黎明の廃人日記

最近はやや更新が途切れがち、斜めに流し読み。
貴方にも私にも人生の役には立ちません。

くるくる

2007年07月21日 20時13分44秒 | Weblog
7月21日分。

 くるー、きっとくるー、きっとくるー……あ、間違えた。そろそろこの辺のネタも大分古くなってきてる気がしますが、まあしょうがないのかなー。『リング』『らせん』辺りは結構なブームになったような記憶があるのですが、あれが流行ったのっていつぐらいのことだったか。角川ホラーから文庫も出てはいるし、古本屋でもしょっちゅう見かけはするのですが、どーも買う気にならない。
 ホラー作品にも、作品ごとに向いている媒体というものはあるようで、文章で読むのが一番良さそうなものもあれば、映像で見るのが一番怖さが出て宜しいなと思うこともあります。『リング』『らせん』辺りは、まあ今にして映像で見るとちょっと微妙な感じもしますが、あれは映像で見るのが一番ホラーらしくて良いんじゃないかなと。逆に、私がごひいきにしている小林泰三作品などは、映像にしてしまうと中身がよー分からんということになりそうな気もします。貴志祐介作品だと、割と映像でも文章でも行けそうかなー。
 ちなみに。個人的には、たまには小林泰三の、ホラーではなくてまたSFが読みたいかなぁと思っていたり。ハヤカワ文庫JAから『海を見る人』という作品集が出ているのですが、ホラー要素のないSFとしての本はこれくらいしか持っていないのですね。ご本人の著作リストを今パッと見てみたのですが、ほとんどホラー系統かミステリ方面で、『海を見る人』のような本は珍しいようで。勿体ない。
 この一冊で、国内SF熱に再度熱が入ったようなきっかけの本なのにー。

 先週末も、ちょいと雨には降られましたが、自転車を出しておりましたが。今週は天気も悪くなさそうなので、やっぱり一時間ほど走ってきました。結果的には、走っていたのが一時間、帰りがけに立ち寄った古本屋で立ち読みしてたらそれだけで一時間半とかいう、本末転倒な時間配分になってましたが……。あ、読むのを途中で止めて放り出していた『トライガンマキシマム』が並んでいたので、ついつい三冊分ほど立ち読みを。ついでに、『雨柳堂夢咄』の二巻三巻の美品があったので、この二冊お買い上げ。
 しまった、また本の話に……。それはともかく、今日は少しは真面目に距離を稼いで走っておこうかと思ったのですが。どうもウォーキングラリーだかハイキングだかの大集団に突っ込んでしまって、結局走っている間中ずっと人の間を縫っているような感じ。人のいないところもあったので、その辺りを走っているときはペースが安定するのですが、人の波が来てしまうとペースを崩されてしまって困りもの。まあ、今回はタイミングが悪かったかなーと諦めるしかないのですが。基本的に、自転車は走らせて貰っている立場でもあるし。
 とは言え、ちょっと怖かったのは、ウォーキングをしている側の人達があまり前を見ないで歩いていたこと。あの公園は結構広いし、樹も多いのでそれを眺めていたのだと思いますが……。私も歩いているときは、そういうことするので何とも言えないのですけれど。それでも、できれば前から自転車が来てるときには、前を見てまっすぐ歩いてほしいなぁと思ってしまいます。正味、いきなり左右に動かれると、自転車では急に避けるという動作は難しいものがあります。かなり速度は落としているのですが、それでも無理。何度か、急に横に動かれて、ひやっとした場面がありましたし。しょうがないので、途中で切り上げて後はお休みしてました。
 継続して乗り始めたので、車体との一体感は少しずつ増している感じ。ただ、車体の感覚をつかめるようになってきただけに、この辺が物足りないかなーという部分も見えてくるわけで。悪い車体では無いんだけどねぇ。ただ、かなり綺麗に整地された道でないと、車体本来の走りがあまり出せないというデリケートさもありますし。昔に乗ってた車体が、あまり路面コンディションを選ばないタイプだったからなぁ。ちょっとそこが不満というか、違和感が。
 ついでな話ですが。帰りがけ、すれ違った車体がルイガノだったり、帰ってきた後に布団を干していてそのとき見えた車体が、またルイガノのロードだったりで。結構ルイガノ乗ってる人いるんだなーと思ってみたり。いつ買いに行こうかなぁ、キャスパープロ。

読み:コミックス『雨柳堂夢咄』2巻、3巻
買い:コミックス『雨柳堂夢咄』2巻、3巻
途中:なし
月次読破:16冊(文庫8冊、コミックス8冊)
月次購入:11冊(文庫3冊、コミックス8冊)
通年度購入:80冊(文庫42冊、コミックス38冊)
通年度読破:85冊(文庫47冊、コミックス38冊)

それでは。

ジャストインタイム

2007年07月20日 21時39分51秒 | Weblog
7月20日分。

 はい、一日というか寝たらさっさと鬱から大概回復してました、幽霊です。まあ、あんまり延々長引かれても本人しんどいので、さっさと治ってくれた方が楽なんですが、と。まー、何というか今回は至極あっさり治ったもんだとは思いつつ、しばらくは再発しないことを一応祈っておくことにします。面倒くさいから。だって何も出来なくなるんだもの。昨日は夜あまりに気力がからっけつだったので、会社から帰ってきてからほとんど寝てたし。何も出来ないのが困りもの。
 まあそんなこんなで、昨日一晩を犠牲にしてほぼ復旧確定したわけで、ついでに景気づけに漫画を三冊ばかり買い込んできたりして。今月は文庫に関してはあまり買わなくても大丈夫そうなので、その分資金がコミックスに回ってます。こういうときに買わないと、コミックスはどんどん忘れさられて買ってない巻が増えるので……。あ、そういえば『ハツカネズミの時間』を買ってないな。でもなぁ、あれはどうしたもんかなぁ……。『幻影博覧会』の方なら、特に迷わず買うところなのですが。ハツカネズミは放り出しても良いかもしれんなぁ。ああ、つい最近に、気が向いたので『黒鉄』を読み返してみたり。やっぱり鋼の迅鉄えーわぁ。以上、とある作家さんのファンの戯言でした。本当に、戯言だよ……。
 なお、私ゃクビシメの戯言君か、でなければその鏡写しの零崎が一番お好き。うん、大体調子が戻ってるな。

