史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

御所 Ⅷ

2017-06-03 00:22:47 | 京都府
(宗像神社)


宗像神社


花山院邸跡

 今はだだっ広い空間が広がる御所であるが、その昔、公家の屋敷が軒を並べていた。概ね、その位置も特定されているので、そのうちいくつかを紹介しよう。
 宗像神社は、花山院家の邸内にあった神社である。邸宅が廃された後は、社殿のみが残った。花山院家からは、幕末花山院家厚、家理という父子を生んだ。家厚は安政六年(1859)、鷹司輔煕が安政の大獄で失脚すると、七十一歳の高齢で右大臣に任じられ、文久二年(1862)までその任にあった。その子、家理は安政五年(1858)の廷臣八十八卿列参の一人。慶応四年(1868)一月には家理を盟主と仰ぐ一隊が宇佐の御許山で挙兵したが、短期間で鎮圧されている。

(貽範碑)
 貽範(いはん)碑は、賀陽宮邸跡に建てられている。賀陽宮は、伏見宮邦家第四王子朝彦親王といい、孝明天皇の信任が厚く、還俗して中川宮と称して天皇を扶助した。邸宅の庭にあった榧の巨木に因んで賀陽宮と称した。しかし、尊攘派が力を持つと公武合体派の宮は敵視され、維新後には徳川慶喜との関係を疑われ広島に移された。
 手元の漢和辞典によれば「貽範」とは「手本を残す」という意味だそうである。


貽範碑

(西園寺邸跡)
 西園寺公望を生んだ西園寺家の邸宅跡である。同じ場所に邸内社であった白雲神社も残っている。西園寺公望は、この場所で家塾立命館を開設した。立命館大学の前身である。


西園寺邸跡


白雲神社

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