史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

「幕府海軍」 金澤裕之著 中公新書

2023年10月28日 | 書評

筆者は歴史研究者であると同時に現役の海上自衛官である。本書は単なる歴史的叙述にとどまらず、現代の軍事専門家としての視点で幕府海軍を解析したものである。

例えば第二次幕長戦争における大島口の戦闘に関する解説。

――― 異なる軍種が協同して行う作戦を統合作戦という。大島口の戦いにおける幕府軍の作戦行動は日本の近代軍事史上はじめて統合作戦が試みられた事例になるが、幕府軍はこれを成功させるために必要不可欠な要素を欠いていた。統合指揮官である。四国方面の幕府軍を指揮する京極高富は大島から約五〇キロメートル離れた松山にあり、刻々と変わる戦況を把握できる状況になかった。陸海軍双方にまたがる将がいない大島では、陸軍の先任指揮官河野(伊予守通和=歩兵奉行)と海軍の先任船将肥田(浜五郎為義)が協議して作戦を決めたが、お互い相手へ指揮権が及ばないなか、作戦行動の統一性を保つのはそもそも無理な話だったのである。

 

この時点の幕府海軍は、戦況が変わると船将が短艇で僚艦に集まり、都度以降の行動を協議していた。これでは刻々と変化する戦況に対応するフリート・アクション(Fleet action=艦隊行動)を行い得る段階から「数歩手前」という状況であった。

なお、この戦闘において、高杉晋作が丙寅丸で停泊する幕府軍艦に夜襲をかけて大混乱に陥れたことが、これまでハイライトとして語られてきたが、本書では「十三日未明に高杉晋作の指揮する長州藩船「丙寅丸」(九四トン、スクリュー)が「旭日丸」「八雲丸一番」へ砲撃を加えてただちに逃走する一撃離脱の奇襲をしかけたほか戦況に動きはなかった」と淡々と触れているに過ぎない。軍事専門家の目から見ると、高杉晋作の奇襲は戦況を変えるほど大きな事件ではないのであろう。

鳥羽伏見の戦争の後、幕府は政権運営を放棄していたような印象が強いが、筆者が「慶應四年二月人事」と呼んでいる人事改革が一気に進んでいる。文久の改革以来、漸進的に進められてきた「個人の能力に基づく士官任用」の流れが一気に加速したのである。少なくとも幕府海軍はこの時点で戦意を失っていなかった。筆者は、「日本の近代海軍建設過程の画期」「このときをもって日本に本当の意味での近代海軍が成立した」とまで評している。しかし、一方で幕府海軍はその歴史的使命を終えようとしていた。

本書では所謂箱館戦争についてほぼ一章を割いて解説を加えている。箱館戦争は、それまで艦船の集団に過ぎなかった海軍が艦隊として戦った我が国初めての戦争であった。

榎本武揚は慶應四年(1868)八月、二ケタの艦船を指揮下に収め、軍艦「開陽」以下の八隻を率いて奥羽越列藩同盟の盟主となっていた仙台藩へ向かうとともに、物資輸送のため「順道丸」を越後へ、庄内藩支援のため「長崎丸二番」を出羽へ派遣。これとは別に「大江丸」と「鳳凰丸」を仙台藩に貸与していた。筆者はこれを「榎本艦隊」と呼んでいる。つまり、「榎本麾下の艦船は統一された意思の下に整然と行動」しており、榎本艦隊は単なる艦船群ではなく「艦隊」になりつつあるということなのである。

一方、新政府軍も「艦隊」と呼ぶに値する組織に成長していた。この戦いに参加した薩摩藩船「春日」の船将赤塚源六は日記に備忘のためさまざまな旗旈を記している。各艦が航行しながらこれを用いて僚艦と意思疎通を図っていたのである。艦隊とフリート・アクションが生まれつつある証左である。

さらに榎本軍が「甲鉄」を奪うため奇襲をかけた宮古湾海戦のように「三隻を一つの戦術単位として有機的に用いて戦闘を試みたのは、日本の近代海軍史上」はじめてのことで、「日本の海軍は明らかに新たな段階を迎えつつあった」としている。

本章末尾で「榎本が敗者となったのは果たして歴史の必然だったのか」と問いかける。筆者によれば、榎本にはA・徳川家の「恭順方針」を遵守するか否か B・奥羽越列藩同盟へ合流するか否か C・蝦夷地で自立を目指すか否か という三つの選択肢があった。しかし、榎本は「主家の行く末を見届け」「奥羽越列藩同盟の要請に応える」という政治的判断に引きずられ軍事的判断を誤った。つまり筆者は、徳川家の処分が決まる前に、仙台に拠らずに一直線に蝦夷を目指し、拠点を確保し、開拓を進め、蝦夷地を整備するのが最善の策とする。「いくつかの選択肢が混然とした行動となり結局どの利点も生かせなかったとする筆者の結論は、やはり神の視点になってしまうだろうか。」と本章を締めくくる。そもそも江戸を脱走した時点、あるいはその前の時点で榎本の頭の中に蝦夷地で独立政権を樹立する構想が選択肢にあったのだろうか。そこは榎本当人に聞いてみないと、何ともいえないのである。

 

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