 新潟中越沖地震の影響で、一部の自動車部品メーカの工場がやられてしまったため、トヨタはじめ結構な数の自動車メーカの動きが止まってます。この辺りは、部品の在庫をほとんど持たないジャストインタイム方式だからこそ出てくる問題ではあるのですが。
 ジャストインタイム方式、もしくはカンバン方式は、トヨタ方式とも言われるくらいに、トヨタが採用してることで有名ですな。経営学関連でちょいっとかじっている人なら、一度は聞いているような話。もしくは、『日経ビジネス』愛読者とか、日経新聞愛読者でも目にすることが多いでしょうが。このジャストインタイム方式とゆーのは、「必要な物を、必要な時に、必要なだけ適切に生産」することを言います。ばーい、ウィキペディア。ネットは調べるのが楽でいいなぁ。
 ジャストインタイム方式のキモは、とにかくも途中の仕掛在庫を可能な限り持たないこと。仕掛かりというのは、まだ完成してない、未完成の物、もしくは完成品に組み込むための途中段階の部品というような意味合い。要するに、まだ人間じゃない……じゃなかった、まだ完成品じゃないもののこと。仕掛品の在庫を持っているということは、それだけ無駄な物を抱え込んでいるということで、つまりその分だけ余計なコストを払っていることになります。
 えー、マクドナルドのハンバーガーの作り方を例にすればいいのか。あれは、先にハンバーガーを作っておいて、レジの後ろのところにストックしてあります。あれは完成品ですが、在庫をずっと持っているのと同じことではあります。ああいうストックがあれば、注文があったときにはすぐ出せるのですが、あまり長い時間置いておくと傷むし味も落ちるので、廃棄することに。ここで廃棄ロスがでます。つまり、コストの無駄。単価が安いので、ああいう手が使えるのですな。もしくは、くそ忙しい時間帯にいちいち注文を受けてから作っていては、あまりに時間がかかりすぎる。一人に割く時間が長くては、今度は時間のロスによって、機会損失の問題が出てきます。一人あたま三十秒でさばけば、一人の応対に一分かけるよりも、理論上は倍の人数から注文を受けることが出来る。先に用意してあれば、ちゃっちゃと出してお会計を済ませて、お次のお客様どうぞーと出来るわけですな。
 マクドナルドにしても、無計画にハンバーガーを作り置きしてるわけではなくて、混み合いそうな時間帯には、あらかじめ多めにストックを用意する。人が少ない時間帯には、ストックの量を減らしておく。つまり、見込みで作っておくわけですね。ただ、この見込みも百パーセント的中するわけではないから、足りなくなってしまう場合もあるし、逆に余ってしまうこともある。足りなくなった場合、作り足すのにタイムロスが発生するから、機会損失が出る。一人のお客様をさばくのに、余計な時間を食ってしまう。かといって、余った場合、今度は廃棄ロスが増えてしまって、これまた余計なコストを払うハメになる。こんなわけだから、「必要な物を、必要な時に、必要なだけ適切に生産」という概念が生きてくるわけですな。無駄な在庫やら仕掛を持たず、かといって足りなくなるようなことも無いように。口で言うのは簡単ですが、これを実際にメーカーがやるのは大変だというのは、トヨタがどれだけ努力を続けているかってことです。
 ただ、このジャストインタイム方式とゆーのは、ものすごく負担の大きな方法でもあります。特に、部品を供給している方は恐ろしく大変。必要時に必要量を投入ということだから、急に必要になったら急に作って送らないといけない。何度も運び込む必要もある。かつ、よく言われることとして、トヨタ本体は確かに過剰在庫を持たないことになるけれど、トヨタに部品を供給している仲間の会社さんの方が、その分の在庫を肩代わりしている状態になるわけで、負担はそっちの方が大きい。そして、この方法は、トヨタ本体も、トヨタに供給している仲間の会社さんも含めて、全体がフル稼働しているときにのみ力を発揮する方法であって。つまり、どこかしらに何かしら欠損が生じた場合、一気に全体が止まることになります。今回の地震でトヨタはじめ何社もが動きを止めてしまっているのは、そのためもあるのですなー。
 こういうのは、中央線の毎朝の遅延とも似てます。毎朝のラッシュ時には、中央線は二分に一本くらいの頻度で電車が来ます。ただ、これだけ過密なダイヤだと、前の電車が少しでも詰まると、後続列車にもあっという間に波及して、どどどーっと後ろにずれ込んでしまう。うまく機能している時には良いのですが、何かしらのトラブルが発生したときには、こういった過密、もしくは切り詰めたシステムというのはとても弱い。まあ、だから建物も耐震強度には余裕を持って建てる、ということに……なってるはずなのですがねぇ。まあ、世界を相手に競争するには、これだけのタイトなコストカットの手法も必要になる……ということなのかどうか。そのための一つの方法ではある、ということか。但し、唯一の方法ではない、ということでもありますが。

