透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

「決断~火の見櫓に登った男たち~」

2023-06-10 | A 火の見櫓っておもしろい

 2019年10月の台風19号の豪雨による千曲川の堤防決壊、氾濫。防災行政無線柱のスピーカーから流れる避難を呼びかける音声が雨音で聞き取れない・・・。地元長野市長沼地区の消防団の分団長の判断で消防団員が4か所の火の見櫓の半鐘を一斉に連打して住民に避難を促した。半鐘の音を聞いた住民は避難して命を救われた。過去ログ 

真夜中に半鐘が5分間も連打された。地元住民たちはただならぬ事態だと直ちに理解しただろう。このニュースを聞いて、長野市長沼地区の火の見櫓が撤去されることなく、残っていて良かったなぁと思った。半鐘も撤去されていなかった。

下の写真はその時に消防団員が半鐘を叩いた火の見櫓の1基。偶々2019年、災害のあった年の5月にこの火の見櫓を見ていた。

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長野市長沼 4柱8〇型 正面開放、3方交叉ブレース脚(小屋またぎ)撮影日2019.05.12



台風19号災害を題材にした映画が製作されるというニュースを昨日(9日)テレビで見た。今日このニュースが「台風19号災害 短編映画に」という見出しで信濃毎日新聞の地域面に載っていた。映画のタイトル(仮)は「決断~火の見櫓に登った男たち~」、公開は来年10月の予定だという。

公開されたら多くの人たちに観て欲しい。ぼくも観たい。


 


同じ風景を描いても

2023-06-09 | A 火の見櫓のある風景を描く



 このところ慎重になり過ぎていた、と反省。線描に時間をかけすぎないこと、と自分に言い聞かせて描き始めた。スーッと一気に線を引く。そうしないと線に勢いが無くなってしまから。やはりライブな線でないと。電柱が曲がっても気にしない、気にしない。それも味だと。風景構成要素の大きさや位置関係も雰囲気で。線描は目標の30分を少しオーバー。

私が今使っている透明水彩絵具は色が鮮やか。敢えて言えば色が強く、前に出る(あくまでも私の個人的な、そして感覚的な感想に過ぎないが)。私の気持ちに色を同調させるのが難しい。意識的に筆に水を多く含ませてみた。水を多く含ませても彩度は落ちないが、当然薄くなる。で、色の表情はフラットになり、弱い印象になる。近景、中景、遠景の表情にするための色の調整は難しい。

下は上のスケッチの前日に描いたもの。近くの木は濃く、遠くの木は薄く着色したが、なんだかバラバラな感じでまとまっていない・・・。この反省から描いたのが上のスケッチだが、印象が弱い・・・。

ここを描くのは4回目。スケッチは難しい、でも楽しい。




火の見櫓のある風景 長野県朝日村にて


 


好いことがありそう

2023-06-08 | E 朝焼けの詩


朝焼けの詩 2023.06.08 04:59AM

今日は何か好いことがありそう。


「名画を見る眼Ⅰ」

2023-06-08 | A あれこれ

 高階秀爾さんの『名画を見る眼』(岩波新書)が刊行されたのは1969年。それから50年以上も読み継がれて、帯によると累計82万部。このことだけでも本書が名著であることを示すに十分だろう。

本書に取り上げられているのは15点で、どれも名画と評されている。掲載されている図版が参考図版も含めてすべてカラーに刷新されたと知り、買い求めた。学生時代に読んで以来、何十年ぶりかの再読。やはり絵画の解説本の図版はカラーがよい。


高階さんは取り上げた絵画を分析的に細部まで読み解く。絵画に隠されている謎を解くかのように。で、ぼくはその都度、「なるほど、こういうことなのか」となり、付箋を貼る。読み終えたら付箋は何枚にもなっていた。他の画家が描いた同じモチーフの表現と比較して論じたりもし、更に歴史的背景にまで言及している。これ以上の解説はないのではないか、と思ってしまう。

 
ここに載せたシャンデリア、左は本の帯に使われたファン・アイクの「アルノルフィニ夫妻の肖像」に描かれているもので、右はフェルメールの「絵画芸術」のもの。高階さんは二つのシャンデリアを比較して次のように書いている。**ファン・アイクがあくまでも真鍮の持つ金属的な硬さと冷たさを、つまり対象の質感を重んじているのに対して、フェルメールは何よりも視覚的効果に執着しているのである。**(125頁)なるほど、二つのシャンデリアを見比べると、どちらも写実的に描かれているけれど、表現していることが違うということがよく分かる。高階さんの絵画を見る眼はやはり鋭い。

