悪魔の囁き

少年時代の友達と楽しかった遊び。青春時代の苦い思い出。社会人になっての挫折。現代のどん底からはいあがる波乱万丈物語です。

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第三部【悪魔の囁き】

2018-07-18 10:06:53 | 日記
第四話【三途の川】

ここは――
国道から四方八方山に囲まれたカントリーゴルフ倶楽部の多い……
一昔前は小さな部落の村だった。
家から車で5分弱走ると平屋の郵便局があった。
左隣の小学校には、選挙の投票に行った。
町全体でも人口10,000人足らずで、村となると老若男女合わせて300人程度だった。
先祖代々から定住している農家は、伊藤・斉藤馬の糞と言われるほど有触れた名でなく、初対面で名刺交換した時に……
「佐藤です」と名乗られると――
「東北出身な」と――
想像出来る名字も4種類ほどだった。
先祖代々一族同類で、故郷が誰でも直ぐ分る土地の部落だった。
東側が丘で、見渡す限り田園風景だった。
村に入る3本の畔道は、車が1台通れる程の細い道で繋がっていた。
その交差する角に、一軒だけ駄菓子屋兼雑貨屋がある。
斜向かいの角に半鐘が立いて、下がゴミ収集になっていた。
後に、我が家に帰る市道が5本あるのが分った。
5メートル弱の川が細長く村を囲み、蛇の様に曲がりくねっていた。
晴れの日は太陽に反射して“キラキラ”と水が静かに流れていた。
この小さな川の流れの強弱が激しくなると、私の運命が左右さてれた。
生きるか……。
死ぬか――。
私にとっては地獄と天国の分岐点だったかもしれない。 

