旬刊・上原直彦 「浮世真ん中」の内『おきなわ日々記』」アーカイブ版

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琉歌百景・畳語~重ね言葉編

2009-07-02 00:23:00 | ノンジャンル
 日本語には[畳語=じょうご。重ね言葉]があって、会話を豊かにしている。
 畳語は、複合語の1種。同じ単語を重ねることで、物事をより強調して伝えることができ、ひとびと・さむざむ・なくなくなどと言葉の意味を強めている。一方の重ね言葉は、語頭が似通う語を重ねて、さまざまな状態を言い当てている。のたりのたり・ちんたらちんたら・なんたらかんたら・のっそりもっそりなどがそれだろう。
 沖縄口にも当然それらは多く、ユーモラスに会話を膨らませている。琉歌に表れた重ね言葉を拾ってみよう。語頭には意味があっても、続く言葉にはそれほど意味はないが、語呂が快くリズムがいい。

 琉歌百景83[ぬるん とぅるん]

 symbol7蛸ん釣らりらん 烏賊ん釣らりらん 崎樋川ぬ沖に ぬるん とぅるん
 〈タクん ちらりらん イチャん ちらりらん サチフィヂャーぬウチに ぬるんとぅるん〉

 語意*崎樋川=那覇市天久の西の海に面していた湧水地名。慶良間諸島が一望できて赤太陽〈あか てぃだ。夕日〉の夕景、金波銀波の月夜景。もちろん白日の青海・碧空を楽しむことができる場所だ。
 
歌意=〈意気込んで糸は垂れたが〉目当ての大物どころか小蛸も烏賊も釣れない。ただただ無為の時間だけが過ぎ思考力停止、放心の態でノロリトロリ。波のなすままたゆとうばかりである〉
 気分は太公望でも、釣りをしたことのある素人はこうした「ぬるんとぅるん」の経験を誰もがしていることだろう。かつて、おふくろに「大物を釣ってくる!」を宣言して、県内屈指のポイント慶良間の沖に舟を浮かべた。しかし「ぬるんとぅるん」の時間を過ごすばかりだった。結局ボウズ〈釣り言葉。釣果なしの意〉のまま、赤太陽に見送られての帰り舟。何とかしなければならないのが、おふくろに吹いた大ボラ。私は漁港近くの鮮魚店に立ち寄り、3匹のイマイユ〈生・魚。獲りたての魚〉を買い、いかにも自分が釣ったかの如く持ち帰りおふくろに渡した。しばらくしてシム〈上座に対するシモ。台所〉から独り言にしては大きめのおふくろの声がした。
 「へぇー。近頃の魚はワタミームン〈はらわた〉無しで泳いでいるんだネ」
 鮮魚店のオバさんは人の気も知らず、ワタミームンだけ取ってくれたのだ。なんとお節介な魚屋がいたもんだ。



 琉歌百景84[たっとぅゐ ふぃっとぅゐ]

 symbol7家の前までぃ 行ちゃびたん 七回ぇん八回ぇん 行ち戻どぅやー
 たっとぅゐふぃっとぅゐ ゆたみかち 男の心ぁ 定まらん

 歌者神谷幸一の「浮名ぶし」の1節。八八八六の定型をはなれた散文詩形。
 語意*たっとぅゐ ふぃっとぅゐ=不安・困惑で心が定まらないさま。*ゆたみち=揺れるさま。動揺。
 歌意=貴方に逢いたくて、貴方の家の前まで行きました。呼び出すわけにもいかず、7回も8回も行きつ戻りつしました。私の心は[たっとぅゐ ふぃっとぅゐ]。寄せては返す波のように[ゆたみち]、揺れに揺れました。でも女心とは裏腹に、男の恋とは口で言うことと本音とは別なもの。定まらないものなのネ。
 「徒に恋はすまじ」。男らしい男は女心を「たっとぅゐ ふぃっとぅうゐ」「ゆたみかせる」ようなことは決してしない。

 琉歌百景85[WUんぶゐ こうぶゐ]

 symbol7踵高靴小や けーくまゐ WUんぶゐ こうぶゐ 歩っちゅしや まあん変わらん 風吹ち鶏
 〈アドゥタカグツぐぁや けーくまゐ WUんぶゐ こうぶゐ あっちゅしや まあん かわらん かじふち どぅい〉

 語意*アドゥ=かかと。したがって、アドゥタカグツはハイヒールのこと。*「けー」は「くむん・履く」にかかる接頭語。WUんぶうゐ こうぶゐ=不安定のさま。
 歌意=踵の高いハイヒールは履いたものの、その女性の歩行の態は、いまにも転びそうな不安定さ。なんとまあ、寸分違わず強風にあおられて歩く鶏のようだ。
 昭和31、2年ごろ風狂の歌者故嘉手苅林昌が「花口説・一名花街口説」に乗せて歌った即興詩である。節名は「時代の流れ」。敗戦から10余年ごろ沖縄の世相を読み込んだ貴重な俗謡と言える。このひと節は「唐ぬ世から大和ぬ世 大和ぬ世からアメリカ世 うすまさ変わたるくぬ沖縄」と歌い出す。「うすまさ」は「ものすごく」の意。沖縄の激変は、いまもとどまるところを知らない。




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