UGUG・GGIのかしこばか日記 

びわ湖畔を彷徨する独居性誇大妄想性イチャモン性前期高齢者の独白

牢獄というリングで孤独に耐えて戦い続けたプロボクサー、袴田巌・・・

2018-03-25 00:49:17 | 日記
今日は「袴田事件」についての話です。

1966年に清水市(現静岡市)で起きた強盗殺人事件は「袴田事件」の名で知られており、日本弁護士連合会は冤罪の疑いが極めて濃厚な事件として、この事件の再審請求を行っている弁護団を支援しています

GGIはこの事件の犯人とされ死刑が確定している袴田巌さんの再審請求に関して、これまでに袴田事件についての映画の上映会を行ったり巌氏の実の姉である袴田秀子さんの講演会を湖都で開催するなど、ほんのチョッピリ支援のようなことをしてきました。そのため何度かこの日記で袴田事件のことを書いています。

皆さんもご存知かと思いますが、逮捕されてから実に47年以上も拘禁されていた巌氏(今年81歳)は2014年3月に静岡地裁による再審開始の決定を受け即日釈放されました。けれども、この決定に対して検察側が即時抗告を行っており、この抗告に対する東京高裁の判断が未だに下されていないため、再審が開始されるに至っていません。弁護団は最終意見書を今年の1月19日に提出していますが、いつ高裁が判断を下すのかはいまのところ定かではありません。

巌氏は元プロボクサー(フェザー級)であり、早くからプロボクシングの関係者たちが冤罪であるとして支援活動を行っています。GGIはボクサー時代(1960年1961年)に、どのような選手であったかなどが記されている「袴田事件」(山本徹美著、新風舎文庫、2004年)という本を以前に読んだことがあり、彼がなかなかユニークなボクサーであったことを知りました。

一言でいえば、稀にみる打たれ強いボクサーです。また、ノックアウト敗けをしたことがなく、ノックアウト勝ちもわずか一回というきわめて稀でユニークな記録の持ち主です。KOされるのを拒否して打たれても打たれても前に出ていく、そのためについには相手が打ちくたびれてしまう・・・

といったことがこの本に書かれていました。

この本の内容については2012年10月30の日記に書いておりますので、関心のあるかたはこの日記をご覧になってください。

この本でボクサーとしての巌氏のことを多少は知っているつもりだったのですが、先日、「フォーラム90」という死刑廃止を求めている市民団体のニューズレター(Vol 158:2018年3月10日)に掲載されていた「努力のボクサー 袴田巌」と題された、歌人でボクシングライターであるという福島泰樹という人物の講演記録を読んで、ボクサー時代の厳しい選手生活が長い獄中生活を支えていたことをはじめて知りました。以下は福島泰樹氏の講演記録からの引用と講演内容の要約です。

巌氏のボクサー時代の戦績は次のようなものです。

選手生活は短く1960年~1961年にかけての1年9カ月に過ぎませんでしたが、その間の戦績は、1960年には13勝4敗1分。1960年の2月から10月にかけて10連勝。なんとこの年は一カ月に2回以上戦った月が7回もあったことになり、これは年間最多試合記録であるとのことです。

しかし、1961年にフィリピンにわたり強豪マーチング・デビットと戦って帰国した後負けが重なり、とつぜん引退。生涯成績は29戦16勝(1KO)10敗3分。

彼の戦績について福島氏は次のように述べています。

「わずか1年9カ月で、今のベテラン選手の10年分を闘い続けてしまった。ちなみにいま最も人気のある元バンタム級世界王者山中慎介は、2006年1月にデビュー、戦績30戦。そのうち袴田と同じ29戦を戦うのに12年を要した。それを袴田は1年9カ月でやってしまった。過酷な肉体酷使が引退を早める結果を生んでしまったのです」

そして、巌氏は袴田事件の犯人として収監されてから14年後に、ボクシングガゼット」という雑誌を編集発行していた人物にしっかりとした文体で次のような手紙を書いています。

「今、私は、先生に真実を訴えたくてこの手紙をしたためております。小生は現在、濡れ衣を着せられて東京拘置所におります。一、二審において、満腔の怒りを込めて権力犯罪を糾弾するとともに、一応の真実、正真正銘、『小生は無罪である』ことを訴えてきました。それは、文字通り小生の血叫びでありました。しかしこの真実である血叫びが過去13年にわたり未だに容れられておりません。この司法の無責任さに、小生は、怒りで肌が泡立つ思いです」

闘志満々の気迫をもってしたためられた手紙です。

それから数年後、おそらく死刑が確定(1980年12月)した後に、福島氏は巌氏の手紙集を目にして、「その日記の中に、彼がボクシングで培った克己の思い、そして孤独に耐えてきた思い、こういうことが語られている」として、巌氏による1984年11月11日の日記を紹介しています。

『私の事実勝利の念は、孤独を受け入れる時、清められ、深められるものです。確かに孤独は私にとっても切なく、辛いことですが、無意味ではないのです。忍耐してその中で謙虚に孤独を受け入れてみれば、必ず、はっと気づく深い勝利の意味がわかるのです。/ 孤独から逃避し、何とか解消しようとあせって、ただ自分の意志や思惑だけで押し通そうとすると、闘争には空しさだけしかみいだせなくなります。そして虚無主義者となって、闘争の真の意義と神秘的源泉に心を閉ざすことになります。もし絶対に孤独が闘いの源泉であり、神秘を秘めているとするならば、私共の闘争は孤独を知るために今の時期がしたたかな怨みと共にあるともいえるのでしょう。/ 何れにしても、冤罪は生きてそそがなければ惨めすぎるのだ。』

哲学的とも言うべき、深い思索の跡がうかがわれる一文です。巌氏がこのような一文を記していたとは、GGIにはまったく意外であり、驚きでありました・・・

この日記の一文について、福島氏は以下のように述べています。

「・・・パスカルの『パンセ』を読むような深さと静謐さと、そこから深い思想が息づいています。それと同時に、この袴田巌という人の強靭な精神性が漲っている。おそらく牢獄を、ボクシングジムに代わる精神の収用所(「修養所」の誤植?)として、たくさんの本を読み、勉強したのではないかと思う・・・牢獄を道場として教養を培っていたのではないでしょうか。それこそが、ボクシングの過酷な練習で培った克己の精神ではないでしょか」

みなさんはどのようにお感じなるでせうか・・・

しかし、巌氏はあまりにも長きにわたり狭い独房に収監されていたため、今では重い拘禁症に陥っており、極めて深い精神的外傷を負っています。47年ぶりの釈放されたものの、正常な精神状態を取り戻すにはほど遠い状態にあります

(この日記、つづくかもしれません)

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・

今日の写真は「フォーラム90」のニューズレターに掲載されていた袴田巌さんと姉の秀子さんの近影を撮ったものです。クリックしてご覧になってくださいませ

グッドナイト・グッドラック!



コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 正真正銘「価値ある100円... | トップ | 春なのに悪い予感の大的中、... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

日記」カテゴリの最新記事