お茶の子ワールド

日常と、背中合わせの非日常
どちらも私の世界
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命を預かる

2006-03-03 01:47:20 | Weblog
3月
山女漁の解禁とともにUR氏は雪模様もものともせず
椎葉村を目指してお出掛けです
昨年の今頃すでに、我が家の愛する老犬は小の排泄に介助が必要でした
一昨年秋、小屋の床板を簡単着脱2枚構造にして3枚つくり
毎日交換洗浄することにより、毎日の尿漏れに対応していました
今、すでに床も、床ずれ防止に厚く敷いた毛布も尿漏れに困ることもありません
もう自然には出ないのですから
 横になった身体を持ち上げるのは棒を持ち上げるようです
少し前まで近所迷惑を心配するほど頻繁に鳴いていたのに
 今はときどき数回鳴いて呼ぶだけ
  就寝時にも身体を耳にして、その声を聞いています
 30年前に娘が生まれたとき、ホンの小さな声を発しただけでもぱっと反応して起きたことを思い出します
 男には出来ない芸当ですね、きっと
 だから寝る時間が問題なのです
鳴かないと、寝る前に起こして排尿をさせるかどうかを悩み、待っているうちに
就寝時間が遅くなり、結局早朝に起こされることも、、、
 そんなことしながら1年が経ったことになります
  腰の傷を診てもらいに行って、床ずれと診断され
獣医さんに「まだまだ長生きしますよ」
と太鼓判を押されて、まだまだ続くんだと複雑な思いになりました
 数日後、獣医さんの言うとおり反対側の腰からも黒い血が大量に出血
腰の両方に出来た傷の手当てに息子の肩を脱臼したときの大量の三角巾が
役に立ち、毎日洗濯しながら交換に時間を費やしました
 とにかく動くのです
その手当てはなんとも不毛な行動のような気がしていましたが、
何日かすると快方に向かっている様子です
 台所に連れ込んで格闘していましたが、「獣臭い」と男たちの心無い言葉
臭いのはわかるけど、そのときだけなのだから
 私のきもちが ぐちゃぐちゃになるようなことは言わないでほしい
  男たちは止めろとはいわないけれど、
決して役立つわけじゃない
  出来るだけ目に付かない時間帯に処置してしまいたいところだけれど
 時間ばかり掛かって、、ほんとうにくたくたになる
  老いにつきあうということはこういうことかと
愚痴れば、「犬はぺっとであって人間じゃないんだから、どこまでも関わればいいというものではない」
 そういうごもっともなシビアな話も聞かせていただく
  できなければそういう対応もあると頭ではわかっている
でも、ある日、なぜ手伝ってくれないのと、切れた
 切れても自分が惨めになるだけ

 もう一日
もう一日と出来ることをしていこう
  結局私は、一番弱いものに寄り添っていきたい
   弱いものを私の手で切り捨てたくはない
   今、私がその命をあずかっている
  命を預かるというのは、ほんとに簡単なことではない
   老いに波長があってくるんだろうか
   自分でも何か(たぶん私の脳細胞)が壊れていく感じがある
   夕方自分でちゃんとスープたっぷりの食事をした老犬は
    あしたもワンと言ってくれるだろうか
 
  
 
   

 

 
 
 
コメント (6)
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