 あ、今回は長いなぁ。まあ、昨日短めだったし、良いか。

読み:文庫『敵は海賊・正義の眼』、コミックス『シンシアザミッション』5巻、『ネギま』19巻、『ブラッドアローン』4巻
買い:文庫『鏡像の敵』、コミックス『シンシアザミッション』5巻、『ネギま』19巻、『ブラッドアローン』4巻
途中:なし
月次読破:14冊(文庫8冊、コミックス6冊)
月次購入:9冊(文庫3冊、コミックス6冊)
通年度購入:78冊(文庫42冊、コミックス36冊)
通年度読破:83冊(文庫47冊、コミックス36冊)

それでは。

そう、鬱

2007年07月19日 00時24分53秒 | Weblog
7月19日分。

 をー、ちょいとぶりに、またずっしりと腰を据えた鬱モードを会社で発症しておりました、幽霊です。ああいう状態になると、辛いとかそういう思考すら出てこなくなって、ただただ淡々と死のうかな面倒くさいなもう疲れたなどうでもいいよという感覚だけが来ますな。息をするのもめんどくせぇ、とはこのことか。とりあえず昼飯食って本読んでたら多少持ち直しましたが、まだ引きずっている感じ。
 多分私の場合は、躁鬱の気があるんだろうな、と。躁のときには、案外他人が相手でもにこやかーに振る舞っておるのですよ、これでも。会社では、まともに振る舞っているときには明るい性格と言われることがあるくらい。本当ですじょ? ただ、鬱が出てくると表情が自分でも死んでるだろうなーと思いますが。まあ、話し掛けられたときには表情が自動的に切り替わっているので、そうそう気取られることは無い模様。これもまあ、一種の処世術として身についた物なんだろうなぁ。裏表が壮絶に激しいとも言います。
 しかしまあ、こういう躁鬱の気も、単に脳みその中で化学物質の分泌バランスがたまたま崩れやすい体質というだけだという表現をされると、何だそんなもんなのかと問題が軽く見えるから不思議。いや、実際問題として大した問題ではないんだろうけれども。そりゃ、本人はしんどいですわよ? 私だって、しょっちゅう死のうかな中央線に飛び込んだら幾らかかることになるんだろうなとか、考えます。でも、他人から見たらそれは、大した問題には見えないということ。他人がどのくらいしんどいのか、というのは、見ても分からないのが難しい。
 私にしても、他の人がどのくらい辛いのかなんて正味分からない。職場の他の人間は、どうも鬱とかは無さそうで幸せそうでいいなーとは思うけれども。人間のメンタルとゆーのは割と身体に直結してしまうものだから、明日くらいには身体の方にも影響が出ているかなーとか。ああ、面倒くさい。

読み:なし
買い:なし
途中:文庫『敵は海賊・正義の眼』
月次読破:10冊(文庫7冊、コミックス3冊)
月次購入:5冊(文庫2冊、コミックス3冊)
通年度購入:74冊(文庫41冊、コミックス33冊)
通年度読破:79冊(文庫46冊、コミックス33冊)

それでは。

パーキンソンコラッソン

2007年07月18日 21時18分10秒 | Weblog
7月18日分。

 あー、なにやら普通は今頃の時期にボーナスの支給があるもんなんだなーと、かなり遅まきに気が付いた幽霊です。うちの会社、どうも明細を渡すのが異様に早いようで。今年は大手企業だと90万円台とか恐ろしい数字が発表されてますが、それってどんだけの大手やねんと。私? その半分にもいきませんわよぅ。まあ、社会人三年目だし、会社もまあ大企業なわけでもないし。そんなもんかなーと思いつつ。
 しかしまー、90万かー。夢のある数字じゃありませんか。諸々税金だのでさっ引かれるんだろうけれども、まあそれは考えないことにして。色々買えそうじゃありませんか。汚れてきたワイシャツを買い換えるとか、穴の空いたパンツを買い換えるとか、スーツをクリーニングに出すとかさ。……あれ、それ、別にボーナスが出なくても良いようなレベルの買い物じゃね?
 結局、私の価値観というのはそーゆーもんだってことですな。

 本を読んでいたら、「パーキンソンの法則」とゆーやつに行き当たった。パーキンソン病とは関係がないんだそうで、その内容は、「仕事の量は、完成のために与えられた時間をすべて満たすまで膨張する」(第一法則)、「支出の額は、収入の額に達するまで膨張する」(第二法則)というもの、だそうだ。ちなみに、この部分の説明はウィキペディアより引用しているのであしからず。これにはコンピュータ絡みのバリエーションもあって、「データ量は与えられた記憶装置のスペースを満たすまで膨張する」んだそうな。同じくウィキペディアより引用。
 第二の法則の方はなかなか耳の痛いところで、つまりはまあ、どんだけ収入があっても、それに伴って支出も増えるんで、大概はみんなして足りない足りないと言うハメになりますよという感じだろう。収入が増えると、どうしても気が緩んでお金の出方も緩くなりがちらしい。お金を貯められる人というのは、つまりはこういう部分で第二法則がちょっとばかり適用外の人なんだろうかと思ってみたり。
 まあ、そんなお金の話はともかくとして。大概の事柄において、余剰がある場合には、すぐにその余剰は埋まっていってしまうものだと言える。まだ時間があるからと後回しにしていると、気が付いたらもう時間ギリギリになっていて間に合わない。書類を入れておく引き出しは、何段あってもすぐに埋まってしまう。余裕を持っておいた筈の予算は、ふと気が付けば予算外の何かしらが増えていて、結局足りなくなっている。人手を増やしたから楽になるかと思ったら、その分別の仕事がいつの間にやら増えていて、結局また人手不足になる。
 むしろ、余裕がない余裕がないと大急ぎで何とか終わらせてみると、あれ何だまだ時間があったじゃないかということがある。でも、まだ余裕があるからと思っていると、期限より早く終わるということはあまりない。人間、こういう状況は、人間に特有のものだと思う。機械にやらせれば、一定のタスクは一定の時間もしくは費用もしくはエネルギーを費やすことで、ほぼ確実に完了される。機械が故障したとか、不調になったという場合は除くけれども。機械に一時間一つのタスクをやらせたとすれば、六時間あれば六つのタスクが終わっていることになる。でも、人間にやらせると、多分六つは終わっていないだろう。もうちょっとで終わるくらい、と言うことが一番多いと思う。
 ただまあ、面白いことに、実は五時間で六つを終わらせなければいけないよと言ってあったり、もしくはタスクは七つだよと言ってあったりすると、案外五時間で片付けていたり、七つを終わらせていたりする可能性はないではない。機械では、まずこういうことはあり得ない。わざわざ仕事で機械ではなくて人間を使うのは、つまりはこの五時間や七つの効果を期待してのことなんだろうな、とか。でも、実際には六時間で六つは終わっていないというのが普通の話。まあ、かっちりした人なら、六時間かっきりか、五分オーバーくらいで六つを終わらせるだろうけれど。とっても真面目な人ならば、五分前に六つを終わらせているかもしれない。
 余剰というのは無駄になってしまうこともあるのだな、とか。昨日のブログのネタにちょっとだけからめて、考えてみたり。

