透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

品川神社の狛犬

2017-11-25 | C 狛犬

創始は1187年(文治3年)に 源頼朝が安房国の洲崎明神(千葉県館山市の洲崎神社)の天比理乃咩命を迎えて海上交通安全と祈願成就を祈ったことだというから古い。

1600年(慶長5年)、徳川家康が関ヶ原出陣の際に参拝したという。1868年(明治元年)に明治天皇が都内の十社を「准勅祭神社」と定められ、その中に品川神社もあった。

御祭神は天比理乃命(あめのひりのめのみこと)、素盞嗚尊(すさのおのみこと)、宇賀之売命(うがのめのみこと)の三柱。



 23日の朝、友人とJR品川駅で待ち合わせ。京浜急行の新馬場駅北口から徒歩で数分の品川神社に向かう。一の鳥居には昇り龍と降り龍が巻き付いている。前夜から雨が降り続いていたが、これは龍が水神だからか。だとすると縁起が良い。もっと良い位置で写真を撮りたかったが雨降りだから諦めた(などと言い訳をする)。この写真には富士塚が写っていない。やはり何を撮りたいのか決めてからカメラを構えないと・・・、反省。


△ 一の鳥居 石段踊り場の左側に富士塚の登り口、いや登拝道入口がある。雨で石段が滑りやすかったが富士塚に登った。昔はこの辺りから江戸湾が見えたんだろうな、すぐそこが海か・・・。



 
△ 一の鳥居の前の狛犬 1925年(大正14年)建立

 
△ 二の鳥居の前の狛犬 1792年(寛政4年)建立 石工:四郎兵衛 阿像(右)には宝珠が、吽像(左)には角がついている。

   
△ 富士塚の横に鎮座する浅間神社の狛犬 2004年(平成16年)に日本参道狛犬研究会の三遊亭円丈師匠が奉納した。 

   
△ 備前焼狛犬 1830年(文政13年)建立 以前は金網のケージに納めていたようだが、今現在はむき出し状態。阿像の尾の先の色が違う、補修したのだろう。

   
△ 御嶽神社前の狛犬 雨脚が強くなり、上手く撮ることができなかった。頭頂部に窪みがある。


△ 神楽殿

   
△ 拝殿前の狛犬 1884年(明治17年)建立 石工 清三郎 子獅子が親獅子に甘えている。家内安全、子孫繁栄の願いを表現しているのだろう。子獅子のいない親獅子だけの凛とした姿も好い。

△ 拝殿の内部に神殿狛犬がいた。撮影禁止だから写真は無い。

参拝の後、御朱印をいただく。




 


鐘鋳神社(棚倉町)の狛犬

2017-11-05 | C 狛犬

 鐘鋳(かねい)神社は東白川郡棚倉町一色にある小さな神社。集落内の狭い生活道路に案内看板があることを知り、出かける前にストリートビューで確認していたが、確認したコースを逆方向から向かうことになったので分かりにくかった。が、なんとか迷うことなく行きつくことができた。神社の直前で、道なのか民家の庭先なのか判然としないところがあって、ここ通っていいのかなと思ったが。

神社は鬱蒼とした森の中、時の流れが古からずっと止まっていたかのような雰囲気のところに鎮座していた。





棚倉町一色は、この狛犬の作者・小林和平の奥さんの出身地だという。ふたりの間には3人の子どもが生まれたが、3人とも亡くなっている。長女を1927年(昭和2年)に15歳で亡くしてから7年後、1934年に和平はこの狛犬を彫った。この狛犬の吽像にも子獅子が彫り込まれている。和平はどんな想いでこの狛犬を納めたのだろう・・・。





彫りに対する執念すら感じるこの狛犬、ただただ凄いとしか言いようがない。


 今回の福島南部狛犬巡りでは、狛犬ファンのブログで訪ねる神社を検討し、友人のぶさんからもアドバイスしてもらった。記して感謝する。


八槻都都古別神社(棚倉町)の狛犬

2017-11-05 | C 狛犬

 東白川郡鮫川村の八幡神社から同郡棚倉町の八槻都都古別神社へ。途中、遅めの昼食(食レポは無し)。


八槻都都古別(やつきつつこわけ)神社


鳥居から朱塗りの随神門に伸びる石畳の参道、その脇に狛犬が鎮座している。

 
迫力ある木鼻


拝殿



この狛犬は1840年(天保11年)の建立。石工の名前は刻まれていないが、高遠藩を脱藩して遠く陸奥国、福島に移り住んだ小松利平(1804~1888)の作品ではないかと言われている。だとすると、この狛犬は利平が30代半ばに彫った作品ということになる。

