こだわりの生活

ヒゲオヤジの何でもやってみよう、見てみよう挑戦日記

物の価値と値段 後編

2005-09-19 23:26:58 | 禁煙

さて、昨日の話の続き。

物の価値と値段、日常の全てに関わっていて、とっさに買うか買わないかを判断するのは、それぞれの人の頭の中で物の価値と値段が一致するか否かで決まる。とはいっても、日用品関連は買わずにはいられないし、大体の値段は決まっているので、そんなにズレはない。まあ、賢い主婦なら1円でも安いところで買うという図式になると思うが・・・。

そして、同じ人にとって、同じ物で、同じ値段でもその時々で価値は変わるのも面白い。高くて敬遠したものでも、心境や環境変化で購入してしまう事は良くあることだ。

filter  だが、やはりそれは趣味のものや嗜好品に一番、顕著に表れてくる。そうした中で、タバコの事を特に取り上げたい。自らが禁煙実行中で、このブログにてその話題を取り上げている以上、避けては通れないし、じっくり考えてみたいと思ったからだ。

それを改めて考えさせてくれたのは、じぞうさんのブログ”じぞう禁煙日記だった。http://jizou.no-blog.jp/kinen/2005/09/post_00c3.html

氏はブログ中で『タバコが一箱1000円になったとしても、その値段に見合うと思った人は買い続けるのでしょうし、350円に値上がりした時点でやめる人にとっては「その程度の価値しかなかったモノ」になるわけです。
タバコの値段はどんどん上がるべきです。
そして本当にタバコに価値を感じる人だけが吸うようになればよいのです。』と書いている。

実に興味深い!と思った。そこで語られていたのはタバコの増税についての話だが、賛成とか反対とかの次元の話ではない。増税による価格の上昇である意味、真の愛煙家どうかが問われるというものだった。価格の上昇でふるいにかけられ、脱落する者はエセ愛煙家であり、やめるべき人である。

一般的に、ニコチン中毒や習慣性で吸ってる人のほとんどは機会があればやめたいと願ってるに違いない。ならば、増税による値上がりは格好のきっかけになり得るだろう。その値段は勿論その人の価値観によるところが大きいが、いっそ1箱が5千円か1万円にでもなれば効果絶大ではなかろうか?そんな値段になれば、そうやすやすともらいタバコも出来なくなり、”1本だけ”現象に誘惑され、つい吸って逆戻りも出来にくいに違いない。

愛煙家諸兄の悲鳴が聞こえてきそうだが、タバコはそれぐらい危険な”ヤバイぶつ”であると、この際認識して欲しいし、それを承知で吸うぐらいの覚悟が必要だろう。それが愛煙家たる証に今後なるだろう。

余りにも他力本願的な考えで、後ろ向きだがタバコの習慣性やタバコがmark ニコチン依存症を引き起こす点を考慮すればやむを得ない。これだけはっきりと害があるのが明白なのに全面禁止に出来ないのなら、政府はせめてこのぐらいのことをしてあげていいのではないか?というより、そうすべきなのではないだろうか?

少なくとも、需要と供給のバランスで価格が決まっていいハズはなく、全面的禁止に出来ない代わりに吸える選択肢を残しつつ、やめさせる路線へ明確に舵取りをすべきである。

「そういうお前は吸ってる時はどうだったんだ?」とご指摘があると思うが私は増税反対だった。当然、愛煙家を自称してたし、先ほど『同じ人にとって、同じ物で、同じ値段でもその時々で価値は変わる』って言ったじゃないですか・・・・。(^^;

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物の価値と値段 前編

2005-09-18 10:25:12 | アート・文化

note 現在、六本木ヒルズにてレオナルド・ダ・ビィンチ展が開かれている。たまたま、仕事を通じて、このイベントで展示される直筆ノート『レスター手稿』の存在を知った。輸入に少し関わった関係で、その直筆メモがビルゲイツ個人所有の物で30億円で落札されたという話を聞いた途端、思わず色々なことが頭に浮かんだ。

先ず、ビルゲイツはお金が余ってしょうがないんだなーという実感。贅沢は大概やりつくし、収集癖に走るのは洋の東西を問わずお金持ちの典型的パターンだ。

次に、その手帳というかメモ帳は、本当に本物?という疑念だ。500年も前の代物らしいが、色々な金持ちの手から手へ渡ってきたらしい。その間、本当にまっとうに流れてきたのだろうか?う~ん、実に怪しい。しかし、金持ちの強者の論理で、たとえ贋作であっても、本物にされちゃうのだろうな。贋作の噂が出そうになれば、金の力で封じ、何処かに本物があるのなら、秘密エージェントが暗躍して水面下でその存在を消すかもしくは、すり替えちゃうみたいな・・・、まさしく映画の世界のような話がありそう。

