虹の架け橋

2004年の44歳から綴ってきたブログ。塾長として、男として、父親として、そして爺として、感じたことを記した記録。

爺のひとり言

2014-03-08 | 塾長日記
今日、現中3への受験講座が終了した。
また、先程、本校の夜学も終了した。
ひとつひとつが終わって行く。

一年前の4月6日に現中3生を集めて高校進学説明会を行った。
まだ自分の志望校も定まっていない少年と少女たち。
その子どもたちがこの一年で青年への階段を確実に昇り始めた。
その足跡が垣間見れる瞬間が今日はあった。

今回は中3生、80名の塾生に私が通信のコメントを書いた。
3日間わおん(今春開校する上野塾個別指導教室)のテーブルで
コーヒーをいただきながら一人ひとりの顔を浮かべながら文章を綴った。
途中自分の書く文面を読み返して涙腺が緩んで
ひとり目に涙を浮かべながら綴った文章も恥ずかしながらあった。

そのお返事が今週戻って来ているが、
親御さんがわが子を想う心から湧き出てくる気持ちの文面を読ませていただき、
感謝と安堵と責任が私の心の中に沁みこんでくる。

塾屋の仕事・・・。
私がこの仕事に就いて、親父と早く別れた私は
地元の寄合に一家の家長として行くことが幾度とあった。
塾の仕事・・・夜の仕事。やくざな仕事。
学校の先生になれなかった者がやる裏街道の仕事。
そんな目で見られた時代があった。
堂々と「塾の仕事をやっています」なんて言えない時代があった。

塾屋一本で頑張ってきた人がいた。
目の前のお預かりした大切なお子さんに
誠心誠意を尽くした塾屋がいた。
そんな塾屋がいたから今日の我々があると思う。

私も自分なりに精一杯走ってきた。
自分に妥協することが嫌いであった。
とことん極めたかった。
あっという間に塾屋人生30年が経った。



私は塾屋しか知らない。
他の仕事はしたことがない。
塾屋は潰しが利かないと一般企業人は言う。
世間を知らな過ぎる者が多いから・・・。
私もその一人かも知れない。
何でも自分の思うようには行かないが
自分の力のなさに落ち込んだり、めげたりすることも多い。

私は塾しかできない。
だから塾を本物にする。
それが私が今までお世話になった人へのお礼と感謝だと思う。
今年54歳になる。
まだまだやり残したことは数多い。
だから明日も塾のことを深く考えたい。

爺のひとりごと・・・でした。

コメント (2)
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