先週末は軽井沢トーナメント(通称軽トー)に出場してきました。
草トーナメントですが、田園と並んで伝統のある大会で、
強い選手もたくさん来ていましたし、観客もたくさんいて、
とても楽しい雰囲気で試合をすることができました。
結果はベスト8とまぁまぁな感じでしたが・・・
今大会では、最近試している”抜き”と”崩し”を実践してみようと思ったのですが、
自己採点では30点ぐらいですかね。
全くできなかったわけではないのですが、
実戦ではどうしても身体が固まってしまうらしく、
なかなかうまく抜けませんでした。
緊張すると地に足が付かないと良くいいますが、
身体がなんか上方向に行ってしまいます。
抜きも崩しも、重力を利用した下への移動成分を力に変えるので、
これではうまくいきません。
身体が固くなるのは、やっぱり恐れてるからですね。
ミスしたくないし、負けたくない。
そんな気持ちが、僕の動きを固く躍動感のないものにしていきます。
身体操作のみならず、僕に足りないのは”覚悟”だなと痛感しました。
しょうもないプレーをしてでも勝利にしがみつこうとする自分の弱い心をコントロールしないと
いくらすばらしい身体ワークを教わっても意味がありませんよね。
ラッキーなことに今週末も試合があるので、
心の修行のつもりで覚悟を持ってプレーしてきたいと思います。
それでは
PS 週末には今の固い決心は忘れちゃってるんだろうな・・・
草トーナメントですが、田園と並んで伝統のある大会で、
強い選手もたくさん来ていましたし、観客もたくさんいて、
とても楽しい雰囲気で試合をすることができました。
結果はベスト8とまぁまぁな感じでしたが・・・
今大会では、最近試している”抜き”と”崩し”を実践してみようと思ったのですが、
自己採点では30点ぐらいですかね。
全くできなかったわけではないのですが、
実戦ではどうしても身体が固まってしまうらしく、
なかなかうまく抜けませんでした。
緊張すると地に足が付かないと良くいいますが、
身体がなんか上方向に行ってしまいます。
抜きも崩しも、重力を利用した下への移動成分を力に変えるので、
これではうまくいきません。
身体が固くなるのは、やっぱり恐れてるからですね。
ミスしたくないし、負けたくない。
そんな気持ちが、僕の動きを固く躍動感のないものにしていきます。
身体操作のみならず、僕に足りないのは”覚悟”だなと痛感しました。
しょうもないプレーをしてでも勝利にしがみつこうとする自分の弱い心をコントロールしないと
いくらすばらしい身体ワークを教わっても意味がありませんよね。
ラッキーなことに今週末も試合があるので、
心の修行のつもりで覚悟を持ってプレーしてきたいと思います。
それでは
PS 週末には今の固い決心は忘れちゃってるんだろうな・・・
僕も毎日やってますが、かなり効果があるらしく、イメージが沸き起こる感があります。そして呼吸が深くなり脈拍もゆっくりになり、緊張が和らぎます。やってみるといいですよ。
これらはきっと『願望』じゃあないのでしょうね…
イタイなぁ
この辺、相当根が深い。
僕のイメージから言わせてもらえば、「覚悟」は硬いイメージ。宇城憲治先生系なのでしょうけど。。
どちらかと言うと正観さんの
「されるがまま」
「相手がやることに身をゆだねる」
が調和融合には適切なのではないかと。
あとは身体が反応してくれるはず。
反応してくれないのであればそれまでのこと。
鍛錬が足りなかっただけの話。(タントウコウ3時間!)
なんて師匠に対して口はばったい。
ついでに言ってしまうと。。
僕たちが追及していることは勝ち負けや結果をチラッとでも考えてしまうと、とたんに姿を消してしまう法隆寺の文化ではないでしょうか?目差していることと結果を求めることは、明らかな論理矛盾とこの夏の試合で思い知りました。
相当な初心者に負けても追及するべき価値のあるものなのではないでしょうか。。
といいつつ、僕も覚悟が足りません。心の壁?
(た)さんのコメント意味深、もう少し詳しく聞きたい。
”た”さん、「願望」ってどういうことかちょっとわからないのでご説明頂けます?
その覚悟があれば負けるとかポイントを失うということに恐れを感じない→だから実践していくことができる。という連鎖がおきるのかな。
翻って自分の心を言葉にすると、抜きや崩しを実践するテニスを「したい」レベルに留まっているような気がします(だからこそポイントを落とすことに恐怖を感じる)。このレベルの思いならばそれは「覚悟」ではなく「願望」と呼ぶべきものじゃないのかな、と。
さらに「覚悟」といえるレベルまで心が到達していれば迷いはないし日々の鍛錬も鬼のようにやるんではないでしょうか? そう考えると中途半端にしかやっていない自分をみたら「イタイ」なぁ・・・と(汗)
意味不明かな??
また固い表現になってしまいますが、
願望レベルを超え、断固たる決意と覚悟を持ってやれば良いだけの話ですね。難しいようで実はシンプル。
もちろん実践したからといってうまくいくとは限りませんが、それは鍛錬が足りないということですよね。
鍛錬はどこまでいっても足りる事はないんじゃないでしょうか? 「これでよい」と思ったら終わりらしいし。
まったく関係ないけどこんなの見つけました。
http://fedelat.blog.tennis365.net/archives/article/821.html#
感動を与える動きができる運動選手はまだまだ少ないんでしょうね(これってもしかして非常に大事なことかも)。今気がついたのですがナダルは強いけど見ていて気持ちよくないですね。
同じくらいの達人なのに、なにが違うのでしょうね?
その点フェデラーはまるでそこにいないかのような透明感とやる気のなさ(勝ちに執着しない)が感じられて我々としては感動ものなのだと思います。