UGUG・GGIのかしこばか日記 

びわ湖畔を彷徨する独居性誇大妄想性イチャモン性前期高齢者の独白

柿、おいしいなあ、ああ日々是好日やなあ・・・

2018-12-21 01:46:10 | 日記
わが庵のサザーンガーデンには隣家の越境柿の実がまだなっています。ヒヨドリ君たちはGGIの目を盗んでこの越境柿も食べてしまおうと飛来いたします

今日の写真は越境柿をむさぼるように食しているヒヨドリ君をガラス戸越しに撮ったものです。よろしければクリックしてご覧くださいませ。

ヒヨドリ君たち、警戒心旺盛、ガラス戸を開けて撮ろうとしますと、あっという間に見事な逃げ足で、鳥のくせにクモの子を散らすように飛び去ります。

「おい、君たち、それは隣家の越境柿だぞ、勝手に食べていいのか、隣家の許しを得たのか?」

「おっさん、余計なお世話です。ボクたちには境界線なんていうケチなものはないのです。そのような概念も存在していないのです。昔からどこの柿を食べてもいいことになっているのです。渡り鳥の場合は渡り鳥条約というものがあって、結構ヤヤコシイらしく、日本はロシアなんかと協定してカモ君たちは日本とロシアあいだをビザなしで自由に行き来してもいいよということになっています。もちろん北方領土への出入りも自由です

「でも渡り鳥の意見を聞かないで、人間が自分たちの都合で消えた条約なんて意味がないというのがわれわれヒヨドリの考えです」

「一方、柿の実の場合は《万国柿の実協定》という紳士協定があって、ヒヨドリはどこの柿でも自由に食べていいことになっているのです、この協定はもちろん越境柿にも適用されるのです。この協定は人間どもの勝手な都合に合わせたものではありません。ヒヨドリのヒヨドリによるヒヨドリのための協定なのです」

「万国柿の実協定?聞いたことないなあ、紳士協定だって?笑わせるな!いいかげんなウソ言うな」

「ウソではありません。先年、ボクたち世界のヒヨドリが集まって国際会議で議決したのです。でも越境柿に関する自由は、人間には適用されません。オッサンがこの越境柿の実を隣家に無断で取って食べた場合は、日本の民法により窃盗罪とされ罰せられます。というのは、隣家の越境柿であっても地上に落下せずに枝にぶら下がっている限りはオッサンの所有物ではないからです、地上に落下してしまったらオッサンが拾って食べることは合法です。柿の木の枝も同じことです。邪魔だからいって勝手に切ったら違法行為になります」

「ヒヨドリの国際会議なんて、よくそんな口からでまかせ言えるなあ」

「とんでもない、口から出ませはオッサンのほうです。連日の口から出まかせであり公序良俗を害しています。だからこの日記の題名は《口から出まかせ・ゴメン日記》に改めるべきです。民法云々の話はデタラメではりません、弁護士さんにきいてみればわかります」

「そうかあ、わかった。でもなあ、柿の実を食べるときはギャーギャー鳴かずに、もっと上品に静かに食べろよ。君たちの鳴き声、耳障りなんや、ジンマシンが出る。それに皮ものこさずに、きれいに食べろよ」

「聞き捨てならぬことをオッサンは言いますね、ボクたちの鳴き声が耳障りなんていうのは、オッサン、差別ですよ、ボクたちを蔑視していることを意味しています、明らかなる差別。耳障りなのはオッサンの説教のほうです。これは神さまが恵んでくれた鳴き声なのです。それに、オッサン、上品に静かにおちょぼ口で食べるよりも仲間とギャーギャー鳴きながら楽しく食い散らすのが一番おいしい食べ方なので~す。なあ、みんなぁ、この柿おいしいなあ、たのしいなあ、ああ、日々是好日やなあ」

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・

グッドナイト・グッドラック!