 ちなみに。お金がないお金がないと言っている人は、じゃあどうしてお金がないのですか、ということを考え直してみると良いかも。大概、どこかしらに無駄があるものだから。入ってくるお金に余剰があるので、無駄が出ていても結果的にはまかなえてしまう。だから、無駄が出ていることに気が付かない。気が付かないままお金がそこから出て行って、結局足りなくなってくる。
 その出費は、なくてもいい程度のものではないですか? 携帯料金は、もうちょっと使用状況に合ったプランが何かあるかも。駅までバスに乗らなくても、五分長く歩けば行けるんじゃないかしら。いっつもお父さんおかずを残すのよねぇ……。このバッグ、買ったは良いけど一回も使ってないんじゃないかしら。まあ、そんな具合に色々と、無駄があるという前提に立って考えてみると、結構無駄だなーというのが出てくると思う。無駄があるという前提に立って考えてみて、あらしまったこれは無駄だわと自分で意識する。そうしなければ、無駄な出費というやつは、なかなか減らないものなのですな、これが。
 それで一ヶ月に千円も浮いてくれれば、一年で一万二千円。ちょっとしたお洋服くらいは、買えるようになりますよ。

読み:文庫『簡単に断れない。』
買い:なし
途中:なし
月次読破:10冊(文庫7冊、コミックス3冊)
月次購入:5冊(文庫2冊、コミックス3冊)
通年度購入:74冊(文庫41冊、コミックス33冊)
通年度読破:79冊(文庫46冊、コミックス33冊)

それでは。

無駄についての無駄思考

2007年07月17日 19時45分28秒 | Weblog
7月17日分。

 週初めから寝不足やら頭痛再発の不安やらでろくな状況とも言えませんでしたが、まあとにかくも一日仕事して帰ってきましたよ? 幽霊です。壮絶にねむーとか頭おもたーとかだるーとかやってらんねーとか諸々ありましたが、地味に一日仕事があったので、まあどうにか保ちました。探せばあるのよね……仕事。やりたかないから、普段やらないけど。
 昨日の地震から一日経過しましたが、負傷者数はともかく、死者数がほとんど増えていない点で、今回は少しほっとしているところ。

 唐突に意味もなく、無駄ということについてまたつらつら無駄思考してみる。
 連休中、ほとんど外に出かけることもなく、ほぼずっと寮の自室に籠もってたわけですが。……まあ、頭痛が出てきて動けなくなっていたりとか、台風来てたりとかもありましたけども。職場でそんな話をしたら、笑われマスタ。つまり、周囲から見ると、こういう過ごし方は無駄であるということ。さすがに自分でも、ちょいと無駄だったかなーとも思いましたが。ただ、基本的には外にわざわざ出ると言うことには、あまり価値を見いださない方。誰かに呼ばれる、会いに行くというのが無い限りは、ほぼ出かけません。気まぐれに、自転車を漕ぎに行くことはあるけれど。
 無駄というのは、周囲の誰が見ても無駄なものなのだけれど、本人はそれが必要だと思っている場合が結構ある気がする。例えば、何かしらの趣味に凝っている人がいるとして、その人がその趣味に対して結構な金額を突っ込んでいるとする。まあ、私にたとえるなら、部屋一杯の本だとか、でなければ自転車に七万八万突っ込もうとしていることとか。逆に、私から見ると、一回の食事に何千円何万円も突っ込むような美食であるとか、混んでいる連休にわざわざ混んでいるところへ出かける旅行とかは無駄に見えるのですが……。まあとにかくも、そういうこと。
 でなければ、みんなが無駄だなぁと思っていることなのに、何故か一部の人達だけが必要だと言って未だに続いているようなこと、というのもあると思う。こういうのは、仕事で結構遭遇する。なーんでこんなんやってんだろと思うのだけれど、聞いてみると、なんでだろねーとみんな首を傾げつつ、でもなくならないような仕事。誰が見てるんだろう、誰が必要としてるんだろうというのが疑問になるのだけれども、何となく惰性的にやっている仕事というのは、割とあると思う。そういう仕事は、その半分以上が本当に無駄なのかもしれないなーとは思ったりして……。
 ただ、世の中、本当にまるっきりの、全くの無駄というものは、案外無い。それはすぐには効果が出なかったり、すぐ役に立つものではなかったり、先々にほんの少しだけ役に立つという程度のものだったり、無いよりあった方がマシかもしんないという程度だったりもするかもしれない。けれど、何かしらの効果はある。一切何もしないということですら、一切何もしないということを理解するためには必要なことだとも言える。何もしないから何にもならないということは、実際に何もしないでいてみないと、実感として、体感として理解できない。
 無駄だな、という意識は、無駄だな、と自分で思ったという経験があって初めて成立する。それやっても無駄だよと言われてみても、無駄なのかーと思うくらいで、じゃあどうして無駄なんだ、どんな具合に無駄なんだ、どのくらい無駄なんだということは、自分が本当に無駄だなと思って初めて感覚として付いてくる。腑に落ちる、腹で納得するとゆーやつ。無駄だなーと意識するには、まず自分が、それが無駄であるということを認識して実感するという前提が必要になる。そういう意味では、無駄をやるというのも、無駄を意識するためには必要ということになる。つまり、本当に全くの無駄というものは無いというのは、そういうこと。
 まあ、本当に全くの無駄があるとするならば。それは、無駄だなぁという意識を持った上で、それでもそのまんま無駄を放置しておくこと。みんなで、あれって無駄だよねーと言いながら、そのまま放っておくのが一番無駄ということ。無駄を知る必要はあるけれど、無駄を放置するのとは違うよ、と。無駄と余裕というのとは、また違うんだけどね。

