今日は驚く位沢山の鴨鵜系が飛来してました。少なくとも100羽は居たと思います
ツツジも色づき始めました
台風にも負けず
池の北側ではすぐそこまで川が迫っていました。赤線が水位の位置
池南側でも、あと50cm水位が上がっていれば、周回コースを越え、川から池へ水が流れていました
古いゴミは流されましたが、また新たなゴミが似間によって捨てられていました
ゴミの除去も容易でありません
倒壊した家の一部のよう
台風の後↑と前↓
また台風が近づいています。無駄に過剰な位注意したいものです
今日は驚く位沢山の鴨鵜系が飛来してました。少なくとも100羽は居たと思います
ツツジも色づき始めました
台風にも負けず
池の北側ではすぐそこまで川が迫っていました。赤線が水位の位置
池南側でも、あと50cm水位が上がっていれば、周回コースを越え、川から池へ水が流れていました
古いゴミは流されましたが、また新たなゴミが似間によって捨てられていました
ゴミの除去も容易でありません
倒壊した家の一部のよう
台風の後↑と前↓
また台風が近づいています。無駄に過剰な位注意したいものです
今日も特に予定は無かったので、サンピア~池周回散歩~西友で買い物~帰宅という定番コースで湯ったり、
のはずだったけど、
後で投稿しますが、調整池南の千曲川の台風の傷跡は先週と全く変わらずで痛々しいばかり。
ただ、サンピア5Fから見下ろす風景は
空気が澄んでて綺麗だったので、東から北~西へとパンしながら180度位の範囲を撮影してみました
浅間山
台風19号は改めて日本人に防災意識のあり方を考えさせる大災害になってしまったけど、
私も今思えば反省しなければいけない事がある。
先週の土曜日、台風予測から臨時休業となり、私は朝から夕方までテレビとネット情報を
見比べ警戒していた。午前から午後3時くらいにかけては警戒レベル3が続き、
それほど心配はしてなかったが、午後4時くらいから、我が家から5、60m位離れた
千曲川に赤い太線が覆い始め、その後警戒レベルは4に変わり、大雨特別警戒が
発令された直後、町の無線放送で避難するよう指示があった。よほどの大雨が無い限り、
9割方越水は無いだろうと思っていたので、まさかのまさかが起ころうとしてるのかと思った私は
それほど危機意識のな無かった二人の子供を無理やり連れだし、役場へ避難した。しかし、
役場へ行ってみれば拍子抜けするくらい避難者が少なく、20人ほどしか居なかった。後で聞けば
最初に避難場所に指定した施設は満杯だったらしいが、結局役場へ避難した人はそれほど増えなくて
非常に意外だった。その後、持参した月刊ムーを読んだり、役場のテレビを見ながら人生初めての
避難生活を始めた。時折外の様子を見たりして経過を見ていたが、安心感は自宅にいる時の比ではない。
居心地はあまり良いとは言えなかったが、身の危険を感じることが全く無かったので、避難も悪くは無いと
思った。
そして、避難を始めてから6時間が経ち、日付が変わろうとしてる頃、外へ出てみると雨が止んでいたので、
土曜の朝から全く見る事の無かった千曲川の様子も見にいった。するとさすがに水位はこれまで見た事無いレベルだったけど、
越水まではまだ2m位余裕があったので、雨も止んだことだし、家に帰還しても大丈夫だろうと判断し、
役場のノートに記帳し帰宅した。
ここが反省すべき点だ。ここで水位が少ないといっても上流で何が起きてるのか分からない。上流で豪雨が
続いているとすれば、2m位の余裕があるとはいっても、この後わが町でも越水に至る可能性は十分あったのだ。
実際上流の村では全域に避難勧告でていたし、雨が止んでるという情報もその時は無かった。
私は安心して帰宅していたが、洪水に襲われる可能性はゼロではなかったのだ。
今想えば、その日は役場に泊まって翌日再判断するのが本当にベストな選択だったと思う。
役場の出した避難指示は的確だったと思うが、勝手に帰宅しようとする人にも
注意を促す事も必要だと思った、
ダウンタウンの松本さんを含む数人が町のモニタリングをしてるようでした。
すると全長3m位のプラモの玩具をそのままデカくしたような飛行機を載せた
軽自動車が動きだした途端、後ろのトラックと接触し、車から落ちた飛行機を
残したまま逃走しようとしました。それを見ていた松本さん達は
「まずいよまずいよ」とか言っていました。