日々是必ずしも好日ならず:遥かなるオキナワなんて言っていてはいけないのだけれど・・・

2018-12-19 01:57:57 | 日記

これまで何度か書いておりますがGGIは地主です。オキナワの米軍普天間飛行場内に若干の土地を所有、ハンカチ一枚ほどの広さです。

昨日の朝日新聞、同紙の世論調査によれば米軍基地建設を目的とした辺野古の海の強行埋め立てに賛成している人は26%ほど、反対の人は6割を超えているそうです。

地主としましては埋め立てが強引に開始されてしまった辺野古の事態を、おお、遥かなるオキナワよ、なんて言っていてはいけなのはわかってるけどなあ、などと思っておりましたら、一昨日の夜、某知人からメールが届きました

ただいま、米国の市民団体が辺野古の埋め立てを中止するよう求める請願を米国大統領に対して行うために賛同者を募集している、というお知らせでありました。

そうか、そういう手もあることはあるよなあ、どれだけ効果があるかどうかは別として、何もしないよりはずっといいことであろうと思い、請願の言い出しっぺであるWE THE PEOPLEという市民団体のサイトを見てみましたら、署名用紙が掲載されていました。辺野古の基地建設の賛否を問う県民投票が行われるまでは辺野古を埋め立てを中止せよ、という請願です。

手続きは簡単そうなので署名用紙に氏名とメールアドレスを記入しました。そうしましたら、それだけではまだ手続きは完了していません、もう一息です、メールを送りますので、署名したことを確認してくださいとのこと・・・・

どうなっているだあ、よう分からんなあと思っておりましたらメールが到着「ここ(1)をクリックして確認してください」と書いてあります。ですから素直に「ここ」をクリックしたのですが何も変化はありませぬ。おかしいなあ、この(1)とは何なのだろうと下の方を見ましたら(1)のサイトのアドレスが記してあります。あっ、このサイトをクリックしろということよだなあ、と気づいてクリックしましたら、あなたの署名を正式に受け付けましたと、と書いてあるページがあらわれました。やれやれ・・・・

辺野古の海の埋め立て強行はいけないことだと思っておられる方は上記のWE THE PEOPLEのサイトをご覧になって、署名なさってはいかがでせうか

今日の写真はこのサイトの署名欄を撮ったものです。よろしければ拡大してご覧になってくださいませ。・・・

GGIにはよくはわからないのですが、署名が10万人に達していますと法的に正式の請願として受理されるということのようです。でも確かではありませぬ。昨日夜の段階では10万人を突破、11万以上に達しています。

ところで、一昨日、知人からのこの請願についてのメールをもらって眺めておりましたら、そうや、GGIはずいぶん以前にも、米国の大統領に勝手なる手紙を書いたことがあったよなあ、と思いだしました。二十世紀末と二十一世紀初頭のことであります。

二十世紀末というのは1997年、二十年前のことです。

実施的に軍隊であるところの自衛隊は基地や演習場のために国内の土地を軍用地として強制収容することは法的に許されていません。しかしながら、米軍は特別扱い、米軍は日本国内で日本のお役所を通じて基地などの用地を「米軍(駐留軍)用地特別措置法」なる法律により強制収用することができることになっています。しかし、そのためには沖縄県や同県の収用委員会等の同意が必要です。

ところが、1996年に土地の使用期限が切れているのに米軍が使用しているという事態が発生、この事態を乗り切るために、日本国政府は、実質的に沖縄県などの承認や同意を得なくても米軍がいつまでも土地を使用できるようにしようと、1997年に上記の米軍用地特別措置法を強引に改悪(改竄)してしまいました。(この間の詳しい経過については米軍用地特措法についてのウィキペディアなどをご覧ください)

このとき、GGIはヘタクソな英語で米国大統領あての手紙(ハガキ)を何百枚か作って、あっちこっちにばら撒きました。「日本における米軍の存在は日本国憲法に明らかに違反してるんや、もう日本にはこれ以上米軍の基地はいらんねん。だから米軍さんはサッサと本国に帰ったらどうや」ということをやや礼をつくして「大統領閣下」という書き出しで書いたのでありました。でも、ハガキをあげた人の果たして何人が実際に送ったか、大統領はこの手紙を喜んだのかどうか、その成果はいかなるもであったかなど、肝心な点はまってく不明でございます・・・

二度目は二十一世紀初頭、9・11危機、つまり2001年9月11日の同時多発「テロ」の後のことです。ブッシュ君が復讐のためにアフガン空爆を開始したとき、某知人が憤慨して激しい調子のブッシュ大統領を激しく罵しり謗る手紙を日本語で書きました。そうして、これを英語に直してブッシュに送ってくれと、GGIに無理難題を吹きかけたのであります。

