沖縄空手の達人である宇城先生は著書の中で自分の内面を観ることの重要性を
常々指摘されています。
自分の内面に注意を向けれるようになると、
筋力に頼った表面的な力ではなく、内面から来る本質的な力が出ると。
これは我々もすごくレベルの低い次元ではあるとは言え、
リラックスしていて心に不安がないときは、
信じられないような良いボールが打てたりする経験などから、なんとなくわかる気がしますよね。
ところが自分を観ることの効用はそれ以上のものがあるようです。
それは、相手のことが観えるようになるということ。
人間は基本的に自分の範疇を越えたものを考えれないものです。
逆に言えば、自分の範疇が広がれば、まわりのことが理解できるということです。
心の変化もそう、身体の動きもそう。
自分の変化を感じコントロールできるようになれば、
自然と相手のことを感じる力も高まっていくようです。
それではまたがんばっていきましょうね。
常々指摘されています。
自分の内面に注意を向けれるようになると、
筋力に頼った表面的な力ではなく、内面から来る本質的な力が出ると。
これは我々もすごくレベルの低い次元ではあるとは言え、
リラックスしていて心に不安がないときは、
信じられないような良いボールが打てたりする経験などから、なんとなくわかる気がしますよね。
ところが自分を観ることの効用はそれ以上のものがあるようです。
それは、相手のことが観えるようになるということ。
人間は基本的に自分の範疇を越えたものを考えれないものです。
逆に言えば、自分の範疇が広がれば、まわりのことが理解できるということです。
心の変化もそう、身体の動きもそう。
自分の変化を感じコントロールできるようになれば、
自然と相手のことを感じる力も高まっていくようです。
それではまたがんばっていきましょうね。
つきつめればテニスとはただ走って球を打つだけでその行為の中に試合か練習かの区別は実は存在しない。よって打ち方も心構えも変わる事はない(はず)。
あるのは自分も含めた周りの「意識による決め事」。まあそこから脱却できないから社会動物である人間ということなんでしょうが。
さて行なうは。。。
注意を払ってこなかったです。
練習と本番で発揮できる動作が異なること,
早いボールを打とうとすると
かえって遅い球になってしまうこと,
などなど,多くの不具合が根っこはひとつのものだったというように理解しています。
練習では技術を身につけることも大事ですが,
同時に気持ちが穏やかなままで取り組むことももっと大事なことなのでしょう。
練習中はその逆で試合のつもりでやったほうが良いと僕も思ってましたが、試合をリアルにイメージすると本当に固くなってしまうことがあります。人によっていろいろ違うでしょうけど、僕は練習も試合も関係なく、常に力を抜いてやるのが良いような気がします。
「ライバルは自分」とプロはよく言いますが、相手に勝つには自分の内面を広げておくという意味かもしれませんね。
今夢中の佐川幸義師範の言葉
「本当に稽古を積んでしまえば怖いものなどなくなってしまう。」も、これにあたるかな。
1.練習中に試合のつもりで。
2.試合中に練習のつもりで。
昔はこの2つのテーマを実行することが間違いないと思っていました。
しかし、最近は
1.練習中に練習のつもりで。
2.試合中に、練習中のように練習のつもりで。
この2つになりました。
言葉にするとたいしたことは無いのですが、僕の中では革命的な心境の変化でした。