6月の第一日曜日に恒例の河川の草刈りが始まった。
梅雨の走りで足掛け13年、1度も晴れの日は無かった。
土手の左右に伸びきって生い茂った雑草に守られていた。
緩やかなカーブをくねりながら、音も無く平和な日々を清水が流れていた。
通勤で通るメイン畦道には、小川の上に差し掛かる石橋が対向車を待程の幅で、架けられていた。
普段は佛のような穏やかな慈悲のある顔した小川だった。
天から恵まれた祝い酒を美味しく飲み、秋には豊作を祝った。
台風シーズンになると……
招きもしない風神・雷神の振舞う、ドス黒い大瓶に入った気狂水を煽ると――
酒乱と変化して、生命の迷惑も考えなくなった。
黒雲と強風の渦を巻き上げ、泥を掻き回し醜い赤茶色の鬼類の顔を顕にして、一晩中大暴れした。
次の朝には先祖代々田畑を耕し、大事に守って来た土地にしがみつく土着民の苦労をずたずたにした。
無責任な仕打ちを、反省する事なかった。
次の日――
気狂水が抜けると、昨夜の事は無かったかのように、借りてきた猫の如く大人しくなった。
痛々しいく暴行されたドドメ音色の大痣を証拠に残して、佛の顔に戻った。 
毎年菜種梅雨や梅雨末期の大雨や台風になると小川が氾濫した。
田んぼ一面見渡す限り湖となり、車でも渡れない、
戦国時代の兵糧攻めのように、大きな湖になった。
******
そう言った悪情報も聞かず、下調べもせずに引っ越してきた初年度だった。
朝仕事に出る時は台風雲もまだ遠く、西空に固まって見えていた。
庭に出て空を見上げると気分が良くなる程、部落一面綺麗に晴れ渡っていた。
「この雲ゆきだと、帰りは危ないな」と遠く低く垂れこめた雨雲を見回した。
予想した通りに昼頃から関東地区も風と雨が激しくなった。
「こんちは」
「いらしゃい」
「さよなら」と納品と注文を取り、得意先回りを早めに切り上げた。
午後6時に帰宅する頃は雷を混じえてワイパーをハイスピードにしても、拭き取れない程大雨になった。
国道からカントリー倶楽部沿いの曲がりくねった山を下り、自宅近く300メートルまで来た。
「なんだこりゃ。こんなんになるんかよ。これ、どうやって渡るんだ」
田んぼ1面、湖に成っていた。
車高の高いワンボックスカーでも渡る事が出来なかった。
自宅に向かって3本有る道の内、下側の2本はヘットライトで照らしても見えないほど沈んでいた。
仕方なく国道に戻り遠廻りをして、高台に有る道に行った。
来てみると細い畦道は見えたが水の流れが速く、激流と化し車も人も流されてしまう程の速さだった。
どうしても、ここを渡らなければ家に帰る事が出来なかった。
「駄目な時はホテルに泊まるか」と腹を決めた。
車はニッサンバネットワゴン営業車で在庫分と納品する荷物を積んでいた。
運が在るか無いか勝負弱いのは分かっていたが、一か八かの一発勝負に出てみた。
車1台通れる農道は真っ直ぐで緩やかな上りだった。
「落ち着いて運転すれば渡ることが出来る」と不安を持っても渡り始めた。
後は、水嵩を増しエンジンに水が被らなければ止まることは無いだろうと……
半クラッチにして、波を荒立て無いように静かに牛歩戦術で渡り始めた。
ハンドルを11時05分の形で抱え込む様に握り締めた。
両肘を『セリフ無し』のハンドルを【く《 》】の字型に鍵カッコに曲げた。
「中程を過ぎたが、まだ地面が見えないな」
と猫背にして一箇所に集中し、首を額がフロントガラスにぶつかる程前に突き出した。
鼻の下を伸ばし目玉を皿のようにして覗き込むと、水の流れる音と鉄砲水が勢いよくぶつかる爆音がした。
飛び跳ねしぶきがガラス窓まで届き、花火のように開いて散った。
車体が“グラリグラリ”と揺れ出し、頭をフロントガラスにぶつけて“ハッ”とすると、背筋が“シャキッ”と伸びて我に返った。
「横倒しに成ならいでくれ。お願いだ――」と祈った。
其れからも鉄砲水の押し寄せる音が、不気味さを増してきた。
20代の頃から持病としてマンネリ化した、左右に鳴り続ける耳鳴りを消してしまう程の勢いで聞こえて来た。 
「流されるな。流されるな。止まるな。止まるな」
と激しい心臓の動悸と共に念じると……
ようやく上り坂に来た。
「あと少し。もう少し。頑張れ――」と下の畦道が微かに見えてきた時は、血圧の上昇で脈拍が早くなり、血が頭に登り心臓が“ドッキドッキ”して来た。
軽い目眩を起こし、やっとのことで渡り切った時には……
溜息と共に緊張感を解いて、胸を撫で下ろした。
「助かった」と思う気持ちと共に身体中から脂汗が吹き出した。
無意識で奥歯を食い縛っていたので、顎のエラまで痛くなった。
また、ハンドルを握っていた手は指の関節が固くなり、指が開かなかった。
開いた時には手の平深く刻み込まれた真ん中を通る生命線から、脂汗が“グッショリ”と泡を混じえて噴き出していた。
「少し地図には載らない土地の地形を知って置いた方が良いな」
と休日の暇な時に市道の南側山道を走った。
半鐘の下がった上り坂を10分弱ほど走ると、いつも得意先に行く国道に繋がる道に出た。
「成る程。ここに出るのか」と納得した。
次からは遠回りでも大雨の日は、此の道を使う事にした。