GGIはもともと受験英語以上の英語はまったく知りませぬ。それにGGIはいちおうジェントルマンの気分でおりますので他人を口汚く罵り謗るようなことは、正直申しまして不慣れであります。ですから、おおいに困惑いたしました・・・元の日本語の調子を骨抜きにするような表現では怒られてしまいますし・・・多少格調を持たせるために慣れぬ分詞構文なんかを使ったりして・・・・でも最後は、少々間違っていても怒っていることぐらいは伝わるであろうと、なんとか仕上げました

そしてホワイトハウスにメールで送りつけたのであります。

ところがホワイトハウスさんはまことに用意周到。あらかじめ、このような類のメールに対しては、auto-responderという自動返信システムが作動するようになっていました。このシステムが働いてすぐに返信のメールが届きました・・・・

そこに何と書いてあったとあなたは思われますか?正確な内容は忘れてしまったのですが、なかなかリッパなことが書いてあったのです。

「このたびはお手紙ありがとうございます。われわれは常に市民のための政治、行政、施策を心掛けております。したがいまして、市民の考え・意見は大切であると考えております。いただきまして手紙は私たちスタッフが目を通し検討したうえで大統領に伝えられるでありませう」

ワッハッハであります、まことに有難きことであります。リッパな返事です。でも、あまりリッパ過ぎでありましたのでGGIは苦笑を通り過ぎて、思わず笑い転げてしまいました。

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・

グッドナイト・グッドラック!

日々是好日:最初で最後の?「おもちつき」・・・

2018-12-17 01:34:37 | 日記
師走ですね。みなさんはそれぞれ今年の後始末や新年の備えなどでお忙しいことと存じますが、GGIは各種些事雑用は若干あるものの義務的な用事はほとんどありませんので師走と申しても何も変わりはございません。

些事と申しますか、ひとつだけ悩み深き問題があることはあります。それはおカネ問題です。

先週の日曜日に「獄友」というドキュメンタリーの上映会を行ったのですが、配給元へDVDなどの使用料を払わなくてはなりません。先日送られてきた請求書によれば一金五万五百円也・・・当面はGGIが立てかえるのでありますが、そのあとが問題・・・赤字分を上映会開催に賛成した諸氏から何とか取り立てる必要があるのですが、不良債権化しないとも限らず、果たしてどうなることやら・・・

などと悩んでいると申しますか、やや投げやりな気分でおりましたら、GGI御用達のスーパーで、町内の老人たちよ、もっとふれいあませうと活動している、民生委員氏に遭遇しました

GGIさん、何を浮かぬ顔をしているのですが、ああカクカクシカジカなのですか、そんなことほっとけばどうにかなります、それより年末でもありますし、ひとつ気晴らしに「もちつき」でもしませんか?

もちつき?!あのペッタンペッタンやるやつですか?なんかネコに小判、GGIに餅つきの感がしないでもありませんが・・・

何をグダグダ言ってるのですか、とにかく、今度の日曜日、自治会の集会所、庭でやります。GGIさんもいらっしゃい。いえいえ、GGIさんはペッタンペッタンやらないでも結構、見物してればいいのです、できあがったお餅を食べさせてあげます、まだ参加申し込みした人が少ないので枯れ木も山のニギワイですから、ぜひ来てください。おカネなんかいりません、手ぶらで結構です

あの~、私は枯れ木なのでせうか?

あっ、これは失礼、まあ難しいこといわないで、とにかくにぎやかしに来てくださいよ

かようなしだいで昨日の日曜日、お昼前、GGIは餅つき会場へと出かけました。餅つきの現場を目撃するのはまことに久方ぶり、この前はいつ目撃したのか、記憶がありませぬ。ですからお餅つきの手順や手法というものもほとんど知りませぬ。

