・・

礼拝はほんの半時間ほどで終了、炎暑の中、蝉の声に包まれながらノロノロと歩いて帰宅、シャワーを浴びて簡単に朝食、大早起きだったので眠気に襲われ目が覚めたらお昼、テレビで戦没者追悼式の中継をしていました。

安倍首相のあいさつは毎年ほぼ同じ、昨年の原稿を引っ張り出してチョコチョコと手直しするだけなのでありませう。とにかく彼のあいさつ、広島と長崎の式典でもそうでありましたが、巧言令色の典型、形式ばかりで心がこもっておりませぬ

「・・・先の大戦では、300万余の同胞の命が失われました。祖国の行く末を案じ、戦陣に散った方々。終戦後、遠い異郷の地にあって、亡くなられた方々。広島や長崎での原爆投下、東京をはじめ各都市での爆撃、沖縄における地上戦などで、無残にも犠牲となられた方々。今すべての御霊に・・・」

この一節を聞くたびに、GGIは「おいおい、それはちょっと違うのじゃないか、多くの日本人を死地に追いやったのは、「無残にも犠牲」となることを強いたのはどこの誰だったかという反省がまったくないではないか・・・そのことにまったく触れずに、とってつけたように「今、すべての御霊の霊前にあって御霊安かれと心よりお祈り申し上げ」られてもなあ・・・・

もちろん「犠牲となった」ことの直接的な原因は交戦国である米国をはじめとした連合国の軍事的行為です。しかしながら、まったくあたり前のことでありますが、先の戦争を仕掛けたのは日本、日本があの歴史上稀に見る愚かな戦争を始めなければ、多くの市民や兵士が「無残にも犠牲となられる」ことはなかったのです。

あの史上ほかに例のない、はじめから勝つ見込みが皆無の史上まれに見る無謀で愚かな戦争を開始し主導したのは当時の日本の指導部です。指導部というのは具体的には天皇と彼を取り囲む軍の首脳部です。天皇は戦争を指導したのか否か、歴史学的に明らかでないという見方もありますが、GGIの考えでははっきりしています。

「軍人勅諭」において、明確に「朕は汝ら軍人の大元帥なるぞ」と高らかに宣言されているからです。これは「戦争を指導するのは汝ら軍人ではなく大元帥であるところ朕である」という意味に他なりません。ですから、先の大戦を軍人勅諭に基づいて天皇が主導したと考えるのが自然です。

「軍人勅諭」というのは、1882年(明治15年)1月4日に明治天皇が陸海軍の軍人に「下賜した勅諭」であるとされています。正式には『陸海軍軍人に賜はりたる敕諭』と称されるものです。内容は平たく申しあげれば軍人としての心得です。これを下敷きにして東条英機により「戦陣訓」なるものがGGIがご生誕になった1941年(太平洋戦争開戦の年)に公布されています。

などと書きますと話がドンドン脱線しそうになりますので「軍人勅諭」の話はこのへんでやめにしますが、軍人勅諭にある「朕」という言葉でGGIは「そういえば『朕』を主題にしたなかなか優れた強く印象に残る絵画作品があったなあ、と思いだしました。

作者は香月泰雄という洋画家(1911~1974年)です。安倍首相と同じく山口の人です。1942年、太平洋戦争勃発により召集を受け、兵として満州へ。敗戦の1945年、ソ連に抑留され、シベリアの収容所で強制労働に従事。1947年、シベリア抑留から引き揚げています。

シベリアに抑留されていたときの過酷な体験を後に絵画作品に表しており、一連の作品は「シベリア・シリーズ」として知られています。シベリア・シリーズ57点の多くが彼の没後遺族により山口県へ寄贈されており、1979年開館の山口県立美術館に展示されているそうです。

GGIはずいぶん以前のことですが、京都市立美術館で「シベリア・シリーズ」を観たことがあります。極寒の地で強制労働で次々に倒れて命が尽きていった兵士たちを題材にしたものが多いのですが、過酷な記憶だけではなく、ときにはシベリアの自然の美しさも描いています。抽象画を思わせる独特のスタイルも印象的です。

