コメント
 
 
 
きょうは (屯田兵)
2010-08-29 22:20:51
小鉄さん きのうヘーシンクさん ちょっと前木村さん 寂しすぎます

おれ ヘーシンクさん

そんな凄い人とは知らなくて

全日の選手のヘーシンクさんしか

ずっとあとだもん 東京五輪の王者だと知ったのは
 
 
 
ご本人は (ある)
2010-08-29 23:23:02
「自分が勝ったから国際化に一歩前進した」と仰ってたそうです。
たしかに、海外選手は「よし、オレも!」と希望を持ったでしょう。
日本選手全勝が続いたら海外普及は停滞してたかも知れないですね。
 
 
 
書き込み御礼&レス (こーじ)
2010-08-29 23:51:54
>屯田兵様
 次々と昭和の偉人が亡くなっている感じですよね。
 ヘーシンクから負けたシーンから始まるのが柔道一直線ですよ。

>ある様
 正しくその通りで。
 発祥の地ばかりが強い競技は普及するわけがないですからね。

 そこのところを日本人は今でも分かってないようですね。
 
 
 
Unknown (吉法師)
2010-08-31 05:38:14
アントン・ヘーシンクさん、後のロス五輪銀メダリスト、モハメド・ラシュワンさんと同じく「柔の心」を正しく理解し、行動に移す事のできた外国人。
柔道が世界的なスポーツとなる事ができたのは、この人が東京五輪で日本のメダル独占を阻んだ事が、結果的に吉と出た、と言われる程、その影響力は大きかった。
カラー柔道着の導入の際にも、反対派の多い日本人の心境に配慮して、日本人にも受け入れやすい色として青色(剣道の胴着や作務衣の色に似ている事を知っていた為、と言う)を採用する事を提案したのもヘーシンクさんだったという。

ひたすら強さのみを追求した、ウィレム・ルスカやアレン・コージ(=バッドニュース・アレン)とは少々違い、強いだけではない、器量の大きさを思わせる人だったと思います。一時プロレスに手を染め、ミソをつけた感がありましたが、じつは病気の奥様の治療費を稼ぎ出すために、誘いに乗った、という裏話もあるそうな。

少し遅れて台頭し、日本柔道期待の星と言われた、坂口征二との柔道での試合が見てみたかったなあ…
あるいはサンダー杉山がレスリングに転向(大学進学時のゴタゴタが原因だったらしい)しなかったら、東京五輪の相手は杉山だった可能性もあった、とも言われます。これも見たかった気がします。

柔道国際化の大恩人のご冥福をお祈りいたします。
 
 
 
そうですね (こーじ)
2010-08-31 23:54:53
>吉法師様
 どうせなら坂口との試合は見てみたかったですね。
 サンダー杉山が柔道上がりとは知りませんでした。

 確かに青の柔道着は作務衣っぽい感じがしますし、
慣れると そこまで違和感がなかったです。
 これは田村亮子と野村忠宏が最初に金を取った時に着用していたというのもあるでしょうけどね。

 赤や黒では違和感ありまくりですよね。
 
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