と~ま君の団塊世代一言日記 

定年後を、いつまでも少年のような気持ちで過ごしています。九十九里浜で、年金+5つのバイトで気ままな暮らしを継続中。

結婚に向かない人間は

2015年03月12日 09時26分54秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

「お返し文化」というか、「合理的な文化」をマスターしているヒト

 

 

「お返し文化」というのが、日本にはある。

いただいたものは、必ず等価交換的にお返しをするのである。これは特徴的な日本文化である。このことについては、なかなか理解できなかったことである。若い時にである。もらいっぱなしということはなかったが、そもそも「もらう」ということ自体が無かったから、そういうことに考えが及ばなかった。

しかし、最近考えることがあって、「お返し文化」というのは実に「合理的な文化」ではないのかということに気がついた。

これを結婚ということに当てはめると実によく分かる。

つまり、夫婦というものは、合理的な精神とか、システムからは大きく逸脱しているということに気がついたのだ。

「お返し文化」というか、「合理的な文化」をマスターしているヒトは結婚に向かない。

なぜなら、結婚して、これだけやってあげたのに、相手の配偶者から「お返しがない」と言って、いちいちハラを立てていたなら、結婚そのものが成立しない。成立しないどころか、結婚までいかないだろう。

愛とか恋というものは等価交換なのであろうか。

だったら、いちいち等価交換が成立しているかどうかということについて、確認作業をしていかなくてはならない。

そもそも、愛だって恋だって永遠では無い。どっかの宗教では結婚式でそういう誓いをさせるが、その宗教だって、誓ってはならないと聖典に書いてある。なんだかだまされたような気がするのである。

だから、一方的な受容的態度で生きているヒトが結婚で成功するのかもしれない。つまり、相手が貢いでくれるのを一方的に待っている方である。女性に多い。貢ぎを待っているワケである。女性は一般的に、自分の財布を軽くすることに嫌悪感を持っている。二人で喰った飯だって、絶対に自分では払わない。相手のオトコが払うのを当然としている。もし、割り勘でやったら、怒る。(たぶん)

それで成功しなかったら、オトコなんて惨めなものである。

ま、こういうことを書いていると、騎士道を真似たオトコどもに怒られるが、それでも私はめげない。

つまり、どっかに計算というか打算があるということが、等価交換というシステムには隠されていると思うからである。

結婚が、等価交換で成り立っているのではないということは、これの逆である。計算とか打算で結婚したら、破綻する。夫婦関係は、計算とか打算では絶対にうまくいかない。

旦那にどれだけの収入があるかということ、あるいは、家庭の主婦でも収入のある方は計算をすることであろう。

しかし、それがすべてではないはずである。

愛だの恋だのというのは永遠ではないとしても、経済がからむことを否定してはならない。家庭を維持するのには経済が重要である。それくらい私でもわかる。家庭を維持したいのに、旦那が日々博打で家を顧みないのでは、これもまた破綻する。

しかし、それでも破綻しない家庭も存在する。

こういう家庭は、等価交換ではないのである。

愛があるから?

恋があるから?

そうではない。逆である。計算や打算がないからである。合理的な精神を持っているヒトは、そこらへんのことについて、相手を許すことができない。徹底しているのである。人間関係において。

だから、あまりにも徹底している方というのは、ご自分の生き方をちょっとチェックされた方がよろしい。

等価交換主義だと、相手が自分の思惑どおりに行動してくれないとハラが立つからである。自分の考えていることを相手にも求めるからである。そして、相手が自分の考えているとおりにしないと、幻滅する。

それが離婚まで結びつくというのでは、ちょっといかがなものか。

自分は、これだけあなたにカネを使った、サービスを提供した、食事も作った、洗濯もした、布団も敷いた、夜のお相手もした、掃除もした・・・・というライフスタイルで、この等価交換を相手に求めたらどうなるのか。やはり破綻するしかない。結婚ばかりではない。仕事でも破綻するだろう。仕事人としてもこういう考え方では、失敗の連続である。

学歴信奉者もそうである。

これだけ立派な大学を出ているのだから、出世して当然であると思っている人間は、成功しない。出世もできない。等価交換主義だからである。立派な大学を出ているのだから、お返しが欲しいというわけである。そこまでなるのに、どれだけの出費があったかと思うと焦るわけだ。

リターンを求めるわけである。

すべてのことにおいてである。

愛や恋に対してもである。

なぜなら、人間は、対価以上のことをしながら生きているからである。思わず、相手にそうしたくなるのが人間である。それが社会性というものであろうからである。

リターンも求めない。サービスは、オーバーサービスでいいのである。それくらいの方が、円滑な人間関係を構築できると思う。だから等価交換ではないのである。

夫婦が生き延びることができるのは、上記のような考え方でないと無理である。それが、「カネ、時間、忍耐、気遣い、労力」等々のリターンを求めたり、等価交換を主張し始めると、夫婦はモタナイ。破綻するしかない。

そういうのが嫌いだというなら、最初から結婚なんかしないほうがいい。そもそもそれだけの人間的な力が存在しないということであるからだ。

一人で生きていけるというのなら、拙ブログのこんなつまらない記事なんか見ないだろうから。

 

わははっははっはははは。

 

 

(^_^)ノ””””

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2 コメント

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コメント失礼します (age25)
2016-03-06 00:44:54
20代独身会社員(女)です。
等価交換求めて、常に金勘定。
まさに自分のことでした。
完全に痛いとこつかれました^^;
自分の人間力の欠如に嫌気がさす今日この頃です。
コメントありがとうございます (と~ま君)
2016-03-06 07:19:24
この記事は、おじいさんとしての、本音を書いてみたものです。結婚観とか、生きがい論とか、そういうのをいつも考えていたものですから(^0^)。
こういう考えもありと思っていただけるだけで幸甚であります。
そもそも人それぞれでしょうから。
また拙ブログにいらしてくださいませ。あまりおもしろくないでしょうけれども。ジジイの戯れ言ですから。所詮。

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