と~ま君の団塊世代独り言日記 

定年後を、いつまでも少年のような気持ちで過ごしています。九十九里浜で、年金+5つのバイトで気ままな暮らしを継続中。

紀州弁・江戸弁・九十九里弁・・・弁当のことではない(^_^)

2018年01月21日 08時27分35秒 | 独り言2018

紀州弁に敬語がない?そりゃぁ江戸弁だって、九十九里弁だって同じだよ~~~~ん。

 

 

週刊朝日Mookという雑誌がある。昨日、歩いていったショッピングセンター内にある書店で買った。ご隠居さんにしては珍しく新本で買えた。というよりどうしても買いたかったからである。

「司馬遼太郎と宗教」というタイトルになっていた。司馬遼太郎は大好きだからである。最初立ち読みしていたのだが、とうとう買っちまった。好きだなぁ。好きだから買うのであるが(^_^)。

司馬遼太郎はご存じのとおり、産経新聞の京都支局時代に宗教関係の勉強をしたのである。京都の寺院や仏教そのものを。

ま、その週刊朝日Mookは、法然と親鸞などと司馬遼太郎の関係を書いた部分もあって、こりゃ今買っておかないと後悔すると思ったからである。

しかし、出版元の記者というか編集者が書いていたコラムの方が面白かった。それは紀州には敬語がないという内容であった。

浅井聡さんの書いた「紀州弁に敬語がないわけ 強い平等心と独立心」という文章である。

司馬遼太郎は、土佐や紀州を含む「南海道」共通の気質を「土俗として平等意識がつよく、そのため過剰な敬語が発達しなかった(紀州方言にいたっては敬語がない)」(この国のかたち1)と書いているという。

こりゃぁびっくりした。

さらに思い至ったのが、関東弁にもないということである。方言としての江戸弁もあまり敬語が感じられない。方言としての九十九里弁もそうだ。中国語がまるで喧嘩しているような大声でしゃべっていると言われるが、こっちだって人のこたぁ言えねぇのじゃよ(^_^)。江戸弁も九十九里弁も、どなっているような御仁が多いからである。

しかし、関西弁はとりわけ京都弁は過剰なまでの敬語表現に満ち満ちている。天皇陛下に使う最高敬語にいたっては、受験生を悩ませるトップランクの古典文法である。「せたもう敬語」のことである。

なるほどなるほど。

江戸弁もかなり乱暴である。特に、ボキのような庶民階級にいたっては、喧嘩しているようなクチのきき方になる。

常体と敬体の差が激しすぎる。

落語を聞いていてもそれは感じる。

もっとも落語は、敬語でやられたら面白くもなんともない。江戸の庶民がやるから楽しいのである。

ボキのような気が優しくて弱いジジイにはちょっと耐えられない部分もあるんだけど。

そりゃ冗談ではあるが。

 

ともかく、方言は楽しい。江戸弁も九十九里弁もである。

江戸の人間も九十九里の人間も自分が方言を話しているとはまったく感じていないというのが、滑稽だと言えば言えるのであるが。

 

わはっはははっはははっははははっは。

 

ヾ(@⌒―⌒@)ノ

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