この一連の作品のなかでいまでもGGIの記憶に残っているのは「朕」と題された作品です。GGIはこの作品の題名は「天皇」であったように記憶していたのですが、あらためて画集で調べてみましたら「朕」でした。軍人勅諭で高らかに「汝ら軍人の大元帥である」と宣言しているあの「朕」でありました。

大きな作品でありました。162㎝×116㎝。黒い色調でおそらく死に逝く兵士たちと思われる何人もの人物の顔が画面全体に描かれています。

今日の写真はこの作品を撮ったものです(「香月泰男画集~太陽の賛歌~」:2004年、小学館)。よろしければクリックしてご覧くださいませ。

画面中央の白く描かれている部分は「軍人勅諭」が記されている紙片を意味しているのではないかと思われます。そこには死者の顔が透けるように描かれており、この写真ではよくわかないのですが、軍人勅諭を意味する白い紙の部分には、「朕」、「大元帥」、「鴻毛」、「股肱」といった言葉が刻むように記されいます。

画集では、この作品に以下の一文が添えられています。

「人間が人間に命令服従を強請して、死に追いやることが許されるだろうか。民族のため、国家のため、朕のため、などと美名をでっちあげて。朕という名のもとに、尊い生命に軽重をつけ、兵隊たちの生死を羽毛の如く軽く扱った軍人勅諭なるものへの私憤を、描かずにはいられなかった。敗戦の年の紀元節の営庭は零下30度余り、小さな雪が結晶のまま、静かに目の前を光りながら落ちていく。兵隊たちは凍傷をおそれて、足踏みをしながら、古風で、もったいぶった言葉の羅列の終わるのを待った。我国ノ軍隊ハ世々、天皇ノ統率シ給フ所二ソアル・・・・朕ハ大元帥ナルソ、サレハ朕ハ・・・・朕ヲ・・・朕・・・朕の名のため、数多くの人間が命を失った。」

また、軍人勅諭には「下級の者が上官の命令を承ること、実は直ちに朕が命令を承ることと心得よ」という一節がありますが、上官たちはこの一節を悪用して、「上官である自分の命令は天皇の命令だ」とうそぶき、公然と下級兵士に暴力をふるい、いじめ抜きしごきを加え、下級兵士たちの命を危険にさらしたのです(この悪しき伝統は姿を変えて戦後、学校での部活やとりわけ大学の運動部などに受け継がれ下級生いじめや下級生へのしごきとなっているのです)

また、戦陣訓には「生きて虜囚の辱めを受けず」という一節がありますが、この一節のために数多くの兵士たちが勝つ見込みがまったくない戦闘で投降することを許されず、次々に「全員玉砕」させられました。また、サイパンや沖縄などで多くの民間人が軍から強要され「自害」しました

また軍指導部が戦争に際しての基本である兵站を軽視したために、半数以上の兵士たち、100万人以上の兵士たちはロクな装備も与えられず、「現地調達」であるとして食料も補給もされなかっため、敵軍の銃弾に倒れる前に病と飢えで死んでいったのです。

アベ君、お分かりですか。このような愚か極まる精神主義の塊であり空疎な言葉の羅列に過ぎない「軍人勅諭」や「戦陣訓」の結果、多くの兵士が市民が「無残にも犠牲になられた」のですよ。これらの事実から目をそむけたままでは、「御霊安かれと心よりお祈り申し上げる」ことができるはずはないのです

また、外地で亡くなった兵士たちの政府による遺骨収集は遅々として進んでいなのですが、アベ君、未だに収集されていない100万人以上もの兵士の遺骨について、あなたは式典で「ご遺骨が一日も早くふるさとに戻られるよう、私たちの使命として全力を尽くしてまいります」と述べています。アベ君よ、まことに残念ながら、この挨拶はあくまでも言葉だけに過ぎず、あなたがほんとうに未だに放置されている100万人もの兵士の遺骨収集に全力を尽くすとは多くの国民は信じることができないでありませう。

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・・

グッドナイト・グッドラック!

