昨日、パチンコ屋さんの前を通りかかりましたら声がしました
「もしもし、そこを行くのはGGIさんではありませんか」
声の主はパチンコやさんの駐車場の看板、その中に鎮座しておりました。誰かと思ったら人食いザメのジョーズ君です。
「やあジョーズ君か、まったく久しぶりやなあ、こんなところで何してるの?」
「このたび私ども、パチスロの新バージョンとして登場することになったのです」
「私ども、なんて何を気取っているのや、でも再登場できてよかったなあ、おめでとう」
「ところでGGIさんにまえから聞きたいと思っていたことがあるのですけれど・・・」
「遠慮はいらん、聡明かつ慧眼なるGGIに何でも聞いてごらん」
「じゃあ、お聞きしますけど、ボク、あいつは恐ろしい人食いザメやなんて言われていますけど、ボク、そんなにヒトを食っていますかねえ、そんなつもりはないのですけれど、ヒトを食うってそんなにいけないことなんですか?・・・」
「う~ん、微妙な質問やなあ、なかなか倫理的には難しい問題や。でも、その質問はなかなかヒトを食っているなあ・・・」
「そうですか?あのねえ、どうしてヒトを食ったらいけないのですか?人間のなかにヒトを食っている連中がたくさんいるじゃないですか。それなにのどうしたボクたちだけがヒトを食っていると恐れられ毛嫌いされなければならないのですか!GGIサンだってひごろ結構ヒトを食っているじゃないですか!」
「あのなあ、ヒトを食ったするのはあんまり感心したことじゃない。でも、そんな悪い事とも言いきれん、それになあ、人間の場合は本人、ヒトを食っている意識が余りないことが多い、人間の場合は人を喰っているかどうかは他人が判断することなのや。ところが残念ながら君は人間やない、君たちサメは、人を食った場合は、他人がどう言おうと、食ったという自覚があり、かつその事実が存在しているやろ、その場合はまずいよなあ、悪いこと、人を怖がらせるようなことしたんだから、だから君たちサメはヒトを食ったらあかんのや」
「よくわかりませんねえ、どうしたサメならいけないのですか?」
「あのなあ、いま言ったように、サメの場合は、人を喰っているかどうかは他人が判断することではないのや、ところが人間の場合は《オレはヒトを食っている》なんて認めるヤツはひとりとしていない。だから人間の場合はヒトを食うのはええことやとかアカンことやなどとを議論してもあまり意味がないのや。人間であれば、場合によっては「ヒトを食ってどこが悪い!}と開き直ることもできるが君たちの場合はそうはいかん」
「人間に許されることがどうしてボクたちサメには許されないんですか!」
「あのなあ、はっきり言えば、君たちサメの場合は「ヒトを食う」ことは、「ヒト」を、つまり人間を食ることを意味することになっているのや、わかったか!だから食ったらあかんのや」
「わかりませんねえ、ヒトを食うのとヒトを食べるのとはどう違うのですか、たとえば「お菓子を食う」と「お菓子を食べる」はまったく同じ意味じゃないですか!」
「そのとおり・・・でも食する対象がヒトの場合は意味がまったく違うのや、この意味の違いはヒト、つまり人間だけに適用されることであって、残念ながら君たち人食いザメには適用されないのや」
「GGIさん、人間だけにしか適用されないって・・・それは差別じゃない?GGさんは日頃。オレは万物を平等に愛しているなんて言っているくせに、矛盾しているじゃない!」
「あのなあ、差別がどうのこうのという大そうな問題やない。これは文化の問題、人間と人食いザメの文化は異なっているのだから仕方がないのや・・・」
「なんだか、いつものようにGGIは最後にはヒトくを食って話をごまかすんだね、見損ねた」
今日の写真はパチスロのニューバージョン「ジョーズ」をPRするパチンコ屋さんの看板です。よろしければクリックしてヒトを食っているジョーズ君の勇姿をご覧になってくださいませ
グッドナイト・グッドラック!