集会場に庭にはブルーシートのうえに餅つきの臼が二つ、町内の○○さんと△△さんから借りてきたそうです。木の臼です。すでにもち米のご飯は炊きあがっているようです。

まずは、臼に熱湯を注いて汚れをとって臼を温めます、汚れがとれ温まりましたら、中のお湯を捨てます。このままでは濡れていて具合が悪いので、「GGIサン、そこのキッチンペパーで中のお湯のあとをキレイに拭き取ってください、そのくらいのことはあなたにもできるでせう」「はい、御意でございます」

次に一升入りの電気炊飯器で炊きあげてふかした、熱々のご飯のかたまりを臼に移します。「今日はどれだけつくのですか?」「昨年は8升でした、今年は一斗つきます」「えっ、そんなに!この臼、一回に一升でせう、臼が二つあるから五回ずつもつくのですか、そんなに誰がつくのですか」「GGIサン以外の方がつきます、ご心配なく、助っ人を用意しております」

みると40代の元気いっぱいの人物が二人、スタンバイしております。

餅をつく本格作業を開始する前に、臼に移されたご飯を杵でこね回して、ご飯の粒をつぶします。「GGIさん、杵でこね回すぐらいはできるでせう」「いえ、遠慮いたします」

臼の周りにたむろしていた何人かがご飯をこねまわします。そのあといよいよ餅つき開始、元気40代がつきはじめようとしましたが、一回つくたびにお餅をひっくり返すという重要な役割を担うオバサンとの話が難航・・・

ついたお餅にお湯をつけてひっくりかえすという難しくかつ危険な作業を担当するのは近くのお寺の御住職の奥さん、つまり坊守さん、このかた、もういい年だと思うのですがなかなか元気、身軽でポーズも決まっております。

このオバサン、ベテランのようであり、40代元気人物に注文をつけます。「ちょっとあんた、そんな私の正面なんかに立ったりしたらアカン、ヘタしたら私のカシコイ頭、ぶち割られてしまうやないの!もっとこっち、もっと私の近くに寄って…並んでいるぐらいの感じで立つぐらいでちょうどええのや」

かくして餅つき開始、思っていたよりも短時間で一升のもち米がどんどんお餅に変化していきます。GGIは熱心な作業をひたすら傍観していました。傍観しているだけですので寒風が身に沁みます・・・

かなりの量のお餅が完成しました。ひたすらみなさんの勤勉ぶりに感心しておりましら、餅をひっくり返す役目をしていた坊守さん、「GGIさん、せっかくきはったんやから、ブラブラばかりしていないので、あんたもちょっとついてみなさい」「オレが?」「そうです!」

弱ったなあと思っていましたら、近くにいた保育園児か小1ぐらいと思われる、お母さんに連れられて来た小さな女の子、「私、保育園でお餅、ついたことある。私、やりたい」「そうかあ、でもなあ、この杵、重い、子ども用やない、だからやっぱりこのサボリ・オッサンにやってもらおう」

仕方なしに、GGI、杵を手にしました。結構重い…振り上げると足もとが若干ふらつきそう・・・・しゃあないなあ、やってみるかと決意して、杵を持ち上げかまえましたら、この小さな女の子、「オッチャン、姿勢が悪い、腰が入ってない、保育園の先生、言うてはった、手やない腰が大切、姿勢がただしければ自然に手が動くって・・・なんでも生きていくうえには姿勢が大切なんやと先生言うてはった」

まったく余計なお世話、「うるさいガキやなあ、だまって見てろ」、「お母さん、ガキってなんのこと?」、「可愛い子供のことや」「ウソ!」「ほんとは餓鬼というのはなあ、お腹が空いて空いてたまらん子どものことや」、「私、お腹なんかまだ空いてない、そやからガキやない、オッサン分かってるかあ」

おガキさまの発言を無視して何回か杵を持ち上げ、振り下ろしておりますうちに足もとがグラグラ、これはヤバイと思った瞬間、振り下ろした杵が臼の縁に激突!

