夢発電所

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結婚疲労?宴の祝辞

2011-05-04 06:44:15 | 私と福祉とであいの旅
 祝辞台本も5回も書き直し、さらには練習もするのだが・・・。本番に弱い男の異名は健在である。これは一体どうしたことだろう。喉や口がカラカラで、本番前にビールをがぶ飲み・・・。その勢いでいこうと思いつつも、結局読んでいるうちに、口が乾き投げ出したくなってしまう。というわけで散々な祝辞となった。職場のみんなに笑われている。ま、これくらいがちょうどいいのかも知れない。完璧にやってまたこんな話が来ないようにしたいのが本音。とおもいきや、もう一人の職員が酌をしにやってきて、「あの、私の結婚式が日取りが決まりました。10月ですが、予定に入れてください」という。勘弁して欲しいというのが正直な気持ち。

 もしもう一度やり直せるのなら、遠藤周作の「結婚」講談社刊に、このように書いている。共感しきりだ。 

 「実直で几帳面、世間からも理想的と言われる夫を持つものの、どこか物足りなさを感じる妻の話。
「夫」や「父」としてだけでなく、たまには「男」に戻りたいと思う夫の話。
うだつの上がらない作家志望の夫を見捨てられない妻の話。
浮気してしまいそうになるが、息子に持って帰るオルゴールの音で我に返る夫の話。
金を貯めて部屋を建て増すなど、生活の目標を立てて二人の結びつきを維持しようとする妻の話。
そんな妻に息苦しさを感じ、生活に「むだ」を求めようとする夫の話。
…などなど。

そこでは「バラ色の結婚生活」というのは全く描かれず、様々な夫婦の、様々な悩みが羅列されている。結婚は決して楽しいことばかりじゃなく、苦しいこと、地味なことが多い。しかし、それを乗り越えて一緒に結婚生活を続けること。そこに結婚の素晴らしさがある、と遠藤は説いているように思える。


<「嘘も方便」?>
遠藤周作は、結婚式のスピーチでしゃべる有村という人物のせりふを借りてこう主張する。

「私は今日のお二人に、こう申しあげたい。どんなに仲の良い夫婦にもある日、ほんの一寸した間ちがいや危険は起るものだと思います。私たちだけは大丈夫とお思いになる自信は結構ですが、その自信があまりに強すぎると相手が一寸した間ちがいを起した時、ゆるせなくなります。大切なことは相手も弱い人間であることをいつも考えて、その人間的な面でゆるし合う点が夫婦生活のテクニックだと思います。……ある程度の妥協でも使えるものは何でも使って夫婦の結合を守ることです。夫婦が一生、結ばれていくことに比べれば、それらの妥協もウソも不純ではないと思います。

 私は自分の娘が重い障害を持って生きている、そういう意味ではこれからも結婚をするなどと考えられない。今職場のスタッフが幸せな結婚式をあげているのを見るに付け、娘たちのことをどうしても考えてしまう。私の娘と同じか、もう少し下の年代が結婚をするのだ。お父さんやお母さんはどんな心境なのだろう。父親は娘の結婚にどのように感じているのだろう。様々な子育ての苦労をしてせっかくここまで成長した娘が、ある日突然どこの馬の骨かわからない若造に拉致されるのだ。幸せにしなかったら覚悟しろ!とでもいいたくなるのではないだろうか。
 披露宴の最後に職員である新婦が、両親へのメッセージを読んだ。父親への反抗したことの後悔、そしてわがままを言って大学を出してもらい異郷の地へと移り住んだ親不孝を詫びて泣いた。新郎も泣いている。幸せになってほしいという会場の人々の思いは、皆同じだったのではと思った。

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