ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q

見てきました。
うー、疲れたー。

感想は、もうやっぱりネタバレ無しでは書けないので、情報を入れたくない方はここから下は読まないようにしてくださいね。


★★★ 以下ネタバレ ★★★

見ている間、思っていたことといえば、「なんだよ! どういうことだよ! テレビシリーズよりも登場人物たちが幸せになって、観客にとってもわかりやすい、シンジとゲンドウの関係がうまくいってみんなが成長して、そういう序破Qじゃなかったのよ。シンジの心の成長こそがこのシリーズのテーマで、シンジが成長することで人類が救われる、そういうことじゃないのかよ。父さん! どういうことなんだよ! どうしてだよ! どういうことなんだよ、父さん!」
という感じ。

それに対して監督から「子供がダダをこねるのに付き合っている暇はない」と一蹴されたような、そんな感じ。

はい、すみません。子供で。

でも僕は、勝手に上記のような妄想を膨らませていたわけです。
「破」ではそこが強調されていたように思えたから。
「行きなさい、シンジくん、誰のためでもない、あなたの願いのために!」ってミサトが「破」の最後に叫んでいたじゃないですか。
誰かのために嫌々ではなく、人から言われたからしかたなくではなく、自分の意思で、自分の願いのために決断し行動する、シンジが精神的な「ガキ」から卒業すること、それがこのシリーズのキモだと思っていたのだけど…。

テレビシリーズをむりやり終わらせるために取った「マジック」というか「まやかし」「ごまかし」をもうしたくないっていう決意なのかもしれないなぁ。

テレビシリーズでは(おそらく)、広げ過ぎた風呂敷をたためなくなって、最後ああいう形で「逃げた」けど、それが逆に話題になって一気にブレイクしてしまったわけだけど。
あれはあれで見事だったとはいえ、やっぱり「人類補完計画ってなに?」「使徒ってなに?」「ゼーレって?」「シンジの母親とエヴァの関係は?」「綾波って結局何者?」という疑問は何も解決しないまま宙ぶらりんだったわけだから、今回のこの映画シリーズではちゃんと落とし前をつけようという、そういう監督の決意なのかもしれない。それが良いか悪いかは別として。

けどそのために、「破」にあったエンターテイメント性はもう、「Q」には一つもない。
ビール缶での大事なとこ隠しも、女性キャラの不必要なエッチなポーズも、もう何もない。
そもそも「Q」では誰一人笑っていない。微笑みさえも。

だからね、僕が観客としてお子ちゃまなのかもしれないけど、「楽しかったー!」とは思えなかったわけです。
「そんな甘えた気持ちならば、もうここから出て行け!」と言われているようでしたよ、監督から。

で、まだまだ続くのね…。
はいはい、そうですか。

もうここまで来たら最後まで付き合うしかないけど、とにかく、見終わった感想は破の時のような「うわー、楽しかった―」っていうようなノーテンキなものではなく、「うーん…」って感じ。
まだエヴァにハマっていない人に「すっげー面白いから見てみなよ」とはとても言えないシロモノになってしまったよなぁー、っていう感じですよね、これ。

とはいえ、面白くなかったのかと言えばそうでもなく、やっぱり面白かったわけですけどね。


はぁぁ。


なんかもう、ゼーレとかリリス(だっけ?)とか色々とセリフで早口で言われても理解できないところが多々あって…。
とにかく情報量が多すぎなんだよなぁ。映像の情報と、ストーリーや状況に対する情報とがもう一気に滝のように降ってくる感じだからなぁ。
うーん、もう一回見てみるかな。
まぁ、そうなるんだろうなぁ。


おしまい。






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