天川貴之 理念哲学講義録 哲学的エセー

無常から絶対無にいたる哲学の実相を平易なことばで綴り、人生に即した叡智のあり方を解きあかす。

7-1「真の知と真の知者について」天川貴之

2018年06月10日 | 哲学(本文)
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あの稲盛和夫をして
こう言わしめた書籍
『精神的ジャパニーズドリーム』
「京都賞受賞の可能性がある」
そして
『理念哲学講義録』
「更によくなっている」
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理念哲学講義録~哲学的エセー~天川貴之
第七章 知識と叡智について


第一節 真の知と真の知者について

知識と叡智について論じてゆきたい。
現代は、歴史的にみても、非常なる地の時代であって、
膨大な量の知識が情報として飛び交っている。
大型書店にいけば、毎年毎年、
大量の本が出版されては、
大洪水の如く氾濫し、
すぐ様、その姿を消してゆく。
こうした大きな知の大流の中にあって、我々は、
いかにその中を漕ぎ渡ってゆけばよいのであろうか。
たいていの方が、その地の大流の中を流されながら、
自らがどのあたりを、
何のために流れているのか、
分からなくなってきているのが実情であると思う。
こうした時に大切な心構えは、
何が真の知であり、
どのような方が真の知者であるかを、
見極めてゆくことである。
知識の量は時代と共に増えているが、
真なる知は時代を超えている。
こうした時代を超越した真なる知を、
どこまでも探究してゆくことこそが、
真なる知者となるためには大切なのである。
徒らに、溢れんばかりの知識をかき集めても、
真なる知者となることはできない。
現代には、むしろ内実のない知識が多いといえよう。
かのギリシャ哲学のプラトンの知は、
現代の哲学者の知と比べて、
時代が古いという理由だけで、
果たして劣っているであろうか。
いや、そうではない。
むしろ、現代の知識をすべてかき集めても、
プラトンの叡智には及ばないというのが、
実情ではないだろうか。
このように、文化とは、
その時代、その時代に独特の高みがあるものであり、
時代が進展したからといって、
高くなるものではないのである。
かのギリシャでいえば、
その建築芸術や文学芸術なども、
現代と比べて非常なる高みにあるといえるのである。
特に、真理の世界においては、
例えば、宗教的真理においても、
釈尊以降に釈尊を超える仏教者が出ていないように、
イエス・キリスト以降に、
イエス・キリストを超えるキリスト教者が出ていないように、
その特定の真理の高みは、
時代を超えているのである。
同じく、哲学的真理においても、
ソクラテス、プラトン以降に、
ソクラテス、プラトンを、
真に超える哲学者がほとんど出ていないように、
その特定の真理の高みは時代を超えているのである。
このように考えてみると、
現代の知識の洪水というものが、
ただ単に量だけのもので、
質においては、
過去の哲人、賢人達の書の方がはるかに高いし、
ためになるものであることが分かるのである。
 


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