虹の架け橋

2004年の44歳から綴ってきたブログ。塾長として、男として、父親として、そして爺として、感じたことを記した記録。

こんな私を・・・

2011-06-26 | 塾長日記
こんな私に
「今度ゴルフ行きませんか」って・・・

ゴルフなんてやったことのない私は
「できません・・・」

「何でも勉強だよ」って。

そんな会話をしたのは今から25年前に遡る。
私が前職で飛騨高山で新規校を立ち上げていた時、
塾生のお父様からお声をかけていただいた。

ゴルフのシューズもクラブもない。グローブもない。
そのお父様は一緒にゴルフショップに付き合っていただき
私のゴルフ初体験はスタートした。

ゴルフのルールもマナーも全く知らない私は、
ボールのライン上を平気で歩いたりして迷惑極まりない状態。

そんな私に冷静に「上野君、それは違うな・・・」って
ゴルフマナーを教えていただたMさん。

このMさんは当時の私の教え子のお父様。
高山にいたころの私の親父のような存在であった。

その親父さんが癌で他界されたと知った。
時間が取れるのは今日しかないので事前に連絡を入れさせていただだき、
高山へ車を走らせた。

お母様、当時の塾生(もうすでに一児の父親)
そしてお姉さんにお会いすることができた。

お父様の遺影を見て手を合わせると
ゴルフコースでの声が聞こえてくる。
冷静沈着なお父様の声。

こんな形での再会。
不義理な上野で申し訳ありません。
高校の時に実の父と別れた私はM氏を
親父のように思っていました。


時は流れ25年が経過し
私も50の声を聞く年齢になりました。
今の私の原点はこの高山にあると言っても過言ではないと思います。
子どものことばかり考えた時期でした。
授業が終わってからも
自宅まで乗り込んで行ったこともありました。
そこでお父様、お母様とお子さんのことで
語り合ったことも数知れません。

この高山での3年間。
今の私の基盤を創った時期でした。

日曜日になると
「上野!晩飯食いに行くぞ」って
新規開校の大家様になる岐阜新聞飛騨総局の
Tさんから声をかけていただきました。

↓今の岐阜新聞飛騨総局



なかなかアパートを決めずに
ビジネスホテルや教室で寝泊りしていた私を心配して
「この倉庫を部屋にしてやるよ」って言っていただけた
家具屋の大旦那様。

↓ここの変形アパートに25歳から2年間生活していました。



塾生の親御さんにもいろいろお世話になりました。
「先生、家の残りもんやけど」って
弁当を作って持って来ていただいたこともありました。

もうひとつの教室は岡本校。
今の岡本校は・・・




海の者とも山の者ともわからない私を信じて
生徒さんが最初の新規開校時に33名集っていただけました。
今でも忘れません。

私の原点は、飛騨高山にある。
それを教えていただけたM氏との再会でした。

お母様、邦○、お姉さん・・・
今日は本当にありがとうございました。
原点回帰の時間を持つことができました。
私にとって本当に貴重な一日でした。
足元を固める重要性を再認識できました。
心より御礼申し上げます。

本当にありがとうございました。
コメント
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