透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

個性ってなんだろう・・・

2008-11-24 | A あれこれ
 日本の駅舎には個性がない・・・、と夜中に考えていた。

数少ない駅舎の記憶からこのような結論に帰納させていいのかなという思いもちらついた。

でも、テレビでよく放送される旅番組を観ていると、駅舎をバックにタレントが「○○に着きましたね」「さあ、行きましょうか」といった会話するところから始まることが多いが、そのとき映し出される駅舎は確かに没個性的だ。新幹線の通っている路線の駅舎などはどれも箱型で、外壁は白やグレーの横長の(たぶん)鋼板パネルに覆われている。

なぜだろう・・・。理由がいくつも浮かんでくる。 短期間で完成させるのに適した構法が採用されるから? ローカル色をデザインに活かそうにも、もはやそのようなものは消えてしまっている? そもそも現代建築は同じ技術で世界を覆い尽くすことを目指しているのだから地方性などという概念は無く、それは駅舎も同じ? 

身近な駅舎を思い浮かべる。

長野駅も松本駅も塩尻駅も建て替えられているが、以前の駅舎のほうが親しみやすく、地方都市の玄関口にふさわしかったように思う。隈さんが『自然な建築』に書いていた「場所と建築との幸福な関係」があったと思う。

駅舎がデパートやホテルなどの機能も備えた大きなビルになってから顔が見えなくなり個性も失ってしまった・・・。

そうかな、とここでまた異論が浮かんでくる。

原さんの京都駅はどうよ、巨大な複合ビルだけれど「個性的」じゃないか。磯崎さんの由布院駅はどうよ、黒塗りの板張りの駅舎は個性的じゃないか。内藤さんだって、スチールと木を使った繰り返しの美学な日向市駅を設計したじゃないか。坂さんだって確か東北で個性的な駅舎を設計したぞ。

確かに。でもこれらの駅舎に表現されているのは建築家の個性であってその地域の個性じゃない・・・。京都駅は京都にふさわしいデザインじゃないって批判されたし、由布院駅だってハラミュージアムアークだっけか、あれと同じようなデザインで別に由布院を表現したってワケじゃない・・・。

じゃ、地方性を建築で表現するってどういうこと? 松本駅なら蔵か。京都駅なら寺院か・・・。まさか、まさか。

地方性を建築が表現する?、違う、建築が地方性を創っていく、創っていかなくちゃいけないんじゃないのか・・・。あの東京駅だって、東京を表現しようという意図でデザインされたわけじゃないだろう。京都の寺院だってそうだろう。

その地域の歴史や文化を担うに足るように少なくとも100年、いや200年の時の流れに耐える建築を創ることだ。安易にペナペナのインスタント建築なんかつくっちゃいけないんだ。そこに必要なのは人々の200年使うという意志というか建築は文化だという見識だ。

この辺まで考えて夢の中へ・・・

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