高階さんは続ける。**対象そのよりもその対象の上の光の効果を体系的に追及したのは、言うまでもなく印象派の画家たちであり、その点にこそ印象派の「近代性」があったのだが、とすればフェルメールは、二百年も早く、印象派の問題を先取りしていたわけである。**(125頁) 西洋絵画の数多くの作品を丁寧に読み解き、さらにその歴史的な流れを細部まで把握していないとこのような説明はできないだろう。

**絵というものは、別に何の理屈をつけなくても、ただ眺めて楽しければそれでよいという見方もある。それはそれで大変結構なことに違いないが、しかし私は自分の経験から言って、先輩の導きや先人たちの研究に教えられて、同じ絵を見てもそれまで見えなかったものが忽然として見えてくるようになり、眼を洗われる思いをしたことが何度もある。**(あとがき 229頁)

ファン・アイクのシャンデリア(左)に灯された一本の蝋燭は「婚礼の燭台」と呼ばれ、結婚のシンボルという説明を読んでシャンデリアに描かれた一本の蝋燭の意味が分かった。

最後にもう一度、これは名著だ。


今月(6月)の確か20日、『カラー版 名画を見る眼Ⅱ 印象派からピカソまで』が発売になる。こちらも読なまければ。


初夏のフォトアルバム

2023-06-07 | A あれこれ

 

 

 
初夏のフォトアルバム 信州スカイパークにて 2023.06.07


「もののけ姫」

2023-06-06 | E 週末には映画を観よう

 アニメ映画を観ることはあまりない。宮崎駿監督の「もののけ姫」が大ヒット作だということは承知していたが、いままで観たことがなかった。で、6月2日(金)にDVDで初めて観た。

登場人物や動物の台詞がよく聞き取れず(特定の周波数域の音が聴こえにくくなってきているのだろう。確実に老人力がついてきていることを自覚する)、翌3日に改めて字幕付きで観た。台詞に出てくる名前などの表記まで分かって、ものがたりの理解の助けにもなった。

自然と人間がどう折り合いをつけて共に生きていくのか・・・。この映画の大きなテーマは自然と人間との共生だとぼくは理解した。山犬(オオカミ)に育てられたサンは自然の代表であろうし、アシタカは人間の代表だろう。自然と人間を代表するふたりの主人公を中心にものがたりは進行していく。

エボシ御前は神宿る自然を恐れない現代の人間の姿だろう。自然を破壊し続けるとどうなるのか、デイラボッチャの不気味な振る舞いがそれを暗示する。デイラボッチャの動きは実に上手く表現されていた。

画面を一時停止して印象的なジコ坊の台詞をメモした。「天地(あまつち)の間にあるすべてのものを欲するのは人の業というものだ」

もののけ姫・サンとアシタカ、ふたりには結婚という選択肢もあったが、最後、それぞれ別々に暮らすという選択をする。時々会うことを約束して。

ふたりの結論が人間と自然の折り合いの付け方を示しているとすれば、それは具体的にどうすることなんだろう・・・。確実に言えるのは、人間は自然に対する畏怖の念を抱き続けなければならない、ということだろう。


 


「優しいコミュニケーション」

2023-06-06 | A 読書日記

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 『優しいコミュニケーション 「思いやり」の言語学』村田和代(岩波新書2023年)を読んだ。社会生活の基本はコミュニケーション。だから本書に興味を持った。著者の村田和代さんはコミュニケーション系の社会言語学が専門の研究者。現在(2023年の時点で)龍谷大学政策学部教授。

本書で村田さんはコミュニケーションにおける優しさとはどういうことなのか、論考している。コミュニケーションに限ったことではないが、優しさとは相手を思いやり、相手の立場になるということ。取り上げられているのは「雑談の効用」「あいづちの役割」「オンライン会議のやりずらさ」などコミュニケーションに直接関係することだ。

本書で紹介される具体的な考察事例にはニュージーランドと日本の会社の会議前の雑談の違い、コロナ禍初期の安倍首相、小池都知事、吉村大阪府知事が記者会見で使った言葉や表現の違い、さまざまな会議におけるファシリテーターの役割などがある。

さまざまなコミュニケーションについて、共通点を見出し、一般論として論ずること、理論化することも目指すと村田さんは書いておられる。対象がものであれば、例えば「考現学」の今 和次郎のように対象物をたくさん蒐集することもできるだろうが(それはそれで大変だとは思うが)、コミュニケーションの場合、会話の様子を録画・録音するなどして集めて分析するのは容易ではないだろう。サンプル数が少ないと一般論として論ずることはできない。

本書を読んで残念に思ったことは本文にカタカナことばが多用されていること。

スピーチ・アコモデーション、ポジティブ・ポライトネス、ブレイクアウトルーム、フィッシュボール形式、ピア・レビュー、話し合いのメタ的な側面、トピックセンテンス、オリジナルポートフォリオ、マルチパートナーシップ、ミスコミュニケーション、コミュニケーションパターン、ストラテジー、・・・。

