ピアニスラー

ゴールド・フィンガー、ハイパー・ピアニスト矢沢朋子のブログ

フィリップ・グラス

2005年05月28日 | 文化・芸術
の最終日のシネマ・コンサート「魔人ドラキュラ」行ってまいりましたー♪

今日のコンサートは映画をそのまま使ってるので、字幕もあるけど声がありました。この1931年に作られた映画はBGMが全然ないという作品。俳優たちの表情、台詞のテンポ、間合いなどの演技だけで登場人物の気分とかその場のムードなんかを表現してるの。もともと「音楽は付けない」という強い意志のもとに作られた映画に、全編音楽を付けるというのはどういうことになるのか?という興味があるよね。昨日の「美女と野獣」は素晴らしい出来だったし。

終わって、一緒に行った友達が、その友達と会ったので、終演後はみんなでドゥ・マゴで食事。ここは渋谷なのに、そんなに高くなくて、しかも美味しいんだよね。別に「安い」ってわけじゃないけど、全然文句ない味と量。ワインも1番安いのでも不味くないし。まあ1番安いのが不味いと高いのもダメってことが多いんだけどね。

そこでドラキュラの話題で盛り上がったわけだ。その場にいた私たち4人全員、「やはりあの映画には音楽は要らないと思う」という感想だったけど、「どうしてそう思ったか」ということでまた盛り上がって。これがコンサートに行く1つの楽しみでもあるの。もうレクリエーションみたいなもんね。素晴らしいコンサートで圧倒されてばっかりだと、必ず「ちょっとヤバいんじゃない?コレ」みたいなコンサートにも行きたくなって。そんなのは1人で行ってもつまらないわけだ。一緒にあーだこーだと言いそうな連れがいないと。

あ、「ヒドいコンサート」とか「つまらないコンサート」っていうんじゃないのよ。なんか実験的な感じで「成功するのかしら?」みたいなもの。例えて言うならミュージカル・デビューするアイドルを観に行くようなもんだろうか。「今までの自分を脱皮する」みたいなノリ。成功して栄光を掴むのか、「やっぱアイドルには難しいかー」と言われるのか。

興味があるとですよ。

自分がそうだから。「ちょっと無謀かなーヤバいかなー」みたいな仕事って、燃えるの

もともと「魔人ドラキュラ」は、俳優の表情、声のトーン、台詞の間合いなど、完全に「演技」だけで映画を作るという趣旨だったわけだから、やはり音楽が「不気味な感じ」とかを醸し出そうとしても、台詞の間合いなんかが完璧に計算されていて、入り込む余地がない、ということか。

でもグラスだってそんなの百も承知のはず。賭けに出たねそういう所が好き。

グラスの作ったサウンドトラック自体は評判いいし。映像がなければ素晴らしいわけだ。気合い入ってただろうしね。
映画はもう「風と共に去りぬ」のように有名なんだし。「風・・」よりずっと古いから白黒だけど、このドラキュラ役の俳優はブロードウェイでドラキュラを500回以上演じて、映画化されて、亡くなった時はドラキュラのマントを着用して埋葬されたというんだから。「ドラキュラ」って役だけでずーっと後世までこうやってみんなが見てるのよね。

そう思うと、最近映画に出まくってるニコール・キッドマンとかって、何の作品が70年後とかにも観られてるんだろう・・
とか考えてしまうわー

Comments (3)
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