江利チエミファンのひとりごと

江利チエミという素晴らしい歌手がいた...ということ。
ただただそれを伝えたい...という趣旨のページです。

◆ ヴァイア・コン・ディオス もうすぐお命日

2019年01月28日 | 江利チエミ(続編)

ヴァイヤ・コン・ディオス

江利チエミ初期の名曲です。いってらっしゃい 神様のご加護がありますように... の意味です。

 

  • 2月13日...もうすこしでお命日であります・・・
 
 

チエミさんは雪村いづみさんにキィホルダーをプレゼントしていたそうです。
チエミさんが亡くなった時、いづみさんは札幌でステージにたっていた。
その札幌のホテルで壊れるはずもないキィホルダーが突如として壊れた...
                 そして連絡が入ります。「江利チエミさんが亡くなった」と。

チエミさんがプレゼントしたキィホルダー...
 それはいづみさんだけではなかったのだそうです...

「ミキ・サイトウ」さん...ロサンゼルス在住のシンガーで、ライブハウスも経営されておられる方で、チエミさんがロスで30周年のリサイタルを開催した時には公演の前座も務め、スタッフとしてお手伝いもしてくださった方でいらっしゃいます。(当時の芸名は「橋本みき」さん。チラシにクレジットが残っておられます。)
チエミさんとミキさんはとてもお親しかったそうです。
レミー・マルタン(英語だとレミー・マーチンですね)のミルク割をくみかわしながら...とてもとても仲がおよろしかったのだそうです。

あの時...ミキさんはスキーに出かけるところだったのだそうですが、たまたま都合が悪くなり...
するとチエミさんからプレゼントされたキーホルダーがキレイに真っ二つに割れて、なんでこんな物が割れるんだろう?...と思ったのだそうです。
そして、ミキさんのお姉さまから急に電話が入ります...
『あんた、今立ってる?立ってたら先ず座って。 落ち着いて聞いてね、チエミちゃんが亡くなったの』...と連絡が入ったのだそうです。(情報提供:Iさん)

チエミさんが二人の親友にプレゼントしたキィホルダーが、札幌とロサンゼルスで同時に壊れた...
    不思議な話です。親友にお別れをされた...のでしょうか。

※トップ画像は不明瞭ですが、ロスでTV出演しているスタジオでのチエミさんです。
   30周年のアメリカ公演のときです。

   イメージ 1

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これは前にも書いたかもしれません...
実際このブログを始めた当初は「なにかにとりつかれたごとく」書き連ねた時期があり、何を書いたか覚えていない部分もあります。

あの日...私は某量販店の物流センターのバイトから18:30頃家に帰りました。

家に入ると亡くなったわたしの母が...
「しっかりしなさいよ...チエミが死んだ」と。
それからしばらくの間...何がなんだかわからなくなりました。
19:00 NHKのニュースを自室で観ました。
「ジャズ歌手の江利チエミさんが亡くなりました。」たしかにそう言っています。テネシーワルツを歌うチエミさんが映っています。
その後20:55ころの各局の民放のニュースでも「江利チエミさんが亡くなりました。」と言っています。
22:55ころのニュースでも... テレ朝だけがテネシーではなく「30周年リサイタルの芝・郵便貯金ホールでの さのさ 」のVTRが流れていたことは今でも覚えてはいるのですが。

思いかえせばその晩だったでしょうか...
床に就いた私は金縛りにあいました。左の耳にはアカペラでテネシーワルツを歌うチエミさんの声が聴こえました。息継ぎのブレスまで聴こえます。
すると今度は右の耳からお経が聴こえてきました。
意識が一瞬遠のきましたが、目でははっきりと目ざまし時計で時間がみえていました... はっと金縛りが解けて我に帰りました。
たんなる思い込みで夢をみていたのかもしれません。バイトは力仕事でしたから肉体は疲れていて頭がショックで起きている...単なる睡眠障害の症状が出ただけだったのだとも思いますが。
私はそのころ大学の合唱団に入っていました。テナーだったのですが元々「こぶしが回る」「音域がせまい」「高音はファルセットでごまかす」「声質が通らない」...といった「ダメダメ団員」でもありました。嫌というほど自分の下手さが身にしみていた時期でもありました。