もう一度猛暑御見舞:涼しげなむくげさん・・・

2019-08-15 01:41:38 | 日記
わがガーデンの垣根にムクゲが一輪、花を咲かせています。風に揺れて涼しげです。

ムクゲは漢字では木槿、槿などと書きます。お隣の国では「無窮花」と書き、「ムグンファ」と発音します。「ムクゲ」と「ムグンファ」、発音が似てますね?。
韓国ではムクゲは国の花とされているそうです

ムクゲの花言葉は「説得」だそうです。どうしてこの花が「説得」なのでありませう。優柔不断名人のGGIはムクゲに説得されたりしたら、困惑するしかないでありませう。また「信念」「新しい美」などもムクゲの花言葉とされています。

ピンク色のムクゲ、青みがかったムクゲもありますが、夏はやはり白いムクゲが一番涼しげです

珍しいものではありませんが今日の写真をクリックしてご覧になり、いくぶんでも涼しさを感じていただければ幸いです

道のべの木槿は馬にくはれけり 芭蕉

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・

グッドナイト・グッドラック!




再び猛暑御見舞:不思議な光景、ちょっぴり涼しそう?

2019-08-13 01:10:27 | 日記
先日、暑いなあ、お日様さんよ、それにしても夏だからといってガンガン照り付けるだけが能じゃないだろうと思いながら湖岸の大通りを緩慢に歩いておりました。暑さにうんざりして何気なく湖のほうに目をやりました。一瞬、思わず息をのみました。

今までに目にしたことがない、不思議な光景が広がっているのです・・・

今日の写真はこの光景を撮ったものです。お手数ですがクリックしてご覧くだいませ

湖上に広がる灰色の雲で覆われた空が見事に長方形に切り取られています。はさみで切り取られたような細長い空間には対岸の風景が収まっています。まるで何か舞台を見ているような不思議な感じがいたしました。長年湖畔の彷徨しておりますが、このようなファンタジックな光景を目にしたのは初めてです。

GGIが猛暑を乗り切れるよう神さまが配慮されたのでありませうか・・・

この写真をご覧になって、何となく涼しくなってきたとお感じ頂ければ望外の喜びでございます

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・

グッドナイト・グッドラック!

自分はエライから何をしてもいいんだと思い込んでいる政治家のみなさんゑ、法律をしっかり勉強しなさい! 

2019-08-11 01:04:33 | 日記
猛暑に追い打ちをかけるように何やら鬱陶しいできごとが起きますね。

例の国際芸術祭「愛知トリエンナーレ」の企画展(愛知県芸術文化センター)として8月1日から開催されていた「表現の不自由展・その後」が何人もの「有力政治家」たちの政治的圧力や電話などによる一千件以上もの集中的な抗議・攻撃(いわゆる「電凸」)、脅迫行為などにより8月3日に中止に追い込まれた事件です。

「有力政治家」というのは名古屋市長の河村たかし氏、大阪維新の会代表の松井一郎大阪市長、菅官房長官、柴山文科大臣、一部の自民党国会議員らのことです。この企画展は過去に各地の美術館から撤去されるなどした二十数点を集めたものであり、その中には慰安婦を想起させる「少女像」や天皇を含む肖像群が燃える映像作品も含まれているとのことです。

8月2日に会場を訪れ、「少女像」を目にした河村名古屋市長は「日本人の心を踏みにじる行為、行政の立場を超えた展示」であるなどとして展示の中止を求めました。松井一郎大阪市長も同じく8月2日に「これはプロパガンダだ。公金投入しながらイベントをやるときに、我々の先祖があまりにも人として失格者というか、けだもの的に取り扱われている展示をすることは、違うんじゃないか」などと述べています。また、菅官房長官と柴山文科大臣も8月2日に、同企画展を問題視して、芸術祭への補助金見直しを言及しています。自民党の議員のなかにも、展示は政治的プロパガンダであるとの意見を表明した人がいます。