まわりにいた皆さんから冷笑を浴び、軽蔑のマナコにさらされてしまいました。

やれやれ、恥をかいてしまった、しまったなあと思いながら集会場の畳敷きの座敷にあがりましたら、元気印のベテラン主婦たちがたむろしておりました。

「GGIさん、ご苦労さん、お久しぶり、寒かったでせう、熱々のぜんざいありますよ、どうですか、つきたてのお餅、入っていますよ」「ありがとうございます。ぜんざいなんて久しぶりやなあ」

ぜんざいにはお餅はもちろんですが甘~いあずきもたっぷり、タップリすぎるぐらい入っております、「いやあ・・・このぜんざい、甘い、甘すぎるわあ、オレ、あんまり甘いのはアカンのや・・・」

そうしましたら、誰かにドーンと背中をたたかれました。犯人は近くにいた体格の優秀なオバサンです。「GGIさん、お久しぶり、元気にしてはる?」「見てはったでせう、GGIの餅つきぶり、アノ程度には元気や」
が申しました、

このおばさん、GGIが勝手にサザエさんと呼んでいる人物です。この人物、風貌はサザエさんふう、苗字はサザエさん一家の苗字と同じ、真面目で痩身のダンナは、いまは白髪が目立つもののマスオさんふう、それにカツオ君はいませんがかつてワカメちゃんとそっくりの、今は看護婦さんをしている娘がいるからです。

「GGIさん、ぜんざい甘すぎるなら、お口直しにつきたてのお餅食べはったら」と、まだふわふわのお餅を大きなお海苔に包んで手渡してくれました。心より感謝であります。

まことに美味でありました、つきたてのお餅がこんなに美味であるとは、はずかしながら、これまで知りませんでした

かくしてGGIの一生で初めてで(おそらく)最後のお餅つきを、みなさんのお情けにすがって終了することができ、日々是好日の一日となりました。

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・

今日の写真は餅つき風景を撮ったものです。よろしければクリックしてご覧になってくださいませ。

グッドナイト・グッドラック!

クリスマスの季節に《神の御加護》問題:福島原発事故とエノラ・ゲイ号の場合・・・

2018-12-15 01:38:42 | 日記
「神の御加護」という言葉がありますね。キリスト教の聖職者や信者のみなさんなどが時に応じて使うことばです。

大半の場合「神の御加護がありますように」とか単に「神の御加護を」といった表現で願望を意味する言葉して用いられます。神があなたを、あるいは他の誰かを守ってくださいますように、というわけです。英語では God bless youなどといいます。

「神の御加護を」という表現は珍しいものでありませんが、何か具体的な事柄や事実などを指して、明確に「神の御加護があった」あるいは「これは神の御加護だ」という表現に出遭う
ことはあまりないと申しますか、稀にしかないのではないでせうか?

ところが、一昨日の新聞(12月13付け朝日)で、「あの時だけは《神の御加護だ》だと思った」とはっきり述べていた日本人の政治家がいることを知って、GGI、正直言って、想定外、驚きでありました。日本の政治家の口からこのような言葉が飛び出すなどとは思ってもいなかったからです。こう述べた人物はおそらくクリスチャンではないのではないかと思われますので、このような表現を用いたことは意外でもありました。いったい何があったのでせうか?

この人物は民主党政権時代、首相を務めたことがあり、在任中に福島原発の大事故というこれまでに経験したことのない危機に直面した菅直人氏です。

朝日新聞がいま「平成とは 取材メモから」という連載記事を掲載していますが、12月13日のこの連載記事事の見出しは

《「この国と原子力⑥」元首相「神の御加護」》

GGIはこの記事の見出しを目にしたとき、一瞬、エッ、何のことだと思いました。

菅氏は政権の座から降りた原発事故から1年半後の2012年10月に「東電福島原発事故 総理大臣として考えたこと」という本を著しています(幻冬舎新書)。GGIもこの本を読んだことがあり、その感想のようなものをすでに2013年3月11日の日記に書いています

原発事後直後の政府の対応などが記されていますが、やはり最も衝撃的だったのは、事故発生から間もない時期に、菅氏が首相として当時の原子力委員長・近藤駿介氏に命じて行わせた、最悪事態についてのシミュレーションの結果です。管氏の命を受けた近藤氏は3月25日にその結果を菅氏に報告しているのですが、それは以下のような内容のものでした。

「避難対象は東京都を含む半径250キロ、居住する約5千万人の避難が必要」

上記の記事を書いた記者は、事故から5年後後の2016年4月に、事故当時の状況について管氏に対してインタビュを行っており、その内容はすでに一度記事にされているのですが、一昨日の記事では、その記事の要点が以下のように記されていました。