足掛け13年暮らしても中々馴染めなかったド田舎のライフスタイルが、次第に容量も掴めて落ち着きだした。
引っ越してきたのは――
気狂い病院を自分で建てて、自分で入ったようなものだった。
「何となく、やっていけそうかなぁ~」
と、この土地が昼間は日当たりが良く、夜は月と星が金では買えない――
私1人のお宝に思えて来た。
冬晴れの日は、1日ガラス越しに本を読んでいた。
気持ちの良い眠気に誘われて、のんびりとした休日を楽しむことが出来た。
夏などは西側の山が竹藪に成っていて、西日が当たなかった。
窓を開けて寝ていると涼しいそよ風が流れ込み、枕に頭を乗せた瞬間に、快眠に入る事が出来た。
何しろド田舎なので結婚適齢期の女性は通らなかった。
土日祝外を見ていると、歩いているのは子供と年寄りばかりだった。
リビングから見てはいけないド田舎ならではの風物詩が目に入った。
其れは……
おばぁさんが田んぼの畦道で起きた。
モンペを膝まで下げ、田んぼに尻を向けて立小便をする事だった。
此れだけは頂だかなかった。
西側にはマイハウスの裏側に、斜面の急な竹藪があった。
4月~5月にかけて筍が、次から次と頭を出て来た。
急いで掘らないと成長が早く、1週間も経たないうちに青竹に成った。
もったいないので休日は掘っていた。
東京にお土産に持って行たり、煮炊きして飽きが来ていた。
うんざりする程、2か月間毎日筍を食べていた。
今は東京に逃げ帰ったが……
もし――
得体の知れない亡者を三人呼び出さなければ……
墓石を買って、一生住んでいたと思う。 
***◆◆◆***

痛い目に合わされて苦しんでいたが――
“我慢。我慢”で無駄に時が流れていた。
12年目の正月5日も明け、得意先に新年の挨拶回りに行こうと、駐車場からエンジンかけて温めるために5分ほどアイドリングをした。
「もういいだろう」
駐車場から車を出した。
車から降りて駐車場の出入り口のチェーンをかけようと、後ろを振り返った。
すると……
外壁のフェンスに見た事の無い赤い首輪を巻いた、茶色い毛並みに黒い鼻面をした牡の雑種の中型犬が、紫色に変色した舌を出してフェンスに首を挟んでいた。
朝日に当たりギラリと光った歯茎から黄ばみ尖った鋭い牙を剥き出していた。
恨みがましく、何者かに強引にフェンスにねじ込まれて死んでいたのだ。
可也苦しかったのか、流した鼻血が瘡蓋のように塊っていた。
口からヨダレと泡を吹き出した跡を残していた。
目玉は紫に変り白目を剥いて死んでいた。
惨さが漂よい屍臭となり、暫く鼻に付いて消えなかった。
「誰がやったんだ。何の嫌がらせだろう……」
今まで村の年間行事は――
1・6月の第一日曜日は、1年間伸び放題になった河川の草刈。
2・10月の第一日曜日は、近所の小学生の子供らを連れて奥さん連中と市道に転がっている空き缶拾い。
3・12月第一日曜日は、小中学校のダンボール等の廃品回収を表門に出していた。
「中さん。学校の先生みたいですね」
と空き缶を拾っているとトラックターを転がしていた、農家の石山作二さん75歳が感心された。
親睦飲み会・新年会・慰安飲み会など、飲む席には全部参加していた。
ゴルフ会では、春・夏・秋.冬の年4回だった。
仕事の都合で参加出来ない時は、4パーティー15人に不幸へいが無いように、全員に行き渡るように景品を出していた。
最近では農家も稲刈りが終わり、暇になる11月3日にゴルフコンペが決まった。
同日に得意先の新規オープン搬入も3ヶ月前に決まっていた。
仕事が優先のために、部落のゴルフコンペには参加することができなかった。
「中さん。ゴルフ会出られそうですか」
と一週間前に、石山泰道さん45歳が軽トラで確認に来た。
「すいません。年末は仕事が忙しくて参加できないのですよ」と残念そうな顔で断った。
「そうですか」とがっかりしていた。
「それでコンペ用の景品を協賛しますので、持っていてください」と座席用の1,3m(Mサイズ)のホワイトムートン7枚と、VHS良質録画テープ3P組みを60個渡した。
「15人全員が貰えるようにしてあります」と念を押した。
「これはいいや。みんな喜びますよ。ありがとうございます」と喜んで帰っていった。
このように出られないときは、毎回飾り物や物置に放り込んで忘れてしまう、貰っても始末に困るものではなく、即使える景品を出していた。
なので、誰にも恨まれるはずは無いと思っていた。
恨みを残して死んでいる犬を見て哀れを感じていると、カサカサに乾燥した40歳半ばの中年男の素顔を刺す冷たい北風に無情を感じた。
無残に朽ち果てている犬の死に様が悪臭となり、私の鼻に襲いかかってきた。
すると……
私に取り憑いている魔物が後ろから近づき――
魚の腐った生臭い息を吹きかけて……
――耳許で囁いた。
「よぅ~く、見ておけ。お前を守ってくれる者は、もう誰もいない。次はお前の番だ 」
と鋭い殺意を感じた。
“ゾクゾクゾク”と背筋が伸びて背中が寒く成った。
家の建てにくい隣の10坪ほどの空き地に、成仏できるように丁重に埋葬した。
「南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏」 

