two-Wish スタッフのつぶやき

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媚と親切

2008-03-04 00:19:12 | Weblog
ある人から、

  「僕は人に媚びるのが嫌いなんです。そういう人を見るのも嫌です。」

と言われたことがあります。

このとき、ふと、人に媚びる事と、人に親切にする事の違いって何だろう?と考えました。


「媚びる」という態度とは、辞書を見ると、「人の気に入るように振舞う」態度のこと。

一方、「親切」な態度とは、「人によく尽くす」態度です。

両者の共通点は、媚からくるものであれ、親切から来るものであれ、その行動が

人のためになっていることです。

そして、「媚」と「親切」の相違点は、自分の為した行為に対して、見返りを求めるか、

求めないか、ではないかと思います。

従って、第三者的な立場らから、ある人が別の人に対して行っている行動を見ても、

それが「媚」の気持ちから行っているのか、「親切心」からのものであるのか、の

識別が難しい気がします。



時代劇やドラマなどを見ていると、明らかに「媚を売っているような態度」らしく

受け取れるシーンがあります。

笑い方や話し方、手の動かし方などがそういう印象を与えるのです。

でも、上述の考えに基づけば、「媚」か「親切」かは、結局のところ、当事者の心の

問題であり、当事者にしか、わからないものです。

だから、その人の振舞い方だけで、その人の気持ちを判断するのは危険なのではないかと思います。

実際には、すごく親切な心持の人であるが、媚を売っていると誤解される人もいるでしょう。

それは、媚びるという行為が不徳であるとみなされる価値基準をもつ社会であるならば、

とても不幸なことだと思います。



「媚」と「親切」の概念的な相違は明確ですが、「媚びる」という行為は不徳な

ものなのであろうか、という新たな疑問が頭に湧いてきました。

思うに、社会、あるいは個人の価値基準は絶対的なものではなく、相対的でしかありえません。

どこにも「真理:絶対的に正しい事」なんてものは存在しないし、絶対の正義なんてものもありません。

物事には必ず光と影、裏と表があって、ある一方が自分は光で他方は影だと思っていると、

その他方の人のほうでも、自分が光で相手が影だと思っているのだと思います

(これも当然絶対ではなく、違う意見の人もいる)。

そうすると、自分が生きるために「媚」を売るのは当然で、逆に、何の見返りも

求めず、ただ親切を押し付ける方が偽善的であるとの考えも当然成立するはずだと

思うのです。



媚を売る事と親切にする事の違いを明確に理解して、その上で、「自分の価値基準の上では、

媚を売るのが不徳で、親切にするのが美徳だから、媚は売らずに、だけど親切にはする」

と自分の行動規範を定める事には、何の問題もありません。

だけど、その自分の基準を他人まで押し付けて、「媚を売るのはやめろ」というのには、

疑問があります。

「そういう人がいるのも当然」と他人を認めてもいいのでは?

人は物事の多面性を容易に認められないように思います。

争いごとが起こるのは、人間のこのような性質によるものなのでしょうか?

この問題に対する答えはまだ分かりませんが、機会があればじっくりと考えてみたいものです。



今日も読んでくれてありがとうございました。

Taji


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面接のコツ

2008-02-28 08:22:13 | Weblog
職を得るための面接で、どのような受け答えをすれば採用されるのか、悩むところです。

そういうときには、一度、採用する側に立って考えてみるのが良いのではないでしょうか?



その人を雇えば、その分、人件費が発生するわけで、ちゃんと働いて稼いでもらわないと

雇う側としては困ります。

そういうことが想像できない場合は、自分のお金を相手に渡すことを想像すれば

良いです。

ちゃんと仕事をしてくれない人に、自分のお金をあげるのって、嫌ですよね?

だから、ちゃんと仕事ができるかどうか、を雇うときにはチェックするはずです。

それで、面接担当者は何人も相手にしているわけですから、表面上のやる気、その場

を取り繕うための発言には敏感なはずです。

「御社に入社したら、たくさん頑張ります!」的なことは、全くアピーリングでは

ない、ということです。

得をするためには、人は平気でウソをつく、ということを知っているのです。



どうすれば、面接担当者に、こいつは将来仕事が出来るようになるかもしれないぞ、と

思わせることが出来るのか、という一つの方法は、これまでの自分の行動をちゃんと

話すことだと思います。

ちゃんと話す、というのは、単に思い出話をする、ということではなくて、こういう

事をしてきたから、入社して仕事に順応できそうでしょ?ということを印象付けられる

ように話すということです。

そういう話し方、相手が欲していることを推察して、それに沿う内容の話をする

ことができる、というのも、仕事の上では重要な技術ですので、一つの素養として

チェックされるのは、当然のことです。

志望動機などをちゃんと話せる、というのは、前提条件くらいで、それが出来て

当たり前、出来たからといって、それほど重要視されないのではないでしょうか。




面接に限らず、相手の立場になって考える、というのは、とっても重要なことだと

思います。



今日も読んでくれてありがとうございました。

Taji


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初めての一口 ―勇断と愚行―

2008-02-27 07:57:39 | Weblog
はじめて「ウニ」や「アンキモ」を食べた人は凄いなあ、と感心します。

はじめの一口、口に入れるまでに、

  「これを食べたら死ぬかもしれない」

とか

  「きっと美味しいに違いない」

とか、いろいろな心の葛藤があったことでしょう。



そんなことを前々から考えていたのですが、ある本でこんな言葉を見つけました。

  He was a very valiant man who first adventured on eating oysters.
                            Thomas Fuller