《菅はこう振り返った。「福島に計10基の原子炉がある。もしすべて制御できなくなったら、チェルノブイリの何十倍もの放射性物質が放出される。東京まで来たらどうするかと考えた。しかし口には出せない・・・」》

そこで菅氏は、上記のように最悪の事態に関するシミュレーションを早急に行わせたのですが、その結果を知って

《菅は恐れた。「五千万人が避難するとなると地獄絵です」。現実には管が書いたように「偶然」が重なったのかもしれない。2号機の格納容器の圧力がなぜか急低下した。4号機の使用済み燃料プールに奇跡的に水があった。それで、何とか最悪のケースにまで被害が拡大することだけは避けられた》

《しみじみと菅は言った。「事故後の対処に人間も頑張ったけど、『頑張った』の積み重ねだけで止まったとは思えない。正直、あの時だけは『神の御加護だ』と思ったのです」》

《福島の被害は甚大だ。当時の菅の指揮には批判も強い。国民の半分近くが避難する事態が想定され、一国の首相がおびえたと言う事実も『平成史』に残しておかないといけない。》

これは「平成史」だけではなく少なくとも日本の戦後史の残しておかなればならない事実でありませう・・・

菅氏の評価についてはいろいろな観方があるかと思いますが《「神の御加護」だと思った》、つまり「あのとき、神の御加護があった」という彼の言葉は未曽有の最悪の危機をぎりぎりのところで乗り切っての偽らざる実感でありませう。GGIは信仰無き者でありますが、菅氏のこの言葉に嘘はないと信じます。

年があければ事故から8年、GGIの知人のなかには今も被災者の支援などに懸命な人たちがいます。でも、まことに残念なことでありますが、二度目の東京オリンピックや新天皇の即位、それに万博などを控えて、福島原発事故が風化しつつあることは否めないように思われます。東電を除く大手の電力会社にとっては、今や福島原発事故は遠い対岸の火事と化しているといっても過言ではないでありませう

しかしながら、未だ原発が必要と考えている諸氏は、とりわけ安倍首相をはじめとした政府関係者と全国の電力会社の諸氏は、菅氏の言葉、《「神の御加護」だと思った》という言葉が持っている意味をいま一度しっかり受け止めるべきだ、しっかり噛み締めるべきだとGGIは思います・・・あのとき、「神の御加護」がなかったらどうなっているか・・・

二度と「神の御加護」があるとは限らないからです。

などと考えおりましたら、もうひとつ、「神の御加護」についての話を思い出してしまいました。これは「神の御加護があった」という話ではなく、恐るべき重大な使命を無事に果たすことができるように「神の御加護を」願うと言う話です。これも原発に関連した話、つまり、原発の父(母?)である原爆に関連したはなしです。

1945年8月6日午前2時、米軍のエノラ・ゲイ号は世界初の核兵器、原爆を投下するために広島に向けてテニヤン島を飛び立ちました。出撃にあたり、搭乗員全員を前にして従軍牧師が祈りをささげたことが良く知られています。この話は一度、2017年1月26日の日記にすでに書いておりますので、以下に一人の従軍牧師の祈りの内容だけを再録しておきます(従軍牧師はプロテスタントの牧師二人、カソリックの神父一人の計三人であったとされています)。

従軍牧師ウィリアム・ドゥネイ大尉の搭乗員たちのための祈りは次のようなものでした。

主よ。主を愛する者の祈りを聞き給え。

主の存ます天の高みとともに高く天翔けり、
戦いに向かう者とともに在まさんことを。

命ぜられし地へ飛ぶかれらを守り給わんことを。

われらとともにかれらも、主が強さと力を知り、
主が力に鎧われて、速やかに戦いを終わらしめんことを。

戦いの終りの速やかに来たり、
再びわれらに地上の平和を知らしめ給わんことを、
主の前に奉る。

この夜飛ぶ人々の、主が守りによりて安らかに、
また帰路を全からしめられんことを。

われら常に主の加護を知り、ひたぶるに主を信じ進まん。

(注:この祈りの日本語訳は堀田善衛の小説「審判」から引用しました)