 あ、ようやっとディックの『ペイチェック』読み終わりました。「まだ人間じゃない」ってやつ、ディックの作品だったんだなぁ……。

読み:文庫『ペイチェック』
買い:なし
途中:文庫『簡単に断れない。』
月次読破:9冊(文庫6冊、コミックス3冊)
月次購入:5冊(文庫2冊、コミックス3冊)
通年度購入:74冊(文庫41冊、コミックス33冊)
通年度読破:78冊(文庫45冊、コミックス33冊)

それでは。

再来の頭痛

2007年07月16日 19時30分45秒 | Weblog
7月16日分。

 いやはや、参りました。先週だか先々週だかの火曜日辺りに朝から頭痛で会社半年休とりましたが、どうも今日も同じような頭痛をくらった模様。またしても朝からと言うか、実際には夜中から出始めて、朝になってもいまいち治らず。どうせ医者に行っても原因は分からなさそうなので、前に貰った頭痛薬を飲んでひとまず治まるのを待ってみたり。
 今はどうにか治まってますが、まだじんわりと頭の奥の方で痛みが残ってる感じはするのですなー。また再発しそうでちょっと困っているところ。原因が分からないというのが一番困る。根治ができんじゃないか。
 てーかあれです、人が頭痛やら頭の重さやらに顔をしかめてるときに、地震とかくるわけです。割と長い時間ゆっくりと揺れたので、これがまた頭痛に響くこと響くこと……。痛いっての。こっちは東京なので、まだ震度3だか4だかくらいで済みましたけれども。ひどかった方では、午後七時のニュースを眺めている時点でも、六人死亡、七百人超が手当を受けたということで、また強い地震だったんだなということが分かります。台風が通り過ぎた後だったのが、せめてもの救いだったかもしれないな、とか。
 原発の施設から煙が出ている映像には、一瞬驚きましたが。とりあえず放射能漏れなどは無かったようで、ひとまず安心しました。でも、あの辺りにある原発って、実は地元に電力はあまり落としていなかったはず。発電した分は、その多くがこっちの方、関東の都心部に回ってきてるんじゃなかったかなーと。やっぱり、ちょっと使いすぎなのかも知れません。ただ、快適さになれてしまうと、そこから落とすのがまた難しくなるのですけれども……。

 地震が起きたとき、被害の拡大に一番影響があるのは、地震の発生した時間帯であるということを聞きます。つまり、火を扱っているような時間帯には、地震の後に火災が発生することで、二次的な被害が大きくなる場合があるということ。食事の用意をしているような時間帯に地震が来ると、当然火災が起こる可能性は高くなります。今回はあまり火災が発生したということはニュースでは聞いていないのですが、時間帯が午前十時過ぎと、食事の用意の時間帯からは外れていたからか。
 電気、ガス、水道のライフライン供給が止まっている箇所もあるようで、道路も陥没などで通行が難しくなっている気配。その辺りも厄介ですが、今のところ一番厄介なのは、避難先での食糧供給、と水の供給のようです。自衛隊の給水車もかなり出ているようなのですが、道路状態が悪く、なかなか到着しないところもあるとか。食料などの方は、コンビニやスーパー各社が救援の食料を送ったというような話もネットニュースにありましたが……。さて、届くまでどのくらいかかるか。とは言え、地震が起こったのが今日の午前十時過ぎで、食糧供給のニュースがもう出てきたということは、結構決定が早かったんだなーと思います。企業にも、こういう責任というか、社会的義務が問われるようになってきているということでしょう。何度か最近でも大きな地震がありましたから、企業の対応も早くなってきたような。そういえば、うちの会社もインフラ関係の部分を扱っている部署がありますし、その辺りの部署は呼び出しを受けているかもしれませんなー。今頃、現地に飛んでいる人がいるかも。
 亡くなった方の情報が少しずつ出てきていますが、やはりお年を召した方が目立ちます。こういった部分をどうフォローしていくかが、地震などの災害のときには難しいところで。関東でこの規模の地震が起きたときには、隣近所との繋がりもあまり強くないのが実際ですし、被害状況の実態を調べるだけでもかなり苦労することになりそうだなと思ったりとか。やはり携帯電話なども繋がりにくくなっていたようですし、都心部でやられたら二日三日は音信不通を覚悟すべきかも。うちもちょっと気にかけないといけない人がいますし、かといって私のところからだと、あっちまで行くのが難しいだろうなぁ。
 実際ことが起こったときにどう動くかは、やはりある程度決めておくべきかも。とりあえず、オフィスにいるときに被災した場合、最初の揺れで何かしらということはあまり無いはず。寮にいるときに食らうと、ちょっと……本の雪崩とかが怖いところですが。あ、自室だと食料はともかく、水の備蓄がないな。色々考え込んでしまうところです……。