「新年明けましておめでとう御座います」と得意先への新年の挨拶回りに向かったが、
複雑な思いが先に立ち笑顔では言えた気分ではなかった。
「もう、此処には住んで居られないなぁ」と先が見えてきた事を肌で感じた。
***◆◆◆***
ど田舎に引っ越してきて、1年間は誰も何も言わなかった。
年が明けた松の内10日に、村の会長石山秋元将司さんが私の家に来た。
“ピンポ~ンピンポ~ンピンポ~ン”
玄関ドアーを開けると40代全般の男性が立っていた。
「こんにちは」
「はい」
「1月20日の日曜日に丸山町内の新年会をやりますので、中さんも参加してもらえますか」
「いいですよ」
「その時に、部落の連中に挨拶してください」
「分かりました」
「それで場所は、あそこの集会所になります」
と田んぼの中に建って杉の木に囲まれた平屋を指さした。
「何時からですか」
「午前11時から始めますので、10時半までには来てください」
「わかりました」
釣鐘の下を通って歩いて2分弱の場所だった。

「新年明けましておめでとうございます」と地区会長が挨拶した。
――おめでとうございます<<<<<――
「今年からこの部落の仲間になった、中さんを紹介します」
「中です。よろしくお願いします」
会長の隣に座っていて立ち上がり挨拶した。
拍手!! ――喝采!!
それから部落の年間行事に参加させられた。
「中さん。仕事は何をやっているんですか」と60代の農家の木沢さんに聞かれた。
「車の部品や用品の卸をしているんですよ」
「そうですか。それで会社はどこにあるのですか」
「東京です」
「ここからだと通勤が大変ですね」
「得意先が千葉県・栃木県・埼玉県なので、家から直接回り会社には月末に1度しか行かないのですよ」
「それでこの部落に引っ越してきたのですか」
「そうです。ここから出ても東京から行っても、時間はそれ程変わりませんからね」
――なるほどぉねぇ~. ――
何だかんだと興味本位で聞かれて、2時間ほどで家に帰った。
******