エノラ・ゲイの搭乗員は全員、この従軍牧師の「神の御加護」を願う祈りにより、「無事」任務を完了し、テニヤンの基地に帰還したのでありました・・・

しかし、彼らが無事帰還したことにより地球規模の危機の時代、「核の時代」が始まったのです。「神の御加護」とはいったい何のためだったのでありませうか・・・・

一方、エノラ・ゲイの「神の御加護」については、宗教的見地から謝罪の意を表明している人物もいます。

エノラ・ゲイ号の機長であったポール・ティベッツはカトリック教徒であり、同機にはカトリックの従軍牧師ジョージ・ザブレッカ神父も搭乗していたとされています。原爆投下にカトリック教徒と神父が関わっていたことについて、第63回国連総会で議長を務めていたミゲル・デスコト・ブロックマン氏(ニカラグアの元外相)は2009年8月6日、広島での式典において次のように述べています

親愛なる兄弟の皆さん、

 私は、世界がかつて目にしたなかで最大の残虐行為を想起する、この最も厳粛な機会を皆様と共に過ごすことを光栄に思い、また深く心を動かされています。

 本日、私は国連総会議長としてだけでなく、個人的な立場からも、この場に臨席しています。

 ローマ・カトリック教会の神父及びナザレのイエスの弟子として、宿命的なB-29エノラ・ゲイ号の故ポール・ティベッツ機長が我々の教会の信者であったという事実に対し、私は心の底から日本の兄弟・姉妹の許しを請いたいと思います。後に、カトリックの従軍牧師であったジョージ・ザブレッカ神父が、この行為がイエスの教えに対する、想像しうる最悪の裏切りの一つであったと認めたことは、私にとってある程度の慰めではありますが、私は、自分の教会の名において皆様に許しを求めます。

 64年後、原子爆弾による破壊という恐ろしい現実は、悲しみと恐怖、そして、無理からぬ怒りを呼び起こす力を全く失っていません・・・(中略)

 日本が核兵器による攻撃という残虐行為を経験した世界で唯一の国であり、更に日本が許しと和解の素晴らしい模範を世界に示してきたことに鑑みれば、私は日本こそが、最大限の道義的権威を持って、核保有国をこの象徴的な平和都市である聖なる広島に招き、世界に核兵器を一切許さない「ゼロ・トレランス」への道を進み始めることにより、我々の世界が正気を取り戻すプロセスに真剣に着手することのできる国であると信じます。

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・

今日の写真は福島事故当時の菅氏の姿です。上記の記事から借用しました。

グッドナイト・グッドラック!

ゴローさん一家が去ったらヒヨドリ君たちが大挙飛来して熱い視線を・・・

2018-12-13 01:20:00 | 日記
昨日の昼前、玄関に人影・・・誰だろうと思って出てみましたら、これまでこの日記に何度も登場願っている元大工のゴローさんでした。

今年もすでに何度も柿の実をとりにきているたゴローさん、片手に杖、ハーハーと苦しそうな様子で立っています

「GGIサン・・・カキ・・・取りに・・・来た・・・ヨメサンと・・・娘・・つれてきた・・・娘に車・・・運転させて・・・」

息も絶え絶えであります。肺が悪くて酸素ボンベが離せないのに、酸素ボンベ同伴はイヤ、でですからちょっと動くと息が荒くなるのです

来年は91歳になるのにまだオートバイに乗っているゴローさん、先日エンジンをかけているときに突然オートバイが暴走して投げ出されて全身打撲、心配していたのですが、良くなったのでせうか・・・

ゴローさんが、脚立を柿の木のところまで持って来てほしいと言いますので、脚立を手に庭に出ましたら、奥さんと娘さんが柿の木を見上げながらのんびりと待っていました、

奥さんが元気に言います

「買い物に出たら急にGGIさんところへ柿をとりに行くと言いだして・・・とつぜんお邪魔してすみません」

「そんなことありません、柿、取りに来てもらうのは大歓迎。でも、そんなことより全身打撲、心配してたんです、だいじょうぶですか?もうオートバイ、やめたほうがいいですよ」

「打撲のほうは、まだ足の指がおかしいらしくて・・・私も以前からもうオートバイ、止めときと言うてるんですけど、主人はわがままで私のいうことなんかちょっともききません・・・」