読み:なし
買い:なし
途中:文庫『ペイチェック』
月次読破:8冊(文庫5冊、コミックス3冊)
月次購入:5冊(文庫2冊、コミックス3冊)
通年度購入:74冊(文庫41冊、コミックス33冊)
通年度読破:77冊(文庫44冊、コミックス33冊)

それでは。

雨滴

2007年07月15日 21時39分07秒 | Weblog
7月15日分。

 朝から雨ー、そして関東地方に台風接近ー……ということで、もうちょっと何かしらの被害が出るかも知れないなと心配、もしくは一種の期待をしていたわけですが。案外すんなりと通り過ぎていったなーと思ったりする幽霊です。昼前には雨も大分収まってきたので、その頃にはもう買いだし行ってました。てか、台風来る前に食料の買い出しとかしておけよ、自分。完璧に忘れてました。

 雨も大分収まったようなので、まあ少しくらいは、とまた自転車を引っ張り出してみたりとか。しかしおかしいな、ついこの間にタイヤに空気入れ直した筈なのですが、今日に乗ってみたらまたしても空気が随分抜けている罠。油断して乗ったら、特に後輪の方で抜けが多かったようで、おけつに衝撃が……痛いっての。こらアカンと、慌てて空気入れを取りに帰ったのでした。
 あ、ちなみに無駄話なのですが、普通のママチャリとかで使われているタイヤの空気バルブは、そのほとんどが英式です。で、私が乗ってるやつは、仏式という別のタイプだったり。ずっと昔に乗っていたジャイアントのMTBが仏式で、そのときに使っていたのが足踏み式の空気入れ。あのMTBしか乗っていなかったので、仏式のアタッチメント以外は破棄してしまっていたのですねー。で、その車体が盗難だか何だかでなくなってしまったので、しばらく乗ってなかったのですが、とりあえずその場しのぎで無印良品の自転車を購入。これが英式だったために、英式用の空気入れも買いました。ってことで、この部屋には無意味に空気入れが二つ……ぬう。たまに間違えます。
 まあそんな余談はさておいて、近場の無駄に広い公園へ行ってみる。途中でまた雨が降り出して引き返そうかとも思ったものの、まあいいやとそのまま走行続行。あの公園、一周するのに十分以上かかるのですよね、自転車でのんきに走ってると。今日はさすがに人もほとんどおらずで、そういう意味では快適でした。ただ、雨と風が時折突発的に吹き付けてくるので、あまり走りやすくはなかったよーな。そこはしゃーないですな。そういう天気の中なのを知ってて出向いたわけですし。
 あの公園、全般に樹が多くて好きなのですが、ところどころに広場としてかなり開けた場所があったり。雨宿りにと木の下で止まっていると、広場の方では風に流される雨滴の波が見える。風に煽られて斜めに飛ぶ雨滴が、カーテンのように揺れている。周りには雨滴が葉を打つ音と、木々が風に揺れる音と。甲高い潮騒のような葉擦れの音。雨のときに来ると、樹の多い場所は息を吹き返したような感じがしますな。

 少しずつ自転車に乗っているからか、ようやっと車体の感覚にも多少は慣れてきた感じ。時々、身体の延長であるような感覚、一体感みたいなものが得られるようになってきたり。この速度からブレーキングするとどのくらいでどの程度まで速度が落ちてくるかとか、車体と重心をどの程度傾ければ曲がるかとか。あまり強い動かし方は普段しないので、とっさの動作になってくるとまだ感覚が分からんのですが。
 乗るときには、今でもなるべく慎重に走るようにしてます。昔に乗っていた車体がジャイアントの車体だけに、とにかく頑丈で。かつ、前後フルサスという車体だったので、とにかく多少無理して乗っても大丈夫だったのですねー。何度か、強引にやりすぎて、ハンドルからライトが飛んでいくようなことがあったくらい。それでも車体は割と平気だったよーなのですが。さすがに、今の車体でそういうことをやると、タイヤは細いし径も小さいしMTBほどのサスがあるわけでもないし、衝撃がかなりダイレクトに来ます。ぬあーケツいてーとか結構ある罠。
 一番怖いのがタイヤの細さで、ちょっとした段差でも結構震動が来るし、路面に溝があると、これがまたかなり足を取られやすくなる。一応は公園内サイクリングロードを選んで走ってはいるのですが、まあ陸上トラックみたく整備されてるわけでもないからなぁ……。結果としてかなり足下に気を遣いながら走る必要があって、前の車体の感覚でついやってしまうと、たまに怖いことに。そうでなくても、走っている間、細いタイヤになるべく衝撃やら段差やらが来ないように、路面を見ていることになります。ちょーっとこれが疲れる。
 まあ、ジャイアントの前の車体は、多分八万くらいのフルサスだった筈だから……実際問題、乗り心地はかなりふわふわしてました。多分、ペダルロスも相当あったんじゃないかなーとは思うのですが。ちょい重かったし。街乗り基本で乗り心地重視って方面の輩なのでそれは良いんですが、と。ん? でもそのジャイアントの前に、確かパナソニックのハードテイルに乗ってたよーな記憶が……? 昔からMTBタイプに身体が慣れてたんですな、多分。ほとんど身体に染みついてしまって、ロードに近いタイプか、クロスバイク的な車体はどうも苦手らしい。
 そういう状況もあって、ルイガノのハードテイルにしよーかなというのをずっと考えてるところ。まあほぼ買うのは確定してるのですが、今の時期に買うと、新宿からここまで乗って帰ってくるのが面倒くさい。雨に降られたくは無いし、と。多分、八月になったら、ここでも「買ったよー」という記事を載せるんだろーなー、きっと。しかしまあ、子供の頃とか高校生の頃に乗ってた車体って、今にして思うと、初心者がMTBに慣れるには良い車体ばっかだったんだなぁ。そら、今にして半端なクラスのを買っても駄目だわ……。ということで、また同じレベルの車体まで戻すと。パーツとか全体性能は、多分昔より上がってるでしょうけれど。ちょっと待ち遠しい。

