史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

守山 Ⅱ

2023年02月11日 | 滋賀県

(守山宿)

 

中山道守山宿 本陣跡

 

右 中山道 幷美濃路

(高札場跡・石造道標)

 

 守山は古来、東山道の宿駅として栄えたが、江戸時代に入り、東山道から中山道に改められた。寛永十九年(1642)、守山宿は、徳川幕府より中山道の正式宿場としての制札が下され認可された。板橋から数えて六十七次で、最終宿場となる。京都三条大橋から守山までは地理余りで、ほぼ旅人の一日の行程に匹敵する。京都から中山道を通って江戸方面に向かう人たちは、東下り(あずまくだり)と呼ばれ、守山で初日を泊まるのを常とした。

 旧東海道沿いには、本陣跡(小宮山九右衛門)、井戸跡、高札場にあった道標などが残されている。

 文久元年(1861)十月二十二日には、徳川家茂に降嫁する皇女和宮が江戸に向かう旅程で、この本陣に宿泊している。

 

(東門院)

 

東門院

 

明治天皇聖蹟

 

 東門院門前に明治天皇聖蹟碑がある。明治天皇は、明治十一年(1878)十月十二日と二十一日に当地に立ち寄っている。十月十二日には、午後三時頃、当時境内にあった守山小学校に着くと小休をとった。二十一日には午前八時頃に到着し、小休の上、鏡辻町方面に出立した。

 

(大光寺)

 

大光寺

 

  幕末維新とは時代はかなり下がるが、第七十五代総理大臣宇野宗佑の墓が、守山市の大光寺にある。墓地には宇野家の墓が複数あるが、一番手前の墓域が宇野宗佑のものである。

 

西照院殿佑山宗禅大居士(宇野宗佑の墓)

 

 宇野宗佑は、リクルート事件と消費税導入により支持率が急落した竹下登のあとを受けて、首相に就任した。我が母校である神戸大学出身(ただし宇野は中退)の初めての総理大臣であったが、首相就任直後、女性スキャンダルが発覚し、わずか三か月余りで辞任に追いやられた。大学の同窓会誌に「宇野宗佑君の首相就任を祝う」という一文が掲載されたとき、既に総理大臣の椅子から去ってしていたのである。在任六十九日は、我が国政治史上四番目の短命内閣であった。

 

(南産土神社)

 

南産土神社

 

南産土(みなみうぶすな)神社辺りは、服部陣屋は、高級旗本上田家五千石の采地陣屋である。服部町は、大きくは津田集落と服部集落に分かれていて、陣屋は服部集落側にあった。この集落全体が陣屋地であったと推定され、現在も三方を水路に囲まれた平方形をとどめている。

 

(光照寺)

 

光照寺

 

伊能忠敬が泊まった寺

 

 光照寺は、文化二年閏八月十七日(1805)、伊能忠敬が測量隊とともに泊まった寺である。忠敬の測量日記に寺の名前が記録されている。

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 近江八幡 Ⅲ | トップ | 草津 Ⅱ »

コメントを投稿

滋賀県」カテゴリの最新記事