「そうでしょう、ゴローさん、むかしから勝手なところが取り柄やからなあ・・・」

「GGIサン、ちょっと強う言うてやってください」

「ゴローさん、聞いてるかあ!たまには奥さんのいうこときかんとバチあたるでえ」

ゴローさんはまだ息が苦しそう、何も答えません、ハーハー息をつくだけです。

「ゴローさんが言うので脚立もってきたけれど・・・今日はゴローさんが取るのは無理や、代わりに娘さんにとってもらったら・・・」

娘さんは地元の銀行で最近まで外回りの仕事をしていたという元気活発オバサン。仕事のついでにお客のお年寄りに頼まれて買い物までしてあげたり、とても親切な行員さんでありました。

というわけでゴローさんが車のシートに座って酸素ボンベをかかえているあいだに、娘さんが、先端にはさみが付いている伸縮式の長い棒を器用に扱って次々に良く熟れた柿の実クンたちを収穫していきました。

車の後部には収穫物がどっさり、ゴローさんも大満足、娘さんはさっさと脚立などの後始末をしてから、元気に帰っていきました、GGIは車の開いている窓に向かって大声で、

「ゴローさん、分ってるかあ、もうオートバイやめとき!ちょっとは年、考えんとあかん、もう牛若丸やないのやから!」

ゴローさん一家のおかげで、残っている柿は少なくはなったのですが、それでも一番道路よりに生えている若干渋柿のほうは、まだかなり残っております

ゴローさん一家を見送って、庵にもどり、さあて今日はどうしてもんかなあ、そうや、この日曜日にやった冤罪映画「獄友」の上映会で使ったDVDを配給元へ返送しなければ・・・それにしても結構赤字になりそうやけど・・・でも某氏が最近大口?のカンパが別の某氏からあったと言っていたから、なんとかなるかなあ・・・などとぼんやり考えておりましたら、庭のほうが何やら騒がしく、ギャーギャーピーピーと野鳥の鳴き声・・・

何だろうと思って、わが庵の一等応接室の窓を開けて庭を見ようとした瞬間、わが若干渋柿の木に寄ってたかっていたたくさんの鳥たちがあっという間に電線に向かって一斉に飛び立ちました、

かくして、わが狭きガーデンの両側に景観を破壊しながら突っ立っております関電さんの二本の電柱、その間に張られた電線の上に野鳥君たちは大挙して逃亡。電線の上にそしらぬ顔をして整然ととまっております、ピーピーと騒がしいだけの鳴き声からしますと、おそらくヒヨドリ君たちでありませう

今日の写真は電線に整列してとまっているヒヨドリ君たちを撮ったものです。よろしければクリックしてご覧くださいませ

画面の中央に写っているのはすっかり葉が散ってしまった我が愛するナンキンハゼさんです。写真の右下にはまだたくさん実がなっている若干渋い柿の木が小さく写っています。

ヒヨドリ君たち、電線に一列に並んで行儀よさそうにとまっております。電線に止まっているだけで、とくに何かを見ているようには見えません。しかしながら、ヒヨドリ君達は実は何もみていないふりをしながらGGIの様子を観察してるのです。そして観察しながら、ときおり柿の木のほうに熱い視線を送っております

ヒヨドリ君たちのコンタンはGGIにはお見通しであります。GGIが姿を消したらゴーサイン、一斉に柿の木を目がけて急降下、柿の実食べ放題というわけです。

「あのノーテンキオッサン、早く退去しないかなあ」と心待ちにしながら電線の上で世の中平和だなあと平静を装っているのです・・・

GGIは柿の実が惜しいわけではありませんが、どうもヒヨドリ君たちはその騒がしいだけの鳴き声といい、そのコソクな挙動といい、好きになれませぬ。要するに可愛げがないのです。マザーがまだ元気であったころは、毎年、マザーとヒヨドリ君たちはイチジクの実の争奪戦を繰りかえしておりました・・・

でも、まあ、師走の寒風に吹かれてただただ寂しげに木にぶら下がっているよりはヒヨドリに食べられてしまう方が、柿の実クンにとっては幸せかもしれないなあと思い、しばらくしてGGIは立ち去ったのでありました。

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・

グッドナイト・グッドラック!