史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

昭和

2013年06月14日 | 福島県
(大芦)


戊辰の役古戦場跡

 慶應四年(1868)八月二十三日というと、会津若松城下に西軍が雪崩れ込んだ、会津藩にとっては忘れ難い日である。その後、金沢藩を主体とした西軍は、野尻郷各村に宿陣し、警備を固めた。これに対し九月二十四日朝、会津藩軍は田島方面から奇襲をかけた。西軍は敗走し、大芦を下中津川方面に退却した。このとき既に若松城は落城していたが、会津藩士はそのことを知らずに戦い続けていた。


野村新平墓

 西軍を追って、会津藩朱雀三番寄合組隊鈴木隊長以下約二十五名がこの付近まで進撃してきたところ、軍を立て直した西軍が逆襲し激戦となった。数の上で不利であった会津藩軍は退散することになったが、この戦闘で野村新平(二十五歳)が戦死した。
 野村新平は、鈴木隊半隊頭。町奉行、二百石。何故だか、墓石は赤い毛糸の帽子を被っていた。


会津藩戦死二人之墓

 田島方面から国道400号を経由して昭和村に入る。奥会津昭和の森というキャンプ場の南端の交差点に会津藩戦死二人墓がある。一人は大芦村矢ノ原で戦死した野村新平。もう一名は角田五三郎である。角田五三郎は、朱雀士中三番小野田隊。九月二十四日、大芦で戦死。二十三歳。


佐藤音之助墓

 佐藤音之助は、朱雀寄合三番隊道案内兼斥候。明治元年(1868)九月二十四日、下中津川で戦死。


小杉半蔵墓

 小杉半蔵の墓は、大山祗神社の上の墓地にある。大山祗神社は、西軍の攻撃により全焼したという。
 小杉半蔵は、金沢藩士。今枝民部家来。明治元年(1868)九月二十四日、大芦にて戦死。四十九歳。


官軍戦死九人之墓

 前掲の会津藩二人墓に出会って、次に官軍戦死九人之墓を見つけるまで四十分以上、付近を走り回った。
 官軍(金沢藩、高崎藩)の大芦での戦死者九人を合葬した墓である。

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