福島の山村に身を隠し、脱藩者を取り締まる石切見付から逃れていた利平には自分の名前を彫るに彫れない事情があったという訳。遠く離れたこの地まで流れてきた利平はいったいどんな想いで石を彫り続けたのだろ・・・。
















この狛犬で注目は吽像の子獅子。



母親を見上げる子どもの顔の表情が実にいい。  


 


鮫川村八幡神社の狛犬

2017-11-05 | C 狛犬



 今回の福島県南部・白河地方の狛犬巡りは神社7社の狛犬を見て、その日のうちに茨城県筑西市まで移動するというかなりハードなスケジュールだった。出かける数日前、各神社のある市町村の位置関係を福島県の地図で確認した。行きつ戻りつでは効率が悪いから右回りと決めた。後は当日カーナビのおねーさんの指示に素直に従うことにしていた。

この日、5社目は東白川郡鮫川村赤坂中野にある鮫川村八幡神社。すぐ近くの鮫川小学校を目的地に設定して、古殿八幡神社から移動。村の主要道路の脇に石段が設えてあり、その両脇の石積みの上に狛犬が据えられていた。

狛犬の作者は小林和平と同世代の野田平業という石工。この狛犬の台座には「白河市横町彫刻師野田平業」と彫り込んである。そう、彫刻師。向かって右側の阿像、左側の吽像、どちらも尾がすごい。尾は狛犬の見どころのひとつだが、今回見てきた狛犬はどれも尾が何本にも分かれていて装飾的、凝ったつくりだ。







小林和平が彫った古殿八幡神社の狛犬ほど表情が豊かではないが、野田平業は技巧派と評されるだけのことはある。この籠彫りの珠に注目。透かし彫りした籠の中に丸い玉が入っている!もちろん後から入れたわけではない。そっと指を籠に入れて玉を押してみたら動いた。東海林さだおさんが取り上げた「ドーダ、おれってスゴイだろ」の彫りだ。過去ログ


 


古殿八幡神社の狛犬

2017-11-04 | C 狛犬




1932年(昭和7年)に建立された小林和平51歳の時の作品


拝殿


本殿



この卓越した造形力、デザイン力がまず凄いと思う。加えて彫りの技術が凄いのだから、鬼に金棒、もとい和平に鑿(のみ)。



阿像だから口を開けている。この表情はなんとなくユーモラス。









子獅子が親獅子の腹の下にいる。とても居心地が良さそうだ。





親獅子の後ろにも子獅子がいる。幼い我が子を亡くした和平の心情が表出した狛犬。


 


石都々古和気神社(石川町)の狛犬

2017-11-04 | C 狛犬


石川郡石川町下泉の石都々古和気(いわつつこわけ)神社

鳥居と長い石段を望遠する。神社は後方の山頂に鎮座。

 
今出川の対岸にある御仮屋の狛犬 小林和平と大竹俊吉の合作 1939年(昭和14年)建立 

オーソドックスな蹲踞の形


石段から鳥居を見返る 参道の両脇に一対の狛犬

 信州高遠藩を脱藩、遠く福島に移り住んだ石工・小松利平(1804~1888)。石彫りの技術は小松寅吉(1844~1915)、更に小林和平(1881~1966)へと継承されていった。石都々古和気神社の狛犬は小林和平1930年(昭和5年)の作品。この一対の狛犬では吽像に注目。





小林和平は長男、次男を生後まもなく亡くし、その後生まれた長女も亡くす。この狛犬は長女を亡くしたわずか3年後に彫られたという。このことを念頭にこの吽像を見ると、親子のにこやかな表情が心に沁みる。叶わなかった親子の暮しをこの狛犬で表現しているかのようだ。