そして、そんな物に30億円の落札価格は妥当?確かに、世界で1個しかない物だし、かのレオナルド・ダ・ビィンチの科学者とアーティストの優秀な側面の裏側を見せてくれるメモ帳ではあるが、芸術的な絵画と違い学術的な意味合いが強いこの手帳の価値とは果たしてどのくらいであろうか?

最後に学術的に保有し研究したい人にとっての所有が望ましかったのに、かわいそうにそっち方面の人は全く手が出なかったと思われる。これはあくまで私の推測で、もう学術的価値は全くないのかも知れないが・・・。

いつもこの手の話を聞くたびに”へー”だとか”ほー”だとかの感想を漏らす私だが、絵画であれば芸術だし何となく理解していたが、芸術作品とは呼べない今回の”手帳”に違和感を感じ、改めて価格というものが需要と供給のバランスで決まる市場原理を実感した。物の価値は本当に欲しい人の価値観で決まるという極めて当たり前のことを・・・。

件の手帳は72ページにもわたり、当時のレオナルド・ダ・ビィンチの科event 学的考察の集大成とも言われ、極めて貴重な研究ノートのようだ。ビルゲイツ氏はこれを世界中に公開して、若き学生達に自分が感じたインスピレーションを感じて貰い、それを広めることによって科学の振興に役立てたいと語っているが、どうしてもお金のニオイを感じてしまう、私だった。

何処かの博物館か大学の研究機関に寄贈もしくは寄付という形でも良かったのでは・・・・。

続編へ続く

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運動会シンドローム

2005-09-17 23:57:00 | 受験・学校

ground さわやかな秋晴れの中、娘の小学校の運動会へ行ってきた。さわやかとはいえ日差しは強く、暑いぐらいの陽気だった。

毎度のこととはいえ運動会が終わった後はグッタリしてしまう。年のせいか体に段々こたえるようになってきた。7つ上の長男の運動会から解放されて1年あいていたから余計そう感じたのかもしれない。

前日まで普段通り働き、家内と二人で分担して早朝から弁当作りに場所取り合戦、遠い駐車場から重装備しょって学校まで歩き、ほぼ8時間弱、学校の校庭の隅で直射日光にさらされ、騒音と人ごみの中で過ごす。1クラス35人、5クラスで175人、6学年で1050人、その父兄、親戚が平均して児童数の2.2倍と仮定すると、見物客がざっと2200人、その他来賓及び招待客含めるとピーク時は約3300人がひしめくわけだからその人波にもまれれば疲れるのも無理はない。

7回目の運動会ともなると、各々のプログラムはそう変わりばえしないので、目もくれない。進行状況を見計らって、自分の娘の出番だけ、むっくり起き上がって早朝、確保した陣地を出ていく。それ以外の時はもう半分以上はビール飲んで寝てるだけだ。ビデオはかみさんに任して自分はカメラを持って、ベスト位置を探して人の隙間からカメラを構える。この一瞬の為に今日があるみたいな、そして2度とない娘の成長過程の1コマを大切に切り取っておきたいその思いで無我夢中でシャッターを切る。300mmの望遠レンズの先には愛娘の家で見せたことのない別な姿がある。楽しそうに踊る笑顔や真剣なまなざしで走るその姿、汗まみれになりながらも、疲れが吹っ飛ぶ一番救われる思いがする場面でもある。

そうやって、1日が終わり、貴重な私の1日も費やされていく。思い出づくりは無事出来たように思うが、また来年と考えるとゾッとしてしまう。どんなに親ばかで娘がかわいいと思っていても、あと5回もあるのは実に気が重い。長男の時から数えるとトータル12回こなさなければならない。年1回とはいえ、結構、重労働だ。来年から前日から休みをとって3連休体制とろうかなーと真剣に考えてしまった。

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脳内麻薬に中毒?

