コメント
 
 
 
ノンプロ軍団×センバツ初代覇者。ノーガードの打ち合い (なにわのヒバゴン)
2008-12-29 00:01:35
こーじ さん

崇徳は61年夏に甲子園初出場してベスト8進出。その時も久保監督(30代‥)が指揮を執っていたんですね。

3年計画で作り上げた崇徳のチーム力はやはり分厚く、ちょっとやそっとでは負ける気がしませんでしたね。高松商に3点差にされても慌てず、騒がず役割分担をしっかり果たせる有能な選手が揃い、パワーだけでなく機動性や試合を支配する決定力にも図抜けていましたから‥

ただ黒田は調子が悪かったですね。以後の4試合がほぼ完璧だっただけに不思議でなりません。高松商もさすがに四国を制した地力が感じられました。物腰の柔かさが印象的な若宮監督の時代ですよね。60年のセンバツを制覇された名将です

まだ70年代の香川は高松商が中心で、夏はその76年から5年連続出場。春も以後78、79年に出ています。伝統のユニフォーム、全国制覇をラインで表していたストッキング。今年秋は四国大会で4強入りしましたし、数年内に古豪高松商の復活も期待できそうですね‥☆
 
 
 
まさしくノンプロ軍団 (こーじ)
2008-12-29 22:49:11
>なにわのヒバゴン様
 61年夏も久保さんだったのですか、それは知りませんでした。

 高校野球でパワー+機動力の両方備えたチームは珍しいのですが、これを成し遂げてましたからね。
 今にして思うと、黒田の乱調は実戦不足ではなかったか?
 2回戦からは別人のように好調になりましたからね。

 高松商も崇徳やバンビ坂本の東邦、愛甲の横浜などと対戦するなどクジ運にも恵まれてませんよね。
 
 
 
 
夏に勝てなかった高松商。。松商学園はその上を行く75~80年初戦敗退。この時代の七不思議でした☆ (なにわのヒバゴン)
2008-12-30 01:12:31
こーじ さん

高松商、77年夏は東邦に敗れましたが、試合前の予想では互角くらいだったのではないでしょうか。バンビが剛腕とかならともかく、見た目にもごく普通(むしろ華奢さに心配しました)。阪口監督も投手力には不安があったと思います。バンビも前評判は大したことなかったと語ってましたし

76年は銚子商に、78年は仙台育英と名勝負を演じながら延長戦で惜敗。ただ79年に開校3年目の茨城・明野に敗れたのはショックでしたね。春は牛島や片岡を攻略して勝てる高松商が夏はどうしダメなのか。翌年、愛甲に屈したあと、83年にも初戦で新興の宇都宮南(アンダーの荒井投手)にやられましたし‥

月日は流れ、96年にようやく23年ぶりに夏の勝利。強豪の浦和学院を下した高松商に「やったら出来るやん。何で勝たれへんかったんや~」と私は感動を覚えたものです

崇徳の久保監督はご自身いわく「空手は五段、ケンカは八段」というほどの格闘家でありながら、広島大卒の数学の先生でもあったのですね(そのギャップにも驚きました)。76年のチームは豪快な中にも、広島で培った緻密さも持ち合わせていましたが、広商のような精神野球とは対極にあったことには違いないでしょうね。抽選会で目にした紫紺の大旗を指差し「あの旗をもらいに広島からやってきたんじゃ~」。。そんな監督さん、今はまずいないでしょうね☆
 
 
 
やはり久保さんは (こーじ)
2008-12-31 00:09:04
>なにわのヒバゴン様
 やはり久保さんは武闘派でしたか。
 大口も今で言うポジティブシンキングですよね。
 時代を先取りしてた感じですね。

 高松商ー東邦戦は、東邦の阪口監督に言わせると
‘坂本が1年生だから何としても先取点が欲しいので
先攻を取りたかった’との事です。
 つまり東邦の方が挑戦者意識が強かったようなのです。
 じっさい1回表に東邦が3点の先制パンチを浴びせて
ペースを握りましたが、無得点だったらどう転んだか分からない試合でしたね。

 79年の明野戦は9回表に追い付いたので、このまま
高松商が勝ち越して・・・と思ったらサヨナラ負け。
 これが一番 意外でしたよ。
 
 
 
高松商‥出場44回、優勝4回。54勝40敗は伝統の証ですね☆ (なにわのヒバゴン)
2008-12-31 04:00:24
こーじ さん

野球経験者のこーじさんから見て、バンビはどんなところに特徴があったと思われますか?ウイニング・ショットはどの球種だったのでしょうか

7季甲子園から遠ざかっていたとはいえ、名門の東邦でいきなり背番号1ですからね。セレクションを受けて落とされたという選抜出場の名電を愛知決勝で打倒。坂本はそれだけでも大満足、甲子園出場で(鬼の)阪口監督から課せられる死と隣り併せの猛練習がなくなるだけで幸せ‥。さらに宿舎の竹園旅館は分厚いステーキを食べさせてくれる~!甲子園のマウンドで打たれても、打ち取ってもニコニコしていた理由はそんなところにあったのですね

主将でサードの森田(現監督)、メガネの捕手大矢、立松選手など攻守にバンビを盛り立てて快進撃。「春の東邦」が唯一夏の決勝に進出したんですから、是が非でも勝ちたかったでしょうね。サヨナラホーマーを打たれたバンビがうなだれて試合終了の挨拶に出向いたと同時に、姫路の全選手がホームベース上で主将の安井を迎えてました。昭和の名シーンとして思い出深いですね

高松商では河地以外で、その77年夏から5季連続出場の堤選手(センター)も左の好打者でしたね。79年春の府中東戦、いきなり彼のヒットで片岡の出鼻をくじくなど、福本タイプ(当時多かった)の核弾頭として私の記憶に残っています☆
 
 
 
坂本は (こーじ)
2008-12-31 22:50:02
>なにわのヒバゴン様
 それが、どこがよかったのか今ひとつ分かりづらいのですよ。
 強いて上げればシュートとスライダーがよかったようですが・・・・

 初戦の高松商相手に1回表に3点。
 2回戦の黒沢尻工戦も2回に4点、3回に2点の6点。
 ベスト8の熊工戦も3回まで毎回1点づつ3点と打線が
毎試合のように早い回に援護してくれてましたので、
それで楽に投げられたのではないでしょうか。

 出塁率の高い1番の浅井、3番・大矢、4番・現監督の森田主将、5番・立松と打ちまくってましたからね。

 78年の3番・中山もいい打者でしたね。
 浪商に勝ちながら2回戦で東北に敗れたのも意外でしたよ。
 
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