UGUG・GGIのかしこばか日記 

びわ湖畔を彷徨する独居性誇大妄想性イチャモン性前期高齢者の独白

《この日、全日本国民は世界に平和が続くよう、神に祈るべきである》

2019-02-21 01:59:06 | 日記
2月18日の京都新聞(デジタル版)に以下のような見出しの記事が掲載されていました。

《大事件報じた新聞・・・戦犯の死刑号外も 京都の男性が寄贈》

京都府城陽市の男性(87歳)が、1928年(昭和3年)から2011年(平成23年)までの重要事件が掲載された新聞1907点を城陽市の歴史民俗資料館に寄贈したというニュースです。

寄贈された新聞のなかには、東京裁判(正式名称は極東国際軍事裁判:1946年5月3日~1948年11月12日)でA級戦犯とされた7人の死刑執行を報じる京都新聞の1948年12月23日の号外もあり、記事にはこの号外の写真が付されていました。当時にしては珍しいカラー印刷と申しますか、赤黒緑の3色刷りです。

今日の写真はこの号外を撮ったものです。どうかクリックしてご覧ください。

ご覧のように、この号外には死刑執行についての「マッカーサー元帥声明」なるものも掲載れています。

《今早暁、東條以下の絞首刑執行さる:東條、廣田、板垣、土肥原、松井、木村、武藤ら七戦犯に対する絞首刑は今暁巣鴨拘置所において第八軍当局により執行された旨発表された》

《この日、全日本国民は世界に平和が続くよう、神に祈るべきである マッカーサー元帥声明より》

これは声明とされていますので、マッカーサーによる連合軍最高司令官としての公式の言であるものと解されます。

GGIはこの号外をはじめて目にしました。まず、事実のみが極めて簡単にしか報じられていないことに少なからず驚きました。歴史的事実としてすでに十分に知っていることですけれども、それでもこの事実を伝える号外はやはり衝撃的であります。

処刑された7人は「平和に対する罪」を問われ有罪とされた、いわゆるA級戦犯。7人のうち近衛内閣の外相を務めた廣田氏一人だけが文民、他の6人はいずれも軍人です(いずれも陸軍、海軍でA級戦犯とされた軍人は数名いますが、処刑された者はいません)。

この戦犯とされた7人の処刑は日本による戦争行為に対する決定的な断罪を意味しています。明治維新以来の富国強兵に基づく、何が何でも「列強」に伍したいという大国あるいは強国志向の行きついた先が日中太平洋戦争であったことを考えるならば、明治維新以来の日本の国のあり方が決定的に断罪された、あるいは全否定されたとも言えるのではないでせうか。この意味から、この7人の処刑は日本近現代史における最も大きな出来事であることは確かであるといってもよいでありませう・・・もちろん世界史的にもナチス・ドイツの敗北に並ぶ極めて大きな出来事であることは言うまでもありません。

そして、マッカーサーの声明も7人の処刑の報道に劣らず衝撃的でありました。GGIはこのような声明が出されていたことはまったく知りませんでした。マッカーサーの声明はなかなか厳しいものです。この声明は「全日本国民」に「世界に平和が続くよう祈れ」と命じているも同然であるからです・・・

当時、すでにGGIも「全日本国民」の一人であったのですけれども、国民はこのマッカーサーの声明をどのように受け止めたのでありませうか・・・

70年を経た今考えますと、このマッカーサー声明、「えらく厳しいなあ、何を偉そうなこと言ってるのや・・・」という感じがしないでもありませぬ。当時いくらマッカーサー元帥が天皇よりエラかったとはいえ、また連合軍最高司令官であったとはいえ、そこまで外国の一軍人に過ぎない人物に言われたくはないと思わないわけでもないからです。

しかしながら、まだまだ日本全土に空爆の傷跡である焼野原が広がっていたことを考えれば、当時の日本人の大半は、おそらくマッカーサーの言を、当然のことであるとして、それほど抵抗なく受け止めていたのではないかとGGIは思います・・・

このマッカーサーの言葉は日本人の胸の内にまだ生きているのでせうか、あるいはすっかり過去のものとなっているのでありませうか・・・

この号外をご覧になって、またマッカーサーの声明をお読みになって、みなさんはどうお感じになるでせうか?・・・

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・

(この日記、つづくかもしれません)

グッドナイト・グッドラック!

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