黎明の廃人日記

最近はやや更新が途切れがち、斜めに流し読み。
貴方にも私にも人生の役には立ちません。

帰省と年末恒例行事と

2013年12月30日 19時42分32秒 | Weblog
12月30日分。

 毎度。今日から実家の方へ一時的に帰省していますが、まあ例によって実家の方には自分の部屋という物が存在していないので、まずは自分の「巣」を作るところから始めないといけないというのが面倒……。幽霊です。ほとんど自分のアパートの方にいて帰省が滅多にないのは、この辺りの事情が一番大きいですね。

 年末はここ数年、ベートーベンの「第九」を聴くのが恒例行事で、今年も母親殿と一緒に初台のオペラシティで聴いてきました。最近は音の良いと言われる席で聴くよりも、席指定の時点でネタに走る傾向がありますなぁ。去年は合唱団のすぐ真横という、音質の面から見たら耳が消し飛ぶレベルの席でした。あれはあれで面白かったけど……。
 たぶん去年も同じ事を書いたのでしょうが、年末に「第九」をやるというのは日本くらいのようで。この辺りは、戦後間もない頃は楽団の収入が少なく、それを補う意味で、演奏への参加者が多く、また客の数を一定見込める演目としての「第九」をやったから……といった事情があるそうな。それがそのまま定着した物らしいので、欧州などでそういう文化があるというわけではないそうです。正月の餅代だったんでしょーね、きっと。
 正直なところ、個人的な信条としてはキリスト教信者ではないのですが、「第九」はそういうところを無視して、単純に合唱部分が耳に心地よくて好きです。最初に買ったクラシックのCDが、カラヤンの「第九」だったこともあるでしょうね。ただ、あの「第九」は大分ゆっくりめの演奏と合唱になっていて、かなり「溜める」感じです。ほとんどの「第九」の演奏に比べて遅い・溜める傾向があったので、そっちが耳に馴染んでしまった側としては、普通に聴いてしまうと「なーんか速いんだよなー」と思ってしまう罠。
 今年聴きに行ったのは、去年と同じホールで同じ楽団、同じ指揮者。ソリストもたぶん同じなんじゃないかと思いますが……正直うろ覚え。何人かは間違いなく去年もこれ見た顔やなーというのを覚えていたんですけどね。「第九」は何回聴いても「第九」なので、次第に演奏そのものより、ネタを探しに行く感覚になっている気がします。それはそれで楽しいですけどね。

 今はCDもあるし、DVDもあるしで、わざわざコンサートを生で聴きに行くという人は大分減ってきているでしょうね。私自身、年末のコレくらいしか聴きに行くということはないのですが、生の演奏というのは、それなりに見ていて・聴いていて面白いと感じる部分はあります。ただ、そこに価値を見いだすかどうかといのは個人次第の話。音だけさらっと聴きたいときに、わざわざコンサートを探す必要もないでしょうしね。決して安くはないわけですし。
 結局のところ、コンサートに限らず、金と時間と労力を割く部分と、カットしていい部分との区分けは個人それぞれですることで。現代という状況においては、その選択肢がすさまじく多様化しています。コンサートのようなものも、次第次第に高価な物になっていくのでしょうね。まあこの辺りは、紙の媒体での書籍についても言われている話ではあります。電子書籍の方がメインになって、わざわざ紙に残しておきたい人だけ割増料金などで紙の製本を行う、とかそんな形。
 コンテンツ単体よりも、コンテンツ周辺の付加価値を高価で売る、プレミアムな体験・体感として売り物にする形になるのかなーとか。いや、それももうとうの昔から言われている話ですかね。ただ、いまだにその流れに乗れずに古い商業体制で続いている業界も多いだろうね……って話か。そこももう既にずっと言われている話のハズなんですが、変わる雰囲気が全然感じられないのは何でかな-。

 ではでは。ひゅう、どろん。