  思い切って最初にカキを食べてみた人は、実に勇敢な人物であった。
                            トマス・フラー

トマス・フラーは、17世紀イギリスの聖職者、歴史家、ユーモア作家だそうです。

やっぱり皆考えることは同じです。



頑張って初めて一口食べてみて、それが美味しいものであったなら、その人の行動

は勇断であったと賞賛されるのです。

しかし、たとえば毒キノコなんかを初めて食べた人はどうなんでしょう?

それは愚行なのでしょうか?

食べてみないと毒かどうかわからない時代の話です。

食べた人がいるから毒キノコだということが分かったのでしょう。

それが毒で食べてはいけないものだということを身をもって教えてくれたわけですから、

私は毒キノコを初めて食べた人もやっぱり賞賛されるべきなんだと思うのです。

でも、よく考えると、やっぱり愚行なのかなとも思います。

だって、食べる前に動物に食べさせてみたら、それが毒を持っているかどうか

判明すると思うので・・・動物愛護団体には起こられてしまう方法ですが。



失敗も役に立つのだから(例えば「失敗学のすすめ:畑村洋太郎・著」なんて本

もあります)失敗を恐れず何事にも取り組むようにしたいものです。

しかし、だからといって、何の準備もしないで失敗すべくして失敗するのは愚かだ

と思うのです。




今日も読んでくれてありがとうございました。

Taji


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木も見て、森も見る

2008-02-26 08:23:32 | Weblog
知りたいと思うこと、好奇心は人間の基本的欲求です。

そして、できるならば、物の本質を知りたいと願います。

しかし、それが結構難しいのです。

よほど優れた人でない限り、物の本質をずばり精確に言い当てる事はできません。



まず、頭で考えれば容易に想像できる事ですが、物の本質を見抜くためには、

物事を多角的に、そしてそれを鳥瞰できなくてはいけません。

簡単に言えば、森を見ることが必要なのです。

しかし、普通のは、物事を一面だけからしか、そしてそれに近づいて見る事しか

出来ません。

つまり木を見るのがやっとなのです。

そして、さらに悪い事には、その木が森であると勘違いし、もっと広い森がある

ことになかなか気付かないものです。



このように、その木が全てだと思っている自分に、もっと広い森があるんだよと、

自分自身で気付かせるには、どのようにしたらいいのでしょうか?

ある人は、そのための特効薬なんてものはない、と言います。

こうすればよい、という黄金律はないそうです。

結局、自分の見ているものは森じゃないんだと、自分に言い聞かせながら、

自分自身で少しずつ、手探りしながらでも森を探検し、そして地図を作ってゆく

しかないのです。



もっと広い森を見る事の出来る人に教えを請うことが1つのやり方でしょう。

本を読むのもその一環として捉える事が出来ます。

ただし、どんな本を読めばいいかは自分で考えなくてはいけません。

そのようにして絶えず、自分の世界を広げてゆくことが重要なのだと私は思っています。

そうしたら、いつかきっと、今より高い位置から世界を眺める事が出来るように

なって、物の本質を見れるようになる気がします。



今日も読んでくれてありがとうございました。

Taji


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アイデアの湧く瞬間

2008-02-25 13:12:51 | Weblog
何らかの考えやアイデアを作り出そうとしている場合、それが湧き出る瞬間と言うのは、

シャワーを浴びているときだったり歩いているときだったりします。

仕事場で考え込んでいても、あまりいい考えやアイデアが浮かんだ事はあまりなくて、

何か別のことをやっているときに、ちょっと考えてみる 

 ・・・ 

そうするとたまに素晴らしいものが湧き出てくるのです。

これはホントに不思議です。

他の人の書物を読んでも、そのようなことが書いてあるので、このようなことが

起こるのは私だけではないようです。



もちろん、日ごろからずっとその問題について考えている事が必要です。

日ごろ考えずにいて、いいアイデアが突如出るわけはありません。

ずっと頭の中で考えて、それが熟成されてくると、何か別の刺激が頭に与えられたときに、

これまでと違う電気信号のパターンが脳を駆け巡って新しい考えが創発するのです。

熟成に要する時間や何をやれば良い刺激となるかは個人差があるようです。



私の場合、結構長い間考えて、夢に出てくるぐらいまで考えないとダメです。

素晴らしい考え、アイデアが湧き上がったときの興奮、喜びは私の中では大きな価値を

もっているので、それくらい考えてもそれほど苦ではありません。

ただ、そうやって搾り出した考えも、全部が全部素晴らしいわけじゃなくて、

せいぜいそのうちの1~2割ぐらいが世に通用する程度なんですね、悲しいですけど。



今日も読んでくれてありがとうございました。

Taji


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