2005-09-16 20:18:29 | ランニング

明らかに私はこの所、ニコチンではなく、脳内麻薬に犯され、中毒になりつつある。これは自分自身で生成するので勿論、合法なのであるが、やめられないという点では立派な中毒患者である。

多量の汗をかき、呼吸困難になり、心拍数も上がり、時には筋肉の痙攣 さえ起きてしまう。恐ろしい、中毒症状だ。自分で自分を観察したことがないので、分からないが恐らくその最中は苦痛に顔を歪めながらも、ある種の恍惚感さえ浮かべていると思われる。

これは、いわずと知れたランニング中毒で、結構全国規模で広がっていmachine るらしい。私も以前は全く縁がなく、フィットネスクラブでたまに走るが、それもたかだか3km程度を月1ぐらいなので一切の中毒症状はなかった。ケージの中のマウスじゃあるまいし、ランニングマシンでグルグル走って何が楽しいのか、全く理解できなかった。よそから冷静に見てると、滑稽すらある。うまいものを食い過ぎて、太り過ぎて、痩せる為に機械で運動するなんて、まるで見えない誰かに管理・飼育されてるみたいで、現代文明の大いなる皮肉だと思えてしょうがなかった。

それでも、痩せる努力もせず、本能のままに生きているよりはましだろうなんて、考え始めたのが多分きっかけだったように思う。それがここへ来て、5kmを走るようになって、少しずつ変わり始め、今や7kmにまで達し、週3回走りたくてウズウズしてしまう。よーし、今日もやっどー!ていう風に仕事の終わった後に叫んでいるぐらいだ。

何がこうまでさせるのか?当事者の私ですら分からない。いや、中毒だから分かるはずもないが、思いつくのは、走った後の達成感と気持ちよく汗をかけることだろう。普段の生活では中々いい汗はかけない、嫌な汗はしょっちゅうかいてるけどね・・・。いい汗はスポーツ全般につきものだが、自分の好きな時間に好きなペースで好きなだけ出来るのは他に中々ない。ランニングマシンだと、さらに時速は勿論、距離や経過時間、はたまた消費カロリーまで数字で把握できるので申し分ない。そして天候にも左右されない。やりたい気持ちを阻害する要素は一切ないのである。誠に便利この上ない。

しかし、もしかすると、この中毒の真の正体は自分自身を苛めて喜ぶもう一人の自分がいるせいなのかも知れない。これは苛める事で喜ぶのか苛められて喜ぶのか、恐らくその両方なのだろう。私の中に棲むマゾとサゾが・・・、話が別な所へいきそうなので本日はここらでやめときます。(笑)

最後に、冒頭の脳内麻薬に関する引用はt-baby氏のブログ”やせるドットコム”より拝借した事を付け加えさせていただきます。13年の実績を誇る氏のジムトレに興味のある方は是非、どうぞ!

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TVドラマ打ち切りの謎

2005-09-15 08:34:36 | テレビ番組

trucalngSOMEBODY,HELP ME~♪ SOMEBODY,HELP ME~♪このテーマ曲 が耳について離れない。そのドラマとはトゥルーコーリングのことだ。

久々にハマッテいたこの海外ドラマが先日、最終回を迎え、終了してしまった。スッキリしない終わり方に疑問を抱いていたら案の定、米国での視聴率不振が原因で唐突な打ち切りだったようだ。しかし、日本では結構面白く見ていた人が多かったように思う。我が家でも文字通り、老?若男女、家族全員で楽しんでいた。

死者から助けを求められると、突然その日の朝まで戻って1日をやり直すことが出来、その死者を死なずにすむように新たな1日を懸命に生きる不思議な能力を持った女性を描くドラマで、大変面白かった。毎回登場する助けを求める死者の背景に様々なケースがあり、その謎を解き明かす探偵物語でもあり、色々な人生を背負ってる人々を描くドラマでもあった。何故死ななければならなかったのか?必然か故意かそれとも事故か?無事に死者を助けられるのだろうか?

助けを求められるパターンも様々で、同時に何人からもだったり、何回もあるがその度、違う人からだったり、一様ではない。しかも、ストーリー全体を流れる自分の母親の死の謎、父親の正体、同じ能力を持つ者が現れるが正反対の立場をとる男の正体、等々。見せ場に事欠かない。

新聞の批評も絶賛していたが、この米国の打ち切りの事には全く触れていない。ブログでも同様の意見が見受けられる。打ち切りの話が無ければ、次のシーズンを予感させる最終回の終わり方に不満は無い。人気シリーズの海外ドラマ”ER”のように・・・

自分の中で謎が深まっていく、スッキリしないこのカンジ、それこそSOMEBODY,HELP ME~♪ SOMEBODY,HELP ME~♪である。

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