12年後、生まれ育った東京に帰る事にした。  
この年の1月の20日、Aブロック村の新年会に出席するのも12回目になった。
昼から酒も十分に回った。
私がこの土地の住人として認められた事もあり、町会長の石川さんに初めて聞かされた。
「中ちゃんの家の建っている土地は、昔没落した石川の家族が4人で住んでいたのだよ」
と焼酎のお湯割りを飲みながら何げなく言われた。
「そうなんですか」
「それで石川家当主の菊松55歳、滋子奥さんは30代の若さで死んで、長男の善男31歳と次男の光男30歳の3人で暮らしていたんだよ」
「お嫁さんは来なかったんですか」
「そう。兄弟は仲良かったんだけど、2人とも縁がなくて父親が50代半ばで死ぬと、次の年に2人とも続けて死んだんだよ」
「何かの伝染病ですか」
「流行病だったら、こんな小さな部落は全滅していたよ」
「それもそうですね」
「そうじゃなく、どちらかと言うと早死にの家系だったんだな」
「俺の家と同じですね」
「中さんのところもそうなの」
「はい。長くても60代で早いのは20代で死にましたよ」
「やはり病気ではないんだよね」
「そうみたいですね」
「あの土地にはそんな不吉な何かがあるのかもしれないね」
「なんですかねぇ~」
「中さんも1人身だろう」
「そうですね」
「いくつだっけ」
「38歳です」
「こんなド田舎では結婚は無理だろうな」
「そうですかぁ。自分としては現地で嫁さんを調達するつもりでいたんですけどね」
「あと、10歳若くて家持だったらどこからでも来るんだけどね。40歳近くなると難しいよ」
「そうみたいですね」
「中さんは初婚になるんだろう」
「そうです」
「まぁ、いたとしても死に別れた出戻りの姥桜か、コブ付きの年増女が来るくらいだよ」
「確かに、この村には結婚適齢期の女性はいませんものね」
「男も女も高校を卒業すると東京に行くからね」
「ここでは農業しか仕事はありませんものね」
「それに今の後継は40~50代の連中だから、それで終わりだよ」
「ホントですか」
「そうだよ――」
また、其の親類の石川喜作さんから家の購入金を聞かれた。
「中さん、あの家いくらで買ったの」
「土地と建物込で、3千万円です」
「えぇ~……」
大工に土地を売った親族の70代の石川さんは、ビックリした。
「あの土地は和田大工に二足三文で買い取られたのだ」と怒り、宴会途中で帰っていた。
この時に解ったのは、私が無知な為に庭に桜の木を植えた事だった。
没落した悔しさと……
恨みと憎しみに怒りを込めた怨念と――
執念を持っていたと思うような……
三本の桜に取り憑いた三人の男の亡霊を――
地獄の底から呼び出してしまった事だった。
******

「成田さん。俺、東京に帰る事にしたよ。それでこの家売ってくれる不動産屋さん知らない」と役場前の駐車場で火曜曜日に聞いた。
「何かあったんですか」
「何もないけど、田舎暮らしに飽きたんだよ」
「やはり東京生まれの人には無理ですかね」
「ローンの残っている所帯持ちなら帰りたくても帰れないけど、俺はチョンガーだからどこにでも移動できるんだよ」
「だったら、俺の友達に個人で不動産経営している人がますよ」
「紹介してくれる」
「いいですよ。電話して、中さんの所へ行くように言っておきますよ」
「そうしてくれる。今週の土・日休みだから、午前中に来るようにしてよ。待っているから」と本気にした。
「分かった」
「高く売れたら、お礼はするよ」と機嫌よく言った。