GGIがこのたびの「表現の不自由展・その後」を取り巻く一連の騒ぎ、短期間のうちの大量の「電凸」は暴力的とさえ感じられる行為であり、何か異様にさえ感じられましたが、それ以上に驚いたのは「有力な政治家」とされる人物たちが法律のことをほとんど知らないこと、そしてまったくと言ってよいほど法律を意識してないことであります。

「表現の自由」が民主主義を基調とする社会を支えるための欠かすことができない大切な原則の一つであることは常識です。そのために憲法や国際条約などにおいて「表現の自由」が明確に定められているのですが、有力政治家たちはこれらの法的規定についてまったく無関心であり、おそらく読んだことも無ければ、まともに勉強したこともないのではないかと思われます。

法律を遵守することを一番厳しく求められるのは公人であるところの政治家でありますから、これらの政治家のみなさんに申し上げます。政治家として自分の考えに従うよう他者に対して何か要求しようとするときは、思いつきや感情に駆られて公言することは許されません。その前に、まず自分が求めようとしていることが法律に照らして適切なものであるかどうかを考えてください。そのために、まず法律をしっかり勉強してください。勉強してから、自分の言うべきことをしっかり考えてください。

と申し上げましても有力政治家のみなさんは何も勉強しない可能性が大でありますから、この本日の日記において、GGIが「表現の自由」について、その法的規定について、政治家のみなさんにその概要をご説明いたします。大切な機会ですから居眠りしたり無駄話しないでしっかり学んでください。

では、まず日本国憲法について、政治家のみなさん、お勉強いたしませう。日本国憲法というのは日本のすべての法律を律している最も重要な法律、最高の法規範です。ですから、みなさんがどんなにエラクても守らなければならない規則です。国民は憲法に従わなければなりませんが、とりわけ公人である政治家は、憲法をきちんと遵守することに努めなければならないということをしっかり頭に入れておいてください。憲法に違反した場合は、どんなにエライ人でも、憲法なんか読んだことがないから、憲法の内容を知らなかったから、と言って逃れることは許されません。河村君、松井君、わかりましたか?

まず、日本における最高の法規範である憲法において、表現の自由に関連して以下のような規定が設けられていることを知ってください。

《第二十一条:集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。》

ここで「保障する」とあるのはもちろん「国は保障しなければならない」あるいは「保障する義務がある」という意味です

「表現の自由」は、たとえば展覧会において他人の指図を受けずに表現物を自由に展示することが許されることを意味しています。「検閲は、これをしてはならない」というのは作者以外の部外者が表現物について、アレコレ意見や感想を言うのは自由ですけれども、《この作品は良くない、ためにならない、嫌いだ、ヘタクソだ》などの理由をつけて展示を妨げるような行為をしてはならない、ということを意味しています。

そして憲法第二十一条を支える規範として第十七条が定められています。

《第十七条;思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。》

ウィキペディアさんによれば、憲法では検閲が定義されていないため、制限される「検閲」の主体について争いがあるものの、最高裁は行政機関が行うものに限定すると判断しているとされています(裁判所の命令は検閲の主体には含まれないものとされています)

ですから、この芸術祭の実行委員会会長である大村秀章愛知県知事も指摘していますが、実質的にこの企画展の中止を求めていた行政機関の長である河村氏の行為は明らかに憲法でいうところの「検閲」に当たります。松井君も政治家として中止を求めていたも同然でありますから憲法に抵触しているといえます。

河村君、松井君、わかりますか?あなたたちの行為は明らかに憲法に違反したり憲法の規定を無視しているのですよ。あなたたちは政治家であるにもかかわらず、おそらく憲法を一度もまともに読んだことがないのではありませんか?しかしながら、憲法にそんなことが書かれているなんて知らんかったでは通る話ではないのです。作品は見てさまざまな個人的感想を抱き述べることはもちろん自由です。しかしながら、公人である市長=行政機関の長の立場から「不快だ、これはプロパガンダだ」などと威嚇的な発言をして実質的にある作品を展示するなと求めるのは明らかに検閲なのです。

