こだわりの生活

ヒゲオヤジの何でもやってみよう、見てみよう挑戦日記

友、遠方より来る

2007-05-07 10:41:29 | 日常生活

久しぶりに旧友と再会した。

社会人になったばかりの時に同期入社した男だ。

考えてみると4半世紀前に知り合ったことになる。

よく途絶えずに付き合いがあったものである。

過去の友達はどんなに親しかったとしても年賀状のやりとり程度の付き合いしかなく、”今年こそ会おうよ”となんて書いてみても実際に会うことは滅多にない。

いつか連絡をと思ってもそのままになってしまうし、仮に連絡したとしても昔話を電話やメールで語るだけで、具体的な日取りを決めようとしてそのままになってしまうのがオチだ。

それぞれの仕事や生活に追われる日々で、懐かしさだけでは、そうそう時間も割いてられないというのが本音なのだろう。

日々の仕事上のお付き合いでモロに利害が絡む人とのお付き合いは絶対に外せないとしてもそれ以外はどうしても優先順位が下がってしまうのが現状だ。

それなのに冒頭の旧友とは5~6年に1度は会っている。

彼は大阪在住、しかも出張で家を空けていることが多いなかで、現在まで付き合いが続く私の中でとても珍しい存在になっている。

私が直ぐに転職してしまったので、彼との付き合いはたった2年程度しかなく、会社の寮で寝起きや通勤を共にしたとはいえ、一緒に遊んでいた長さと付き合いの長さは全く関係ないようである。

俗にいう”馬が合う”間柄ゆえに付き合いが続くとしか、考えられない。

仕事上の繋がりも、利害も一切無く、趣味も一部かぶっている部分もあれど同じではないし、懐かしさだけで会うとすれば間が持たなくなってしまうのが普通だからだ。

一緒にいて他愛のない会話をしていても、視点が同じ為に会話に幅が出るし面白い。

影響を受ける事もあれば逆もある。

人生の伴侶は通常配偶者を指すが、一緒にいて疲れない、癒されるという意味で真の友達も広義の意味で人生の連れと考えていいのかなと思う。

配偶者の場合は、同じ価値観や趣味があればさらにいいのかもしれない。

こういう友達を何人持てるかで人の本当の幸せが左右される気がしてならない。

馬車馬のように働いて定年を迎えて、その時に心の支えになってくれる人を探しても遅いだろう。

社会との接点を失った時の人の虚無感は大きく心に大きい穴を開けてしまう。

仕事の大切さはいうまでもないが、それだけが人生ではない。

人生の折り返しをとっくに過ぎ、ゴールが見え始めた昨今とても気になりだした。

もう少し周りを見回す余裕を持ってゴールまで走っていこう、そう思っている次第である。

久しぶりに旧友と会って、しみじみとそう感じたのだった。