「おはようございます。小西不動産屋です」
と20代後半の男性が土曜日10時に訪問して来た。
「ご苦労様です。中です」と名刺を交換した。
「昨日来たとき、家を見ておきましたよ」と査定済みだった。
「築、12年ですが売れますか」と不安げに聞いた。
「大丈夫ですよ。この家なら、すぐ売れますよ」と心強い事を言った。
「小西さん。幾らでも良いから、一日も早く売れる値段でお願いしますよ」
と焦り気味に言った。
「この土地の大きさならば、私が自信を持って確実に売れる値段でインターネットに広告を載せますよ」と自信満々に言った。
次の日に70坪の土地に建坪三八の家を破格の値段で、一千万円を切って売りに出した。
インターネットの効果が出て、2~3日で訳の分からない買い手が何組か来た。
3日程して、一組みの40代の夫婦が20代の男の子供1人を連れて家を見に来た。
「こんにちは」
「はい」
「家に中を見せてもらえますか」
「いいですよ」
「掘りコタツがあるんだ」
「これは座るのに楽でいいね」
「リビンは何もないな」
「これなら可也入いるわね」
「昭善。ここに傷があるから、写メ撮っておけ」
「うん」
「ここもだ」
「わかった」
と壁や柱や床の傷を撮らせていた。
「トイレはオシュレットじゃないのか。風呂はユニットじゃないのか」
階段を上がり2階の二間も見た。
「二階も広いわね」
「これなら5人で住めるな」
「家の中の家具は、置いていける物は在りますか」と奥さんに聞かれた。
「お宅様の必要な物は全て置いて行きますよ」と大サービスをするつもりで言った。
「有難う御座います。此れで余計な家具を買わずに済みます」
と機嫌よく話が纏まりかけた。
隣で聞いていた、オヤジが何を勘違いしたのか、余りの人の良い私の足元を見て――
タダ同然で買い取る気持ちになった。
「此処に傷がある。写しておけ。ここも、ここもだ」と次の日に来て家の中を息子に携帯で何箇所も写メを撮らせ、憎々しい顔で言った。
外からも、あぁだぁこうだぁと粗探しをしていた。
「フェンスを直してくれ。風呂のタイルと張り替えてくれ。ここ床の傷を修理しろ。便器にオシュレットを付けてくれ」など因縁同様の注文を付けて来た。
「あの、お人好しの大バカ野郎からタダ取り出来る」
と帰りの車を運転しながら腹の底からバカ笑いをしていたと思う。
手に入れたつもりになり、仲間に誇大妄想を膨らませ話しをしたと思う。
「買えるのかい」
「大丈夫だと思うよ」
「それはよかったじゃないかぁ」
「何しろ、トロイ大バカヤローだよ」
ウァハハ八八ノヽノヽノヽノ \
と仲間を買い取った家に呼び、大酒煽りながら脚色話しで自慢をしたと思う。
「今に、見ていろよ」と腹の中に怒りを収めていた。
「この客に売るのは止めたのが良いですよ」と不動産屋も余りの傲慢さに忠告してくれた。
「今日か。明日か。今、この時点なのか。いつ殺されるか」が、気が気でなかった。
何しろどうでもいいから、一日も早く東京に帰りたかった。
不動産屋から“バカ”の言いたい放題の戯言を全て聞いていた。
「どうするかぁ~ 早く帰りたいし……
あのバカにタダ獲りされるのも悔しいし――
でも、このままいつまで居てもしょうがねぇし……
どのみち帰るんだから、慌てずに12月までいるか」と悩みに悩んで腹が決まった。
「売りません」と一ヶ月後、相手が最高に盛り上がった時に、怒りを込めて断った。
「もう、何も言わないから売ってくれ」
「『今回な無かった事にしてください』との事ですよ」
「80万円引いてくれればいいから、それで、もう一回話をしてよ」
「誠に申し訳ございませんが、縁がなかったと言うことで諦めてください」
「どぅしても、ダメですか」
「売主様からのお断りなので、次回という事でお願いします」
「そうですかぁ……」
「申し訳ございません」
「また出物があったら連絡してください」
「分かりまし」
PM8時に不動産屋から電話が来た。
☎♪゚+.o.+゚♪゚+.o.+゚♪
“もしもし”
「来たなぁ」
「小西です」
「どうでした」
「売主様から『今回は縁が無かった事として下さい』と断れてしまいガックリと落ち込んで居ましたよ」と不動産屋から買えると思い込んでいた為に・・・
「ザマァ~ 見やがれ――」
その夜から夫婦喧嘩が続いたと思う。
若しかしたら、あの買い手は運が良かったかも知れない。
あまり性格の良い人間でも無さそうだった。
騙し取った様な形で買っていたら……
この家に住み着いている元の主の三人の魔物に家族全員取り憑かれて、呪い殺されたと思う。

それからも――
“ピンポンピンポンピンポン”
「何ですか」
「大平不動産ですが・・・」
「はい>」
「家の中を見せてください」とネットを見て来た。
「いいですけど、まだ売りませんよ」と釘を刺して置いた。
「分かっています。この前の客は、立ちが悪かったそうですね」
と今までのトラブルを知っていた。
「世の中には、色々な人間がいますよ」と鼻で笑った。
以来、私の素っ気ない態度に、二度と来ることはなかった。