河村君、松井君、例の「少女像」を展示することが「日本人の心を踏みにじるものである」かどうかは、またプロパガンダであるか否かは、あなたが決めることではありません。この像を見た人が、個々人が自由に判断することなのです

かつてマルセル・デュシャンという芸術家がニューヨークでの展覧会に【泉】と題した男性用小便器便器を出品しようとして主催者の美術団体から、「こんなものは芸術ではない」と拒否されたことがありますが、今ではこのた作品は20世紀の前衛美術の最も主要なランドマーク作品とする美術史家もいるのです。このように、作品の評価は、特に現代美術の作品(「少女像」もそのひとつです)の評価は、人さまざまであるのが常であるということを知っておいてください。

ですから、おかわりですか?法律の存在を無視して自分の信条や感情をむき出しにしてあれこれ難点を言い募って自分の意見を押し付けようとするのは聞き分けのない幼児と同じなのです。あなたたちはロクに法律のことも勉強もせずに、市長なんだから自分には大きな政治的権限=権力がある、それに人気もある、選挙民の支持もある、だから何を言ってもいいのだと思い込んでいるのではありませんか(それにあなたたちは、あなたたちを支持していない市民もたくさんいるという事実をすっかり無視しています)・・・・

官房長官氏と文科大臣氏は、展覧会の中止を直接は口にしていませんが、開催のための補助金について締め付けを行う意図を表明していました。これは費用面から展覧会を中止に追い込もうとするものであり、間接的でありますが実質的に中止を求めるものであるという意味において、明らかに検閲に相当する行為です。両氏もいま一度憲法の条文についてしっかり勉強してください。忙しいから勉強しているヒマなんかないとおっしゃるのですか?ジョーダンを言ってはいけません。政府の幹部である政治家が憲法を勉強しないでどうするのですか!

また、「これはプロパガンダである」との意見を表明していた自民党の国会議員諸氏も、強大な権力を有する政権与党の議員であることからその影響力は大きいことを考えると、実質的に政府や自治体による検閲を求めたものであると判断されます。したがってこの意味において議員諸氏は憲法に違反しています。これらの議員諸氏のみなさんの大半は、おそらく憲法のことなんかロクに読んだこともなく勉強したこともないものと思われます。ですから、この機会に憲法について真面目に勉強されるよう強く希望いたします。

もうひとつ、おそらく「有力な政治家」のみなさんがほとんどご存知でない、表現の自由に関する大切な欠かすことのできない法律の話をしておきませう。

世の中には「国際人権規約」というものが存在しているのですが、有力政治家のみなさんはご存知でせうか?これは「世界人権宣言」の内容を基礎として条約化したものであり、人権に関する条約の中で最も基本的で包括的なものであるとされています。えっ、何ですか、世界人権宣言のことも知らないのですか?学校の社会科か歴史の授業で習ったはずですよ!

とにかく今から説明いたしますからしっかりお聞きください。この「国際人権規約」の一部として「自由権規約」というものが存在しています。この規約は身体の自由と安全、移動の自由、思想・良心の自由、差別の禁止、法の下の平等などの「市民的・政治的権利」すなわち「自由権」を保障すること目的とした、人権に関する国際条約です。正確には「国際連合 市民的および政治的権利に関する国際規約」と言います。日本はこの人権に関する国際条約を1979年に批准しています。当然でありますが、この条約の批准国はこの規約の定めに従う義務があります。ですから日本政府はこの条約の規定に従わなければならないのです。