4年になる前の春休みでもありました。
当日、床に就く前同期や後輩、合唱団以外の友人からも「大丈夫か?」という電話も何本か受けましたが「実感がないのでうわのそら」で受け答えていた記憶しかありません。

3月3日増上寺で行われた音楽葬...そこでも最後のお見送りまでその場に居ることができませんでした。私が献花するときにはシャープの生演奏から変わって、チエミさんのライブ音源のヒットメドレーが流れていました。私が献花を終わったとき、ちょうど「ヴァイア・コン・ディオス」になりました。「いってらっしゃい 神様のご加護がありますように」という意味をもつこの曲が流れたこともあり、「お別れだな」と思ったことを今でも思い出します。
東京タワーに抜ける横の門から退出しました。
お地蔵様の沢山並ぶその路には、お地蔵さまの手に風車が...
前日まで雪が降ったのが嘘のように晴れていましたが風の強い日でしたから、キリキリきりきり...と回っていました。

当時、就職活動は4年生から... 卒論を残し単位もすべてとれていた私は合唱団の幽霊団員となりました。歌を歌う気持ちにまったくなれなくなってしまいました。卒業生が例年参加する定例コンサートにも出演しないまま卒団しました。
就職後、余興などではもっぱら「ひばりさんのモノマネ」などでお茶を濁し...チエミさんのレコードに針を落とせない時期は10年以上続きました。
カウント・ベイシーとの共演/デルタとの共演ライブの復刻レコード等がでれば購入する...でも針は落とせない。
追い打ちをかけるように「美空ひばりさん」も亡くなります。
あれだけコンサートやらに足を運ぶため、レコードを購入するため、ステレオを買い替えるためにせっせとバイトしていた学生時代がウソのように音楽を聴くこと自体をまるっきり封印してしまいました。

その封印をといたのが江利チエミさんのHPでの「ジャズ歌手/磯貝たかあきさん」との出会いでした。
JAZZ...とくにチエミさんを思い出す。実はかなりの葛藤があって足を運びました。
そこで久々に生のJAZZを体感!封印から一挙に解放されたのが彼のライブでした。
チエミさんで封印した音楽...それを解いてくれたのもまたチエミさんであったわけです。
その後からです。カラオケで「テネシーワルツ」を歌うこともできるようになりました...しかし今でも正直「テネシーワルツ」と「酒場にて」はちょっと辛いです。
「裏町のお転婆娘」「アンチェインマイハート」...どうしても明るい曲を選んでしまいます


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2 コメント

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不思議… (ゆきまめ)
2019-01-29 16:40:31
そういうのって、本当にあるんですねぇ。
祖父が生前に言っていたことを思い出しました。
祖父の親が亡くなった時、夜中で寝ていたそうですが、部屋の窓ガラスが突然割れたそうです。
『あ、アチラへ行ったんだな…』と悟ったと。
そんなことってあるのぉ??って思っていましたが、あるんですね。

テネシーワルツとアンチェイン•マイ•ハートをよく聴いています。なにげに『おてもやん』もフルリピートですっ(^^)
カラオケで歌えたら最高にカッコイイなー。
たくさん聴いて、覚えます!!
Unknown (twig)
2019-01-31 13:14:41
あの年は、正月から二度もチエミさんと会っておりました。正月は絶対に仕事をしないチエミさんが珍しく元旦から別府の杉の井パレスでのディナーショーを、長崎の島原での着物のお見立て会で、九州に来られていて。
島原から空港に送って行くと、いつもは「じゃあ」とか「お~~お」とかしか言わないのに「じゃあ、twigちゃん、さようなら」と、それも合掌して。それが最後にお会いした時で。
亡くなる数時間前に電話で話をして「明日は北海道で、風邪気味なのでもう寝るわ」という会話が最後でした。
あれからもう何十年?数えることもありませんが。

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