愛媛の伝承文化

大本敬久。民俗学・日本文化論。災害史・災害伝承。地域と文化、人間と社会。愛媛、四国を出発点に考えています。

中央構造線と寛永2年の連続地震

2016年10月09日 | 災害の歴史・伝承


2016年10月1日付で発行された『一遍会報』381号に拙稿「過去の南海地震と道後温泉不出(一)」が掲載されました。

その原稿の中で、寛永2年(1625)に広島県、愛媛県、熊本県で連続して発生した地震に触れてみました。中央構造線断層帯を震源とする連続地震の可能性があるのではないか。その検討が必要なのではないかという指摘です。

熊本地震以降、慶長地震は中央構造線断層帯の地震のとして注目されていますが、今後、寛永2年地震も検討、注目すべきかと思っています。

以下、一遍会報381号からの引用です。

次に『松山叢談』に記されている寛永二(一六二五)年の地震である。『久米八幡宮記記録抜書』に「一、寛永二年御先代様之時分、大地震之時、道後温泉不出、湯之岡ニ仮社ヲ建」とある(『道後温泉』一〇二頁)。この地震は三月一八日に発生したものの詳細な記録がなく、どのような地震だったのかは不明な点が多い。しかしその三ヶ月前には安芸国(広島県)にて、三ヶ月後に熊本で地震被害の記録が残り、西日本で連続して地震被害が出ている。この約三〇年前には文禄五(一五九六)年七月に中央構造線断層帯を震源として、いわゆる慶長伊予地震、豊後地震、伏見地震が連続して発生しているが、この寛永二年の地震も中央構造線断層帯に沿って広島、松山、熊本と連続して発生している可能性もある。文禄五年(慶長地震)から約三〇年しか経過していないことから、余震もしくは誘発地震に該当するかどうかも検討対象となってくる。平成二八年四月の熊本地震以来、中央構造線断層帯を震源とする地震の歴史が注目され、特に慶長地震は取り上げられる機会が増えたが、寛永二年の地震についても愛媛県、道後温泉と中央構造線断層帯関連で無視することはできない。同様記事は『予陽郡郷俚諺集』、『道後明王院旧記』、『小松邑志』にも記載があるなど史料が比較的豊富なので、今後、検証が必要となる地震だと思われる。


【追記】
香川県高松市国分寺町の国分八幡宮では、寛永2年の地震により、本殿が損壊し、翌年新しく造営されたという。

「讃岐国大日記」、「高松藩記」に、寛永2年(1625)11月上旬に大きな地震があったという記録もある。

寛永2年地震は、広島、愛媛、熊本、香川の連続地震の可能性もあり、広域の詳細史料調査が必要である。




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