子獅子の上、母獅子の胸にはいくつもの突起がある。この乳首は子獅子が飢えないようにという、利平の我が子への愛情の表現。



石段の設えに石の文化を感じる。



石段を何段も何段も登ってようやく拝殿に着いた。


拝殿


拝殿の後方、本殿の右横に立つ石の五重塔も小林和平の作品(1938年、昭和13年)



塔の頂部の龍 今にも動き出しそう。


 


鹿島神社(白河市東下野)の狛犬

2017-11-04 | C 狛犬





 白河市東下野出島坂口の鹿島神社の狛犬も川田神社の狛犬と同じ石工・小松寅吉が59歳、まさに円熟期の作品。とても硬い石を彫ったとは思えない、精緻で流麗な姿・形だ。これは傑作! 寅吉は頑固者であり、技術研鑽に励んだそうだが、確かにこの狛犬を見ると凄い技術の持ち主だったということが分かる。









吽像をこの方向から見ると「飛翔狛犬」の意味がよく分かる。


 


川原田天満宮(中島村)の飛翔狛犬

2017-11-04 | C 狛犬

 一昨日(11月2日)の午前3時に出発。途中休憩しながら高速道路(*1)を走り、最初の目的地、福島県西白河郡中島村川原田の川原田天満宮(川田神社)に午前8時半過ぎに到着。走行距離395.6km。

信州高遠藩出身の石工・小松利平(1804~1888)の弟子で後に利平の養子となった小松寅吉(1844~1915)の作品、その姿から飛翔狛犬と呼ばれる。蹲踞した旧来の狛犬からは想像もつかないほど独創的なデザイン。












*1 長野道→上信越道→関越道→北関東道→東北自動車道→あぶくま高原道路 


週末東京5 その4

2017-09-12 | C 狛犬

狛犬5 拝殿前の獅子山の狛犬









向かって右側、阿形の狛犬 力強い後ろ足と大胆な造形の尾 この狛犬を彫った石工は相当な力量の持ち主だったに違いない。




向かって左側の吽形の狛犬には子どもがいる。



子どもを見る顔の表情は優しい。



尾の表面が欠けているのは残念


狛犬6 神殿狛犬

  


 


週末東京5 その1

2017-09-11 | C 狛犬

素盞雄神社

■ 9月9日(土)、大学のOB会に参加してその夜は都内のホテルに宿泊した。翌10日(日)の早朝、荒川区南千住の素盞雄(すさのお)神社へ出かけた。





天王社の大銀杏:この木の皮を煎じて飲むと、乳の出が良くなるという伝承がある子育て銀杏。





神社の御祭神は素盞雄大神と飛鳥大神の2柱

素盞雄大神は伊耶那岐命が禊で鼻を洗ったときに生まれた神様。ちなみに天照大御神は左の目、月読尊は右の目を洗ったときに生まれた(手元にある「古事記」橋本治/講談社で調べた)。

狛犬1





境内で最初に目にしたのは、灯籠台座の狛犬のレリーフ。


狛犬2


富士講 浅間神社の狛犬





宝暦10年(1760年)生まれ、狛犬マニアに「はじめちゃん」と呼ばれる古い狛犬


 狛犬3


3基の庚申塔と狛犬











 


松川村大和田神社の狛犬

2016-07-17 | C 狛犬




神楽殿



神楽殿の懸魚(切妻屋根の棟木の小口をふさぐための板が意匠的に発展したもの、と解している)は、めでたい鶴。



拝殿の前に一対の狛犬が鎮座している。



 









■ 台座に刻まれた建立年は皇紀2600年、この節目の年は1940年(昭和15年)。

どうも今一つ、狛犬が鮮明に写っていない・・・。しばらく狛犬から遠のいていたから、写真もうまく撮れなくなってしまったか。

石種はなんだろう、御影石だと損耗しやすいが。神社の隣に立っている火の見櫓のことが気になって
じっくり観察しなかった(と言い訳)。






拝殿内にも阿吽一対の狛犬が鎮座していた。表面の様子から木彫りではないかと思うが、どうだろう。


狛犬鑑賞は難しい・・・。