読み:なし
買い:なし
途中:文庫『ペイチェック』
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それでは。

選挙カー

2007年07月14日 21時00分37秒 | Weblog
7月14日分。

 昨日のラーメン缶で、しばらくあの手のアキバ系缶詰は回避しておこうかなと心に決めました、幽霊です。いや、あれはラーメン缶というか……何と言うか、あれですな、シラタキか糸こんにゃくの煮物みたいな感じでしたな。メンマだけはラーメンの具として入ってるんだけどねぇ。あ、何か昨日のネタをそのまま引っ張ってきてしまった。

 せっかくの土曜日と言うことで、朝から惰眠をむさぼっていたわけですが。こういう時期につきもののヤツが、ついに出没し始めましたな。うん、あれです、あれ。休みの日に、朝でも夕方でもお構いなしに、大音響をばらまくあれです。そう、選挙カーが出没し始めたわけです。「皆様のぉー暖かいご支援をいただきたくぅーこのぉーわたくしにぃー清き一票をぉー」てな具合ですな。支援せんぞ、むしろ私怨すんぞこらーという気もします。惰眠をカットされちゃいました。
 しかしまあ、これだけ情報媒体が発達してきているご時世だというのに、未だもって選挙カーというものが生きてるわけですなー。駅前での演説というのもまあ毎朝のように見かけるわけですが、個人的には、まだあの駅前演説の方が印象は宜しかったり。……人の流れが止まったりして混み合うので、そういう意味合いでの印象はどっちにしても悪いんですが……まあまだマシってことで。駅前演説なら、まだ演説してる本人の顔が見えます。遠くなってしまうと判別しにくくなるので、そんなに意味があるかは微妙ですが。ただ、選挙カーというのはどうなんだろう。すぐに通り過ぎてしまうし、本人の顔もほとんど見えないし、放送している内容もどんどん向こうへ行ってしまうから聞き取れない。うるさいだけ。
 正味、立候補者の名前を連呼して耳に残そうというだけのため、という気も。それで名前を覚えていたら、もしかしたら投票用紙に書いてくれるかもしれない、と。ただ、私自身は、できればこういう選挙カーで絨毯爆撃してくような人には票を入れたくないかな、と思うのですがどうか。つーても、そもそも私のいるところだとどういう候補がいて、何党の公認やら支援を受けていて、どんな政策を掲げているのかもまるっきり把握してない始末なのですが……。ああ、日程的に可能である限り、投票には行きます。前は風邪引いて動けなくなってたこともありましたが。
 とても大雑把なことを言ってしまうと、今回与野党逆転だの何だのとしきりに話題にはなっていますが、どっちにバランスが寄ろうとも、あまり大局には変わりは無いんじゃないかなぁと思っていたりします。野党側が今回引っ繰り返して、先々に政権を取ったとしても、あんまり変化はないんじゃないの? と。そういう考えが割と多勢をしめるからこそ、投票率も上がらないんじゃないのか、と。わざわざ労をかけて投票しに行っても、どっちになろうが、誰が当選しようが、大局には影響がない。そんな状態では、そりゃー投票率も上がりませんわ。

 さういえば、選挙と言えばちょっとした謎が。選挙の投票用紙を記入するときというのは、絶対に鉛筆が置いてありますな。シャーペンでもなく、ボールペンでもなく、筆でも万年筆でもなくて、鉛筆。あれ、めがっさ書きにくいですな。みんな使ってるんで、どんどんと先が丸くなってしまうし。ついでに、記入台もやたらとぐらぐら揺れるので、とても安定が悪い。持ち運びと収納とがしやすいように、ああいうのを使ってるんだろうなーとは分かるのですが。まあ、どうせ選挙のときにしか使わないんだから、仕舞っておく場所やら運搬の用を優先しても良いのかも。
 ……ってまあ、話外れましたが、鉛筆ってのもどうなのかなぁと思うのです。他人が細工しないようにってことでわざわざ置いてある鉛筆を使わせてるのかもしれませんが、後から勝手に書き換えが出来ないようにボールペンにでもした方が良いような気もします。消しゴムも置いてないんだから、どうせ書き間違えたら二本線でも引くしかないわけですし。そんならインクで書いた方が改ざんされないやん。筆だと、私もそうですが書けない人出てきそうだし。逆に達筆すぎて読めない人もいるかもしれないし。万年筆じゃちょっと高級すぎるし。百均で売ってるような、黒いキャップに透明な細いプラのボディのペンでええやん、と。もしくは、サインペンでも可。それなら、鉛筆のように何本も置かなくても良いし。
 ま、たまには手で書くという動作は良いですな。読む方は出来るんですが、書く方はすっかり忘れてしまって、我ながらこんな字も書けんのかいと苦笑いしてしまうこともここ最近はしばしば。いかんですなー、まったく。