自由権規約第19条では、「すべての者は、干渉されることなく意見を持つ権利を有する。すべての者は、表現の自由についての権利を有する・・・」として、この条約の締約国に対して、表現の自由の権利を保障するための法的義務を課しています。このため、特に公人は、表現の自由を保障し尊重する義務を負っています。河村君、松井君、菅君、柴山君、あなたたちはもちろん公人です。このたびの官房長官、文科大臣、国会議員、市長ら政治家諸氏の言動は自由権規約におけるこの法的義務に違反してこの展覧会を中止させる政治的圧力をかけるものであり、また同展の企画者と出展者の表現の自由を侵害するものであると言わざるを得ません

えっ、何ですか?「そんな国際条約のことなんか知るか!そんなものどうでもええ、なこれは国内問題や、関係ない!」とおっしゃるのですか?あなたたち、モノを知りませんねえ、それでよく政治家なんて自称していられますね。恥ずかしくないですか?日本が結んでいる各種の条約の内容は国内法よりも優先されるのですよ、そのうえ、日本が結んだ条約は必ず守りなさいと日本国憲法に定められているのですよ。下に示した条文をしっかり読んでください。ですから、国連の自由権規約のことなんか知らん、関係ないと勝手に無視することは許されないのですよ、分りましたか!

日本国憲法第九十八条:この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。

また、このたびの「表現の不自由展・その後」に関して攻撃的な言動をされた政治家のみなさん、みなさんはおそらくご存知でないであろうと思われますが、「自由権規約」に関する国連の委員会(2011年7月開催)で採択された自由権についての「一般的意見34」において「(自由権規約の)締約国は、表現の自由についての権利を行使する人々を封じ込めることを目的の攻撃に対して有効な措置を講じなければならない」とされているのです。政治家のみなさん、このことが何を意味しているかお分かりですか?

この一文は、締約国である日本の政府には、「表現の不自由展・その後」への攻撃に対して、関係者の安全を図り、脅迫行為など刑事犯の疑いがある行為について捜査を行うことなど、表現の自由を守るために具体的で有効な措置を講じる責任があることを意味しているのです。お分かりですか、政府の一員である菅官房長官さん、柴山文科大臣さん・・・・

以上、GGIは政治家のみなさんに、法律について、「表現の自由」に関する法的な規定についてもっと勉強するようにと申し上げ、その概要を説明いたしました。しかしながら、まことに残念なことでありますが、この日記で挙げた政治家のみなさんは誰一人、おそらく今後も何も勉強しないでありませう。これらの政治家のみなさんにとっては、法律はたいした存在ではないからです。法律を遵守しなければならないとは思っていなからです。おそらく、「表現の自由」が大切であるとは、ほんとうは考えていないのです。

たとえば河村氏は、自分は大きな権限(=権力)を持っているのだからエライのだ、だから自分の考えは正しい、だから自分の考えを押し付けていいのだと思い込んでいるのです。他の政治家のみなさんも、程度の差はあれに似たりよったりでありませう。ですから、今後も公人として憲法の規定や国連の自由権規約の遵守に努めることをう彼らの期待することはできないでありませう・・・

また、上述のように自由権規約の委員会における一般的意見において、「表現の自由」についての権利を行使する人々を封じ込めることを目的の攻撃に対して有効な措置を講じることが政府に求められているのですから、「表現の不自由展・その後」に向けられた脅迫や攻撃的発言やこの企画展の今後について、「表現の自由」を守るために政府としての責任は果たさなければならないのですが、政府は刑法に触れる疑いのある行為の捜査など最低限の責任しか果たさないでありませう。それどころか、今後は補助金が投じられて開催されるこの種のイベントについて、補助金を出すことの是非について監視の目を強めることになるのではないかと思われます。

このたびの「事件」は、日本の社会で「報道の不自由」が進んでいるだけではなく「表現の不自由」までもが法律の存在を無視したまま今後進んでいくことを意味するものではないかと危惧されます・・・・

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・

今日の写真は朝日新聞の夕刊に掲載された「表現の不自由展・その後」を題材にしたマンガを撮ったものです。よろしければクリックしてご覧くださいませ。
なかなかのピリッとしたユーモア、グッドです!

グッドナイト・グッドラック!