たとえ日本語では表現が困難な概念であっても、これらのカタカナことばに疎い一般読者を思いやり、「優しい」説明をして欲しいな、と思いつつ読んだ。


 


火の見櫓のある風景

2023-06-05 | A 火の見櫓のある風景を描く


松本市今井 2023.06.03

 この国の風景の特徴は「水っぽさ」にあると思う。乾いた風景なら油彩画が相応しいのかもしれない。だが、この国の瑞々しい風景、そう、水が張られ、田植えの済んだ田んぼがあるような風景は水彩画が相応しい、とぼくは思っている。

 

 立位と椅坐位とでは視点の高さが変わる。日常生活では風景を立って見ていることが多い。だから普段は座らず立ってスケッチする。だが、この時は簡易な折りたたみ椅子を持参して田んぼより1メートルほど高い所に腰かけて描いた。遠景だから視点の高さはそれ程関係ない。

朝ドラ「らんまん」で万太郎が植物を線描するところを見て、手前に雑草(名前は分からない)を描き入れてみた。写真①のようなアングルで描いているから雑草は入らないけれど、スケッチだからいかようにもなる。

建築デザインのエスキース(スケッチ)では決定的な線を探すために繰り返し何本も線を引く。だが、眼前の風景には決定的な線がすでにそこにある。だから、線描では決定的な線を一気に引きたい。例えば鳥獣戯画の動物のように。さぐるように、そう、さぐるように何本も引く方法は対象物の輪郭を曖昧な状態に表現するのにはいいのかも知れないが、そのような場合でもぼくは輪郭をきっちり描きたい。

着色も以前は現場でしていたが、最近は自宅でしている。水彩絵の具は含ませる水の量で色の濃淡や表情が変わる。遠くの山や木は水を多く含ませて薄く、そして変化をつけず均一に着色する。近くの木は水を少なめにして色の変化や影を表現する。空気遠近法を意識した着色。絵の具と同じように水滴をパレットに落とし、筆先の絵の具に適量の水滴をつけて着色する。この技は有効だ。

空をもっと爽やかに描きたい・・・、田んぼの瑞々しい表情を表現したい・・・。なかなか思うような表現が出来ない。でも、そのことが楽しい。




 


15茅野市玉川の火の見櫓

2023-06-04 | A 火の見櫓っておもしろい


1479 茅野市玉川 3柱6〇型トラス脚(トラスもどき)2023.06.01

 6月1日の火の見櫓、狛犬、オオカミ様巡りの最後は珍しい火の見櫓だった。火の見櫓の手前左側にある大きな蔵に妻垂れが設置されている。火の見櫓に沼らなければ、民家観察を続けていたと思う。

南信地域では少ない3柱タイプ。加えて高さ10メートルはありそうな見張り台まで外付け梯子で上るようになっている。櫓の中間にある踊り場も外付け。3角形の櫓の外側に4角形の踊り場と設置してある。踊り場までは何とか上れるかもしれないが、そこから上は私には無理だと思う。


下から見上げると、2つの半鐘がセンター線上に見えた。




脚はトラスもどき。3角形を構成していないのでトラスとは言えないけれど、便宜的にトラス脚としている。


火の見櫓巡りをするとよく歩く。この日の歩数は6,741歩だった。

終日つき合っていただいた、ひのみくらぶ会員・藤田さんに感謝します。


 


14茅野市宮川 酒室神社の狛犬

2023-06-04 | C 狛犬

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 茅野市宮川の酒室神社を再訪した。狛犬をもう一度見たくて。

既に書いたことを繰り返します。神社の参道や拝殿前に鎮座する一対の狛犬(参道狛犬)は別々の霊獣で、拝殿に向かって右が獅子、左が狛犬(想像上の動物)です。狛犬は頭に角がある一角獣。

仁王像と同様に獅子は阿形、狛犬は吽形。いつ頃からか、狛犬の頭の角がなくなり、獅子と狛犬の違いは口を開けているか、閉じているかだけになってしまっています。

さて、酒室神社の狛犬。向かって右側の獅子に本来ないはずの角があり、左側の狛犬には角の代わりに団子のような宝珠が付いています。また、口の開閉を見ると、獅子は当然開けているけれど、閉じているはずの狛犬も歯が見え、開けているように見えます。5月16日に初めて見た時にこのことに気がつき、もう一度見たいと思った次第です。