読み:なし
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それでは。

名物に美味い物……

2007年07月13日 23時44分23秒 | Weblog
7月13日分。

 はいほー。ようやっと今週も一週間仕事終わりデスだよこんちくしょー。ということで、ちょっとご機嫌宜しい幽霊さんです。ご機嫌が宜しいついでに、新宿で降りて、東急ハンズとビックカメラと、それからアウトドアショップとで自転車を品定めし直してみたり。もちっと別のがあるかなーどうかなーと見てきたのですが、結局は、買うならやっぱりハンズでルイガノのキャスパープロかなと。諸々揃えたら八万いくなぁ。まあいいか。

 さて、そんな新宿ですが、当初の目的はそれ……ではなくて、もっと別のものでした。毎朝新宿駅は歩いてるわけですが、ふと昨日の朝に気が付いたこと。ちょっとまて、なんでここでそんなものを売っているのかねというものが、駅のキオスクにおいてありました。昨日に買って帰ろうかと思ったら、棚卸に時間がかなりかかったので帰ってくる頃には仕舞ってまして、買えず。で、今日に延期。
 ということで……買ってきましたよ、ラーメン缶。なんで新宿駅に売ってたのかがとても謎ですが。
 とりあえず缶ごと湯煎して、暖めてから食べてみますた。……。……。……………………。えー。うん、わざわざ買って持って帰ってきて湯煎までして喰う物ではないな、というのがものすごく率直な感想。ホントにこんにゃく麺ですた。味的には、正直言って、カップヌードルとかのがマシじゃまいかと思うレベル。うん、一発ネタ専用ですな。唯一の具であるメンマが、ちょっと哀愁を誘います。
 さて、口直しにコカコーラゼロでも買ってこよう……。

 余談。魔女の宅急便を眺めやりつつ、この恥じらいのないパンちらシーンは萌えないなーとか無駄なこと考えてました。まともに見ろよ、私。

読み:なし
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それでは。

数値と実際

2007年07月12日 01時05分40秒 | Weblog
7月12日分。

 そういえば明日は13日の金曜日だなーと月並みなことを思うわけですが、だからといって何かしら起こるかっつったら、別に何も起こらないのですよねー。墓の下から何か出てくるとか、呪いのビデオが届くとか、きっとくるーというBGMが流れるとか、アルデバラン第七星雲の彼方から侵略者ヒモゲリアンが襲来するとかそういうことはありませんし。ありませんよ? うん、ないね、いあいあ。ふんぐるい。

 普段はまるっきり担当しない業務なのですが、たまたまちょっとしたことがあって、部品の棚卸の手伝いに行ってきました。残業二時間。数えた部品数が合計して二千くらいになるのかどうか。さすがに一個一個数えていくわけにもいかないので、袋詰めで未開封なら十個入りというのを信用してカウントしてます。それでも結構な数ですが。棚卸は一週間くらい前の時点での、理論上の個数を基準にカウント。前の棚卸結果に、それ以後の出た数と入ってきた数を足し引きして、この数に今なっている……筈、というのを実際に確認するわけですな。
 そんなにずれは無いだろうと思うわけですが、案外ずれる。まあ、リストを作った後にまた出入りしている分もあるし、ずれるのは仕方ないとして。ただ、そういうずれとは違うずれが、どうしても出てくる。何故か数が足りないとか、何でか数が増えてるとか、意外にあるもんです。たまたま前の棚卸のときに数え間違えていたとか、使った筈なのに残ってたとか、何かしらの事情で一度出した物が戻ってきていたとか、でなければ入ってきたときに入ってくる予定の数よりもちょっと多く入っていたとか。大概は人為的な何かしらが介在しているわけですが、そういう諸々をひっくるめた結果として、今一体どうなっているのかを確かめる必要性があるわけですね。
 ……んで。こういう棚卸に限らず、数値と実際がずれているというのは、往々にしてあることで。カウントのミスということだけを考えても、単純なる数え間違いから、カウントの基準がそもそも違っているとか、違う対象をカウントしていたとか、的外れなところを数えていたとかいうことがあり得ます。それから、数えられる側のことを考えても諸々要因は出てくる。気化してしまうような液体なら、放っておいても少しずつなくなってしまうし。サンプルを採って数えるような方法では、完全に全体を一つ一つ数えたわけではなくて推定だから、実際にはずれていることは充分にあり得る。あ、でもこれはカウントのミスになるのか。でも、サンプルに採った部分がたまたま特殊な層だったとか、というのは数えられる側か?
 まあ、もっと平たく言えば、皮算用してみても実際上手くはいかないよ、と。そーゆーことです。

 ただ、じゃあ皮算用は全然意味がないのかと言えば、そうでもない。何事もまあ実際に見るのが良いと言えば良いんだけれども、何も知識無しに見てみても、意味がない場合がある。何の前提知識もなく、突然とある写真を見せられても、何の写真やらよーわからんということがある。ここはどこそこの国のナントカという場所なんですよ、綺麗でしょと言われれば、ああそういう写真なのねと分かるようになる。そこでようやっと、色々想像……もしくは妄想が働くようにもなる。写真の意味の理解、もしくは勘違いが出来るようになる。
 実体験としての経験が無くとも、知識として、想像として持っているだけでも、意味はある。一の経験だけよりは、一の経験+一の知識もしくは妄想想像、の方が効果は高い。一の経験より、一の知識の方が役に立つことだってある。一の経験によって得られる知識が、一を上回るとは限らない。まあ、それは逆もまた然りだけれども。
 ただ、知ることも、やってみることも、楽しんだ方が宜しい。その方が飲み込みも当然早いし、吸収の量も効率も段違いになる。眠たい学校の授業なんて受けてみても、頭に入るわけがない。でも、何となく面白い番組で見た無駄知識はすぐに覚えてみんなに自慢したりする。そういうもんです。楽しんでなんぼだし、ネタになってなんぼ。まあ、ネタにもならない知識や経験を積み重ねてしまっておいて、にやにやするというのも、それはそれでまた楽しいんですが。

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