孫が帰ってしまうから。サミシイのぉ・・・・マジに
孫と一緒に遊び過ぎた。
まぁまぁ、こんなんでいいのかね?とも思うが、尊敬する良寛和尚はもっと徹底していたから、ボキごときモンでは、まだまだ遊び足りない。わらしべたちとの遊びである。
純朴とか、なんとかというレベルではない。良寛和尚の場合は。童子幼児たちとの出会い、ふれあいそのものが人間界を生きて居る良寛さんと彼の心境が、天地一体となった悟りの境地であったのだろう。そう推測するしかないくらいのレベルの高さである。
だから、ボキもそういうのを目指しているんだが、笑われっちまうですな。良寛和尚に。
まだまだそんなことを語る資格はない!ってねぇ~。
知ったかぶりばっかりやっているし、知っていると思っていることも勘違いが多いし。
アホ丸出しである。
このことだけは、謙虚に受け止めているのだ。マジに。
アホは、アホらしく生きるしかないからだ。むろんアホの解消のために努力はする。ボキなりに。
テオクレ感もあるけどね。
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でも、アレですな。
生涯学習ごっこをやっているとなかなか諦めないという習性もくっついてくるようである。しつこい性格になるっていうか、粘り強くやるようになるっていうか、そういう傾向は確かにある。
そうなのである。
これまで生きてきてまだまだやり足りない部分というものが、よく分かってくるからである。
アレも知らない、コレモ知らない、この古典はまだ読んでいなかったということに気がついてしまうからである。
昨日は、孫たちへのプレゼントというわけで、古女房ドノが婿殿の車で買い物に行った。孫とその母親も一緒である。ボキだけが、留守番であった。午後から。
だから、午後は、古典を読んでいた。
小学館から出ている日本古典文学全集本の「宇治拾遺」と「万葉集」である。このシリーズは上段に脚注、中段に原文、下段に訳が書いてある。だから、入門書的な扱いをボキたち国文学徒はしていた。していたから、なんということはない。つまり、プロッキーを持って、いきなり書き込みを始めたのである。ちなみに、色はグリーン。
プロッキーは、水性ペンである。したがって、裏うつりしない。だから、暗記したりするのにけっこう使ってきた。
これを右手に持って、縦横無尽に「宇治拾遺」と「万葉集」に書き込みを始めたのである。
こうすることによって、征服の喜びみたいなものがわき起こってくる。
自分の本だからできるのである。
しかも、Amazonで古書で買ったから、惜しげもなく本に書き込みができる。
こういう時が非常にボキは幸せなんである。
バカの極みである。
こんなことをやりながら、だんだんと年をとっていくだろう。そして、孫たちとオサラバしていくのである。
死んで。
ハイ、サヨウナラと言って。
それまでのつまらない人生である。
孫が帰ってしまうので、なんだかサミシクなったからこんなことを書いているんだろうけど。
(>_<)ゞ