真横からも、獅子も狛犬も口を開けているようにしか見えなません。角と宝珠を除き、両者の姿の違いが分かりません。体の巻き毛も尾の様子も同じにしか見えません。

後ろから見たらどうだろう・・・。




違いがわかる男のコーヒーも飲みますが、この獅子・狛犬の違いがわかりません・・・。


国立国会図書館デジタルコレクション

酒室神社の獅子に角があるのは、1794年(寛政6年)に刊行された『諸職画鑑』というイラスト集の獅子に角が描かれていたために、それを参考にしてつくったことに由るのではないか、と思いました。

明治初期までに、イラストの間違いに気が付き、角付き獅子は彫られなくなった、といいます。ならば、酒室神社の獅子・狛犬は江戸末期ころまでに彫られた古いものかもしれない・・・。


台座の刻字は昭和十一年七月、としか読めません・・・。では、なぜ?


酒室神社は諏訪大社上社の末社 ご祭神は酒解子之神(さけとくねのかみ)


13富士見町富士見の火の見櫓

2023-06-04 | A 火の見櫓っておもしろい


いいなぁこの風景、スケッチしたいな。


1478 富士見町富士見若宮 4柱44型トラス脚(垂直) 2023.06.01

 富士見町の火の見櫓巡りは既に何回かしているけれど、町のほぼ中央を通っている国道20号の西側は巡ったエリアが限定的で、このあたりは今回が初めてだった。6月1日、この日見た火の見櫓は坂本鉄工所で製作されたものが何基かあり、その整た姿かたちに慣れていたので、この火の見櫓は新鮮だった。

櫓はトラス脚だけ垂直にして、その上を見張り台まで逓減させた少し太めの火の見櫓だ。4隅の脚の付け根部分は柱が折れた状態(構造上の不連続点)で強度的に不利になりがちだ。

このような姿かたちをみると、なぜかバレーリーナがつま先立ちしている様に見えるし、動物の脚のようにも見える。ものの形を捉え、認識するヒトの脳は不思議だ。


見張り台に半鐘はなく、踊り場にある。木槌もあって好ましい。





火の見櫓の横に消防信号板を立て看板のように設置してある。



 


12富士見町富士見の火の見櫓

2023-06-03 | A 火の見櫓っておもしろい


1477 富士見町富士見 富士見町消防団第三分団屯所 4柱44型トラス脚
昭和33年4月1日竣工 坂本鉄工所


 


11富士見町富士見の火の見櫓

2023-06-03 | A 火の見櫓っておもしろい

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1476 富士見町富士見 木之間公民館 4柱44型トラス脚
昭和33年(1958年)5月15日竣工 坂本鉄工所


 


10富士見町富士見の火の見櫓

2023-06-03 | A 火の見櫓っておもしろい






 火の見櫓を通り過ぎて程なく「注意!この先行き止まり!」という表示板があった。国道20号から生活道路に入って一番奥の集落まで来た。このようなことはあまり経験がない。行けるところまで行こう、という気持ちがないとダメなんだろうな。


1475 富士見町富士見花場 3柱66型トラス脚 2023.06.01

もう少し小型だが、同じような姿かたちの火の見櫓が国道20号沿いに立っている。南信では数が少ない3柱型。上の全形写真の柱に定規を当てて、直線部材であることを確認した。柱材の等辺山形鋼を曲げ加工するのは大変だろうが、なだらかなカーブを描いている方が美しく、好ましい。


6角形の見張り台の床面を一部欠きこんで外付け梯子の上端を設置してあるが、その部分にも手すりを付けてある。この手すりがあれば、特に見張り台から梯子に移る場合の恐怖心が和らぐだろう。梯子の上端を見張り台の床面より上まで伸ばしてあればもっと良かったと思う。


 


9富士見町富士見の火の見櫓

2023-06-03 | A 火の見櫓っておもしろい


1474 富士見町富士見 横吹集落センター裏側 4柱44型トラス脚 2023.06.01

 火の見櫓が道路に面していないで、消防団詰所(屯所)などの建物の裏側に建てられているケースはそれ程多くはない。1割にも満たないのではないか。この火の見櫓は、そのような少ない配置例の1基。

国道20号から別れ、生活道路をかなり進んだところに立っている。藤田さんの案内がなければこの火の見櫓を見る機会はなかった、と思う。たぶんこれも坂本鉄工所でつくった火の見だろう。全体の整った姿かたちを見てそう思った。


屋根のてっぺんの避雷針にクモがひっくり返ったような形の飾りがついている。4隅の飾り、蕨手を見て?


珍しい形をしている。なぜ? ごく一般的な蕨手でなく、こんな形にしたんだろう・・・。




理想的な脚、美しいの一言。


やはり坂本鉄工所で製作した火の見櫓だった。昭和38年(1963年)10月1日竣工の還暦火の見。