「ここまでが、限界とか」と悟った。
まだ往生際が出来ていないので持って帰れないと判断した生活用品、冷蔵庫・布団・本箱・洋服ダンス・シャツ・食器類等を、少しずつ知り合いに上げて処分する事から始めた。
粗大ゴミ的大物は朝早く起きて、得意先のサービスステーションの裏側にあるゴミ捨て場に、誰も見ていないのを確認して置き逃げした。
東京に持って行く布団セットは使わなかった。
トラック用のマットレスに寝起きして、12月までいる事にした。
其れからは……
今まで苦しめられた私の体は快調になってきた。
右足首が腫れて痛くて歩けなる様な異変が起きる事はなかった。
しかし――
私の周りには予期しない奇怪な現象が起こり始めた。 
朝起きて顔を洗おうと井戸水の蛇口を捻ると、一滴も水が出なかった。
「なんだ。今までこんな事が無かったのに」と内外の井戸水の蛇口を開けてみた。
どこの蛇口からも水は出て来なかった。
「あれ。コンプレッサーが壊れたかなぁ」と思いカバーを外して電源を切たり、コードを差し替えてりして軽い点検すると、別に異常がなかった。
餅は餅屋で水漏れ補修業者に来て貰った。
「水道管が凍っています。時間と共に暖かく成ったら氷が溶けて出るように成ります」
と言って帰った。
「この年は、いつもの年より寒かったかなぁ」と回想した。
「此の12年間大雪が積もっても、どんな寒い日でも凍らなかったのに。何故だろう」
と首を傾げ、不思議に思っていた。
2年前に裏の空き地に建った家の井戸水は凍らなかった。
「なぜだろう。俺の家より日当たりが悪いのに……」

長野に営業に行っていた頃、得意先のスタッフに言われた。
「雪になると暖かいですよ」
東京育ちの私には降っても降らなくても寒さは変わらなかった。

其れから一週間後仕事に行くのに、いつもの市道を通りT路地の手前10メールまで来ると、幼稚園から迎えに来るマイクロバスを待っている奥さんたちが固まって世間話をしていた。
私は子供もいるので横目で左側に注意を払い走っていた。
警戒していた通り、女の子は奥さんたちが目を離した隙に飛び出してきた。
「危ない――」と車内で叫び、クラックションを鳴らし続け急ブレーキを踏み締めた。
子供は驚き、反転して親の腰もとに泣いて駆け込んだ。
母親は顔が青ざめ、私に頭を下げて謝り子供を怒っていた。
もし、東京に帰る事に決めていなかったら、子供を轢き殺していたのでは無いかと思う。
つまらないトラブルに巻き込まれず、無事に東京に帰れることを祈るばかりだった。 

仕事から帰り風呂に入ろうと、蛇口を捻り井戸水を出して風呂桶に溜まるまで、リビングでテレビを観ていた。
時計を見ると30分経っていた。
「そろそろ水も溜まったな。火を点るかぁ」と風呂場のドァーを開けると驚いた。
ことには、わずかな時間だった気がした。
が、赤茶色い泥水が出ていた。
浴槽から洗い場のタイル一面まで石鹸箱がぷかぷか浮いていた。
底なし沼同様に藁混じりで泥だらけになっていた。
慌てて蛇口を締めて風呂の栓を抜き、赤茶色に変化した泥水を掃き流した。
「これじゃぁ~ 今日は風呂には入れないなぁ。酒飲んで寝るか」と諦めた。
近所に銭湯も無ければサウナも無かった。
汗を流さないと気持ちが悪いが仕方がなかった。
次の朝、この家を建てた和田大工に電話した。
「社長。井戸水から泥が出て来たよ。地下水が無くなったのですかね」
「おかしいなぁ~ 30メートルは掘っているからそんなことは無いよ」
と自信持って言い切った。
その日の午後、水道業者が現場を見に来た。
もう一度泥を掻き出して、今までより深く堀直した。

東京に帰る時は車に詰めるだけの荷物を残して、古い物は灰にした。
使えるものは世話になった知人に上げて残りは物置に入れて保管して置いた。
この頃はデジカメも高くて買えなかった。
今になり回想文も書くとは思わなかったので、ド田舎にいた頃の証拠写真は、何一つ撮っていなかった。
「失敗した――なぁ~」
得意先に行く途中にある家は、今でも建っているとは思うが……
「また来たか。懲りないヤローだ。今度来たら殺すと言ったろぅ。死ね――」
「三人の魔物に呪い殺されるのでは……」と思うと、怖くて見に行くことは出来ない。
***◆◆◆***
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